横着者の選択―今何時?

仕事をやめて私生活が大きく変わった。社会的な縛りが全てなくなったわけではないが、ほぼ自分の内からの思いで一年三百六十五日、一日二十四時間、時間を自由に使えるようになった。縛りがなくなったことでなくなったこともある。保育園から学校にそして仕事で追われる生活から解放されたとたん、時間を有効に使う習慣があっという間になくなってしまった。時間から時間の仕事でもなし、ちょっと遅刻してもどころか、昼過ぎに出社したところでどうのこうと言われるような仕事ではなかったときでも、生まれながらの貧乏性はどうにもならない。誰よりも早く出社してVoicemailを聞きながらメールを片付けるようにしていた。生来の働き者だと思っていたが、なんのことはない、外部からの強制がなければ、何時に起きなければという自制心すらすっかり身をひそめてしまった。ただ起床が遅いと使える一日が短い。

あれこれ体験して考えてきことを書き残さなければと還暦を迎えたときに一線を退いた。技術屋になりそこなってマーケティングから経営畑への舵を切って二十年以上、やれることはやり尽くした感があったし、思いをまとめる訓練はされていないから七十を過ぎてからでは時間が足りないと思ってのことだった。暗中模索しながら二〇一〇年頃からポツポツ書き始めた。三年ほど経ったころ、ちきゅう座をみつけて会員にさせて頂いた。先輩諸氏のご指導を頂戴しながら今日にいたっている。

残り少ない人生を少しでも有意義に使わなければと思ってはいるが、仕事があったから勤勉でいられたのだと痛感している。朝目が覚めても、起きなければならない理由があるわけでもない。せめて昼前には起きなければと思っても、枕元においた時計代わりにつかっているガラケーに手を伸ばすのがめんどくさい。目を開ければ見えるところに壁掛け時計をと思って、あれこれさがしては見たが、時計を見るには部屋の電気をつけなければならない。電気をつける必要のない夜光時計にすればとも思ったが、暗闇でぼんやり光ってるのもイヤだしで、どうしたものかと考えていた。

あれこれ考えていて、思いついたのがスマートスピーカだった。家族はキッチンで料理しているときに居間に置いたものをタイマー替わりに使っている。部屋のどこかの置いて、「xx分のタイマー」とつぶやけばいいし、「今何時?」と声を掛ければ音声で答えてくれる。キーを押してタイマーをセットする操作もいらないし、起きあがって電気をつけて時計をなんて手間もかからない。
壁掛け時計なら五千円もだせば信頼できるものが買えるが、ちょっとしたスマートスピーカになると一万円はする。ちょっと予算オーバーだが、横着者の条件を満たすにはそれしかないと購入した。朝に限らず、いつでも「今何時」と言えば、「今何時何分」ですと答えてくれる。
購入に至った最後の押しは、タイマーだった。白内障の手術の後毎日欠かさず点眼をし続けている。緑内障の点眼に加えて術後に三種類の目薬が処方された。術後一週間は一日六回、二週間目からは四回。一つ目薬を点眼したら次の目薬を点眼するまで五分ほど待たなければならない。点眼する前には石鹸で手を洗うよう指示されている。手を洗って、ペーパータオルで拭いて、五分待つが、その五分間何にも触らずに待つ時間がなんともやりきれない。ましてやデジタル時計でタイマーをセットしてなんてことを繰り返すのはめんどくさい。まだかまだかと何度も時計を見直していた。
こんなことをいつまでと嫌気がさしてきてスマートスピーカを注文した。半導体とソフトウェアの進化、そしてそこから生まれたインターネット、それをあっちの部屋でもこっちの部屋でも便利に使っている。ちょっと金はかかるが、スマホと同じで使い始めたらやめられない。

かなりのことができるが使っているのはもっぱら天気とタイマー機能ぐらいで、それ以上の、例えば音楽を聴くなんてことは考えていない。若い人たちはもっと有効活用しているだろうなと、ちょっと悔しい気もするが、古希を過ぎたオヤジにはこれで十分。
言い訳がましくなるが、横着がもっとらくにできなかという発想を生み、そこから新しい需要が生れる。そして社会が変わってゆく。大袈裟にいえば、それが歴史をつくってきたということのような気がしてならない。
2025/1/13