能力とやる気(改版1)

“能力”と“やる気”という二つの特質から人を四つのカテゴリに分けて、どの人材の方がいいという話しを知り合いから聞いた。四つのカテゴリ?ちょっと乱暴な話しだが、どのみち巷の話題の一つ、なるほどそう言われてみれば、そうかもしれないと思っていた。
同じ判断基準が、なんとなく気が進まないまま放っておいた本に外務省の偉いさんの話しとして載っていた。巷の話ではなく、エリート社会でそう言われているのかと思いつつ、一概にそう言い切れるのかと気にしていた。
四つのカテゴリは、「能力があってやる気がある」、「能力がなくてやる気がある」、「能力はあるがやる気がない」、「能力もやる気もない」で、知りあいの話も本のなかの記述も「能力がなくてやる気がある」人材を最も悪いとしている。確かに、微妙な駆け引きが全てといってもいい外交の場で実務能力に欠ける人がへんにやる気を出して動きまわったら、それこそボタンの掛け違いどころか、手をつけてはいけないボタンをもて遊ぶようなことになりかねない。能力がないのなら、おとなしく裏方として雑務でもしていて頂いた方が無難だろう。
しかし、世の中全てが外交の場と同じような資質を必要としている訳でもあるまいし、なかにはかなり違う資質の人の方が合っていることも、困ることもあるはずではないかという気がしてならない。気になって、Webでみてみたら、興味深いのが出てきた。何か知りたい、分からないことがあったらWebで尋ねて、善意の人が回答してくれるサイトには次のやりとりがあった。「能力 資質はあるがやる気のない人間と、やる気はあるが能力 資質のない人間ではどちらを重宝しますか?」という問いに対して、回答では、「後者です。やる気の無い奴や評価されません。」 下手にやる気のあるのは危険というのと、やる気さえあればという両極端の意見、どちらもあっているし、どちらもあっていないかもしれない。要は、時と場合の違いでどっちがいいか、よくないかが違う。しばし正反対になる。驚くことでもない。時と場合によってという条件や評価する人とされる人との関係というのか立場の違いを抜きにして、こっちが良い、あっちが悪いというのは早計にすぎる、ましてや対象は人、安易に一義的な良い悪いを言う人が一番悪いかもしれない。
一番悪いと言っててもしょうがない。安易な結論を避けて、もうちょっと考えてみたらどうだろう。どのようなときに能力や資質とやる気のどちらに評価の重点が置かれるのかを考えればいい。仮説として、曖昧過ぎるのを承知で、ここではフツーの人をモデルとする。フツーでない人、スーパーマンのような人や、不幸にしてフツーよりかなり能力の落ちる人を持ち出しても話が進まない。フツーの人で考える。 フツーの人が持っているフツーの能力や資質で何とかなる程度の難しさや複雑なことであれば、ことを成し得るかどうかは能力や資質の差ではなく、やる気があるかないかによる。やる気があれば、あるいはやる気を出すか、出さされれば誰でもできる。この類のことであれば、Webにあった回答「後者です。やる気の無い奴や評価されません。」が合っている。よくある“頑張ろう”という掛け声で始まって、“ご苦労さん”で終わる世界なら、やる気さえあればなんとかなる。
ところが、こと何らかの特殊技能、医者や弁護士というものでないにしても多少なりとも“頑張ろう”という掛け声ではどうにもならない、何がどうなることでもない世界の話になると、やる気があるなし以前にことを成す能力や資質があるかどうかが問われる。これなしには何があってもどうにもならない世界がある。この世界では、外交の世界でいう「能力がなくてやる気がある」人たちには、後ろに下がってやる気を発揮して頂いた方がいい。能力もないのに、やる気だけは人一倍ある。結構なことだが、ここでいう“やる気”とは野心とか功名心の別名に過ぎないことが多いだろう。自分の能力をわきまえない、利にさとすぎたり功名心の勝ったやぶ医者は危なくてしょうがない。
時と場合によって、どちらがあっているとも言いがたいいい例だと思うのだが、他の二つのカテゴリ、「能力があってやる気がある」と「能力もやる気もない」はどうなのか。後者は簡単。使い方限定で上手に使ってゆくだけ、とんでもないことが起きないように注意すればいい。問題は、組織として、「能力があってやる気がある」人材にどれほどの機会を提供し、活躍、貢献してもらえるかになる。この人たちに力を発揮する場や機会を提供できない、しないのが組織として最悪なのは間違いない。能力がある人が能力を発揮する機会がなければ、組織として持てるリソースを有効に活用していないということだけでは済まない。そのような人たちは、必ずどこかに能力を発揮する。発揮するどこかや方向を間違えれば組織にとって大きなマイナスになる。もっとも、ときにはそのマイナス、ある社会集団にとってのマイナスで、社会全体でみれば次の社会への胎動で革命にまで結びつくこともある。
四つのカテゴリに分けて人を判断する立場にいる人達とは、何らかのかたちで現在の社会の、企業組織のマネージメント層にいる人達だろう。彼らの責務は現在の社会状況を保ち、現有のリソースから最大の成果を引き出すことにある。この視点から見れば、問われるのは「能力があってやる気がある」をいかに活用するかであって、「能力がなくてやる気がある」人材をどうするかでも、「能力 資質はあるがやる気のない人間と、やる気はあるが能力 資質のない人間ではどちらを重宝しますか?」を問うことでも、問われることでもない。人の能力ややる気云々の前にご自身の能力とやる気を気にされたほうがいい。
2014/1/19