引用はいい、お前の考えは(改版1)

以前から気にはなっていたが、そこまで気にしなくてもという気持ちがあった。それが、最近読んだ本が寝ていた気になっていたことをたたき起こした。なにかのときにちょっと時間があって入った本屋で見つけた新書なのだが、買ってまでして読むに値するのかと思っていた。読まなければならない本が一段落ついたのと出張のあいだの読み物に丁度いいかと図書館で借りてきた。
副題なのか、“大人のための経済学入門”とある。入門書らしく、歴史的な経緯も含めて丁寧に説明されている。確かに、分かりやすい。机に座って読むにはもったいない易しさがある。うんうんと納得しながら、あれっと思いながら読み進めているうちに、ある種の鬱陶しさが消化能力を超えて溜まってしまった。
ページ毎に鬱陶しいと思いながらも読んでしまった。もう、本は図書館に返却してしまって、著者の名前すら出てこない。しょうがないので書名をGoogle Chromeで検索した。そんなに高く評価されている本とは存じ上げなかった。Webを駆使した活発な発信でその名もとどろく経済評論家(経済学博士)が書かれた長文の書評がでてきた。知り合いがその経済評論家の視点を高く評価している。話を聞いて評論家の発信に注目しなければと思いつつ、ほったらかしにしてきた。名前だけしか存じ上げないが、多分立派な方なのだろう。その評論家が必読書として非常に好意的な書評をされていた。
経済評論家の書評に寄り道をしてしまったが、ウィキペディアで著者のご専門を見てみた。労働経済学、経済思想、経済史がご専門の著名な先生となっている。なるほどそうだろうなというのか、しょうがないのかというのか、逃れられないというより、それこそ存在に関わる宿命なのだろうと一歩下がって納得した。
ソ連が崩壊し、共産主義もマルクス経済学とその学説とともにあった社会運動もその時代の寵児ででしかなかったと思われるようになって久しい。不幸にして、経済学の社会でも経済学が資本主義そのものの分析や価値判断から離れ、資本主義を前提として統計学と計量経済学による数学的モデルの構築が主流となった。一般人向け書籍の出版をビジネスとしている出版社から、今更、労働経済学の視点から経済学の入門書が出てくるとも思えない。
特別な期待があって手にとった本ではないわりには得るものが多かった。経済理論から説き起こせば、どの視点−どの、誰の学説からの視点で経済、社会を見てという面倒を避けて通れない。入門書としてそれを避けて、歴史的にいくつもの視点で著名な経済学者や社会学者を引き合いにだして、こうこうこう考えれば説明がつく、こうこうこうではなく、これこれこれと考えれば。。。というかたちで書かれている。言ってみれば、経済や社会を理解するには、どのような視点で、何に重点をおいてみればいいのかの解説本だった。執筆の目的も出版社のビジネス上の目的も超えた予想以上のものがあったろう。
労働経済学、経済思想、経済史という著者のご専門が経済学も社会学も素人という一般人向けに生かされた好書と言っていい。整理され、分かりやすく書いてあるのだが、鬱陶しいというより鬱陶し過ぎる。経済学や社会学など人文科学系の書物を読むたびに、多すぎないかと思うことがある。経済学から派生した経済思想史や経済学史。。。ではその傾向が強いのではないかと思うことがある。経済学や経済学史、ましてや経済思想史など学んだこともない一市井の者の他愛のない感想、無知が故の誤った意見と思っていただいても結構だが、先生方、あまりにも歴史上の先人の学説や、しばしその当時の状況に対して発せられた都度つどの言及を引用しすぎてはいないか。剽窃と非難されるのを避けたいという気持ちも分かる。出展さえ明記すれば剽窃の謗りを免れるという保険のような考えもあるだろう。ただ、一歩下がってみれば、先人から、先人の蓄積から学ばない人はいないのだし、先人から学ばなければ社会生活などありえないことを思えば、どこまで引用を繰り返す必要があるのか。言語などその典型で、社会のなかで変化しながらも受け継がれてゆくもの。それを受け継がなければ、その社会で生活できない。
偉大な先人の学説を引用するもの結構。この時代の社会はこうだったので、こういう視点でこのように考えた、発言した学者がいたとして、その発言を引用するのも結構。著者が文献調べという調査研究に労を費やされるのも結構。ただ、新書の一ページに二人も三人も。。。もの歴史上の偉大な学者が登場して、ページのほとんどが引用で埋められていると、引用するのはいいけど、あなたの考えはいったいなんなのかという素朴な疑問がでてくる。先人の言を引用しなければ、ご自分の考えを言えないのか。先人の後ろ盾なしにはご自分の考えの正当性を主張しえないのか。でてきて当たり前の疑問だと思うが、いかがなものか。もっとも、ご自身のフィールドワークなしで、先人の足跡を渡り歩いて、私は解説者ですというのであれば、それはそれで結構。肩書きに“解説者”とでも入れて頂ければ納得のしようもある。
大学や学会が生活の場となっている先生方には想像し難いかもしれないが、民間企業の会議や報告書で、引用に引用を重ねたらどうなるか。よく調べたというプラスの評価を頂戴することもあるかもしれないが、よほど特殊な状況に限られる。ほとんどの場合、“引用はいい、お前の考えを言え”と言われるだろう。
大学や学会では巷の俗な視点とは違う高尚な視点があってのことだろうが、それでも先生のお考えはと聞いてみたくなる。
2014/2/16