平和な時代の困った自己顕示欲

ちょっと前に、コンビニや食堂の従業員が自らの悪ふざけをわざわざネットで配信した騒ぎがあった。従業員がアルバイトであろうが正規社員であろうが客には関係ない。悪ふざけが客に全く関係ない、客から見た店のイメージを傷つけることでもなければいいが、そうでなければ客足は遠のく。ましてや食の衛生に多少なりとも関係すれば、食えない時代でもなし、代替はいくらでもある。店が受ける損失は相当な額になる。普通の知能レベルであれば、小学校の高学年にもなれば、ちょっと説明すればなにが起きるかくらいの想像はつく。
たわいのない悪戯や悪ふざけは何時の時代にもあったし、これからもなくなりはしない。“たわいのない”というと、最近起きていることの重大性に対する認識が足りないとお叱りを頂戴するだろう。頂戴したとしても、ネットで配信しなければ、したこと自体は、たわいのないことの範疇ででしかないと思っている。人が死んだわけでも、大きな事故につながったわけでもなし、ネット配信で知らされることがなかったら、騒ぎになりようのない、周囲の人達のみが知っている“たわいのない悪戯”で終わっている。
悪戯や遊び半分の馬鹿騒ぎということでは、戦時中までの世代の方が荒っぽかった。荒れてきてはいるがそれでも飽食の、平和な時代のたわいもない悪戯とはわけが違う。食うや食えない世の中で、しょっちゅう戦争。まじめにちまちまやってたって、徴兵で引っ張りだされて、思い残すの残さないと言ってる間もなく簡単にあの世。人の命すら大事にしてなかったところでの面白半分や悪戯が今と似たようなところで止まるはずもない。
戦後の復興から高度成長期を経て、平和な世の中になった。平和になりすぎて、そこにある器じゃ収まりきらない、雲をつかむような夢を追いかける規格外れの、昔の言い草でいう“サムライ”がいられるような社会じゃなくなった。若い人達からすれば、出自や受けた教育、。。。あれこれ考えればどう考えても可も不可もない代わりに大したこともない、良くも悪くもちんまり収まった自分の将来が、ずーっと先の将来までが見えてしまっているような気がする。
その一方で、自分や周りの皆と比べても何も特別なものを持っていないにもかかわらず、少なくとも、自分の悪戯をネットで配信する人達にはそうとしか見えない人達が、マスコミでうろちょろしている。そこに、誰でも、お気楽お手軽に世界に発信する手段が用意されていたら、起きるべくして起きることが起きる。
一昔前だったら、暴走族という選択肢もあったろうが、ヤワな世界じゃない。平和な時代の日常生活に毛の生えた程度じゃとてもじゃないがついてけない。勉強にしても、何にしても一所懸命、切磋琢磨して、努力に努力を重ねてゆく精神的体力はないが自己顕示欲だけはある。平和な、飽食の時代がもたらした世代、何もないから何かあるに至るちまちま努力は性に合わない。あるのはお手軽だけ。
悪ふざけのネット配信の話を聞いたとき、知り合いに解説?されるまで何を騒いでいるのか見当がつかなかった。分かってみれば若者のたわいのない悪ふざけ。悪ふざけを肯定する気もないが、若気の至りの悪ふざけ、それで人生を棒に振るようなことのない、多少は寛容な社会であって欲しいと願う。ネットで配信しなければただの悪ふざけに過ぎない。Facebookで素性を明らかにするのは個人の自由。したければすればよし、嫌ならしなければいい。ただ、わざわざ素性をあきらかにするからには、発信内容に多少の注意をはらうべきだろう。それが分かっていれば、今回のようなばか騒ぎは起きない。何を馬鹿なこと言ってると一笑に付されるだろう。それでも、意味のない余計なお世話を承知で、そう思う。
悪ふざけは悪ふざけと分かっててしてる。まさかそれを分かってないとは思わない。悪ふざけは一握りの周りの人達と共有するから悪ふざけが悪ふざけになるし、悪ふざけで終わる。今更言うまでもなく当たり前のことだろう。
ある意味悪ふざけよりたちの悪いのがいくらでもいる。それも学生の年齢でもない、一端の社会人だ。いい歳して、ちゃちゃな自己顕示欲だけで生きている、自分はエリートだと信じきっている。地方の国立大学の理系の院卒で、裕福な家庭に育った三十路になろうかとしているのが、就業時間の一時間も前に無断で事務所を出て、ネイルサロンに行ってかなりの時間をかけて“爪”のおしゃれをした。無断ででたことを周囲の人は、まさかネイルサロンに行ったとは想像もできなかった。何か仕事の用事で出かけたのだろうと思っていたらしい。ところが定時をちょっと回ったところで、その立派な化学の修士さまが素性を明かしたFacebookで、一時間以上もかけて丹念に。。。と自慢たらたらのコメント付きで、おしゃれした“爪”の写真をアップしてきた。
おしゃれした“爪”、確かにきれいだろう。それでも、そのきれいな爪をみて、ひっかかる男もなかなかいないと思うのだが。爪のおしゃれも分からないオヤジの言い草なのか、類は友を呼ぶで、似たようなレベルのがいるかもしれない。
男でも女でもこの類の精神構造の人の仕事は、中身より格好付けが優先していて、なんとも使えない。中身が必然として外に出てくる。それが格好というもので、格好を優先したら必然として中身が疎かになる。ちゃちな自己顕示欲が芽生えそうになったら、もう一度中身を気にしてみることをお勧めする。
2013/9/21