日本学術会議の法人化をめぐって
五月十七日、セミナーで日本学術会議法制化を問題と(反対)する話をお聞きした。ニュースで耳にしてはいたし、何が問題なのかもほぼほぼ分かっているつもりでいる。講師の先生方のおっしゃることもよくわかる。保守政治屋と腐れ官僚が学術会議も自分たちの支配下(利権)に置きたいというのも想像がつく。ただ下働きに明け暮れた工員崩れの目には、問題は遥か上の世界のことでオレが知ったところでという気持をぬぐい切れない。そのせいもあって、あえてニュースの詳細を追いかけようとはしなかった。市井の人たちが今もっとも気にしているのは米価で、次にくるのは下がり続ける可処分所得や福祉水準の低下だろう。お話を聴いていて、巷の人たちに大学の講義のような口調で語ったところでという気がしていた。セミナーでお聞きしたことを反芻していたら、二日後の十九日にとんでもないニュースが飛び込んできた。
「殺すぞ」恐喝も…東大院教授、高額接待強要か 一晩で100万円 大学側の対応は?
https://news.yahoo.co.jp/articles/a50c753f578f562e01e07e9d65ff6ac09e3dec4f
5/19(月) 16:16配信
urlをコピーしておいても、Yahooニュースは後日参照しようとしても抹消されていることが多い。そこで似たようなニュースはとググったら、更新したようなものができた。これもいくらも経たないうちに消去されているかもしれないが、似たような記事はいくらでも残っているだろう。
「東大教授ら『高額接待強要』被害者が告発も大学側は“放置”? 8か月間“動きナシ”に弁護士『重大なコンプライアンス不全』」指摘
https://news.yahoo.co.jp/articles/57ef264d39f207e100975a2f290795cdd6e8ad86
5/21(水) 10:10配信
分かりやすいYouTubeもある。
「殺すぞ」恐喝も…東大院教授、高額接待強要か 一晩で100万円 大学側の対応は
https://www.youtube.com/watch?v=kZtSvjd3rNk
ニュースが伝える「タカリ」は特殊なケースだという人もいるだろうが、それは経験することのないところに身をおいてきたからでしかないと思う。仕事でなんども似たような目にあってきたから、さもありなんとしか思えない。特に植物の光形態形成研究用のLED照明や植物工場ビジネスに関わったときは、産学協同に名を借りたおねだり教授陣の卑俗な姿勢に呆れかえった。支援という賄賂にもなりかねないものを売上をひねり出すための経費だと割り切る勇気はなかった。特に植物工場に至っては、経産省と農林水産省の補助金優遇の手配師のごとく振る舞っているのまでいた。製造業が痛んで、新しいビジネスを発掘しなければならなくなった町工場主が空いた工場建屋をそのまま植物工場に流用できないかと思いだす状況を経済紙が醸成していた。ヤラセのような記事に乗せられた工場主が農学部の名のある先生に相談にくる。農林水産は首都圏の大学が握っていた。経産省をダシに関西で暗躍していた先生は半分身内のような方で、しっかりタカラれた、そして転職して三年目には倒産の憂き目にあった。立派な高潔な先生もいらっしゃるが、いるところにいれば、おねだりする教授陣に否が応でも出会うことになる。
日本学術会議に限らず学者や研究者には自由な発想で自由に研究を続ける体制を提供しつづけなければならないと思っている。ただ、学者や研究者のなかにはニュースが伝えるように「タカリ」を常としている輩もいる。「タカリ」が常態化しているとしか思えない研究室や学部を越えて大学そのものが学長を筆頭に「タカリ」の術で名をなしているようなところさえある。
タカリ常習者を学術会議の会員と混同してはならないと思っていはいるが、巷の多くの人たちの目には似たようなというか、学者や研究者という同じ民族の人たちで、せいぜい部族の違いにしか見えない。
こうして考えて来ると、国民の血税から捻出される研究費の使い道を学者や研究者の自主判断という良心に一存していいものかという不安というか疑問が湧いてくるのを抑えられない。監査なんかしなくてすめば、それに越したことはないが、現実はそんなきれいごとでは済まされない。国民の信をもとに監査する仕組みは必要だろうが、その仕組みが保守政治屋や官僚の、これまたその人たちに一存にまかせるというのでは監査にはならない。
どうしたら納税者の納得のいく監査システムを構築できるのかと考えていけば、当たり前の答えが出てくる。学者や研究者は自分たちはしてきた、しようとしている研究の詳細を納税者たる巷の普通の人たちにも分かるよう公表し続けなければならない。学者や研究者が同業者や学生に伝えるのとは違う。巷の普通の人たちの理解を深め、快く予算という支援を提供してもらうための、あって当たり前、ない方がおかしいという日々の広報活動が求められる。
ここに一つ大事な点がある。どんな話であっても文章であっても、聴く人、読む人が理解できなければ、なんの意味もない。いつまで経っても大学進学率は五十パーセントを越えない。巷の人たちは東大生もでもなければ、有名私立の学生でもない。ましてや単位欲しさに聞くわけでもなければ読むわけでもない。専門用語や学術界での言い回しは許されない。
何をしてきたのか、何をしようとしているかの説明もなしで、オレたちの自由にさせろってのは、巷の人たちの目にはあまりに身勝手な主張のようにみえるだろう。行政の支配が及ぶにおよんで、法人化反対?もわかるが、それって学問の自由という名の自分たちの利権が犯されるのに慌てふためいているだけじゃないかと思う巷の人たちもいること忘れちゃいけない。こんなことを言っていたら、叱責を受ける可能性もあるだろう。工員崩れのチンピラの意見と思っていただいて結構。チンピラの意見にすぎないが、それはなんだかんだで巷の声に近いんじゃないかと思ってる。
2025/6/3