早わかり本とは違うけど
もう二十年以上前になるが、同僚の一人に京大のエースピッチャーだった人がいた。卒業して日本を代表する重機械メーカに就職したが、所属していた事業部が丸ごと外資に売られたことから期せずして外資の従業員になってしまった。事業と一緒に総勢二十人ほどの人たちがひとまとめに身売りされ、明日にはレイオフされるかもしれない立場になった。流石に名門企業の研究開発にいた人たちだけあって、優秀な人ばかりだった。一緒に来たみんなが出来過ぎるからか、京大出にもかかわらず、目立たない人だった。凡庸というと失礼になるが、人のいい優秀な人だった。展示会で出店小間に立ち寄ってくださった方々にお礼もかねて、営業活動にでかけた。巣鴨で山手線に乗り換えて、とりとめのない話をしていたとき、どこにでもある中つりの広告が気になって訊いてみた。
「あの手のハウツーものや、サラリーマン向けの早わかり本のたぐいは読んでもしょうがないよね?」
唐突になんのことかと思ったのだろう、こっちの視線の先にある中つりをひと目見て、こともなげに
「いやぁー、どうにも使いようのないのも多いけど、受験勉強に重宝するものもありますよ。あれこれやっていて、どうもというときに、早わかり本が便利なんですよ。全体像を鳥瞰できるし、個々の要点を分かり易く手短にまとめてるでしょ……」
言われてみればその通りで、なんの知識もなしで製鉄やタイヤに製薬……に飛び込み営業をしなければならなくなったとき、手っ取り早く要素技術の基礎知識や業界地勢図を頭に入れようと手引書のように使っていた。
「忘れてた。そういえば、昔知らない業界に飛び込み営業をかけるときにお世話になっていたな」
「そうなんですよ。受験のとき教科書や参考書なんかより、よっぽど役に立ちましたね。大学いってて、合格できたのもあの本のおかげだったんだなんて思い返してました」
こんなことを思い出して、あああんな本もあったなぁーって考えていたら、読んでいて一気に目のまえに産業界の歴史も含めた壮大な景色が広がるかのような感覚に陥ったことを思い出した。そんな本があったことまでは思い出したが、書名も著者も覚えちゃいない。誰だったかと思い出そうとしても思いだせない。ある晩夕飯を食っているときにパッと著者の苗字が出てきた。確か一橋の米倉。岩波新書だった。そこまで分かればググればで、見つけた。
岩波新書、米倉誠一郎著、「経営革命の構造」。おぼろげだが、書かれていることの全容は覚えている。二十年以上前に読んだもので、こっちも読んで感動した当時のままじゃない。簡潔明瞭、非の打ち所がないない本だが、二次資料、三次資料を手に歴史上の事実をまとめたもので、出版された当時に目の前で起きていることを調査、検証した末のものではない。
「経営革命の構造」は1999年に出版された。九十年代には、日本でも遅ればせながらインターネット環境が整い始めて、Webのありようが見えてきていた。米倉誠一郎は、その時代の幕開けに生きた幸運をみすごしてきたといってもいいような気がしてならない。
生き物のような社会や市場でしのぎを削る生身の経営者は、今のそして将来の社の組織のありようを模索しながら、企業体を運営していかなければならない。「経営革命の構造」は歴史上の事実を詳細に簡潔にまとめたもので、経営者を目指す人たちにとっても必読の書の一冊だと思っている。ただ、それはよくできた教科書にすぎない。今に生きている経営者は学者や研究者とは違う。
ウィキペディアで見たら、米倉さんは経営史がご専門とのこと。生き物の経営は専門外ということなのだろう。経営史が専門の解説者だったということなのか?
2025/3/10