模索から

あちこちの組織を回され、聞いたところで何が残るわけでもない話を聞かされて、入社三ヶ月の研修が終わった。オイルショック後の不景気で生産調整していたため、現場には工数が余っていた。新卒は全員設計部に仮配属になった。いくつかのグループに分けられ、それぞれの仮配属先で細かな仕事をしながらのオン・ザ・ジョブ・トレーニングに入った。グループといっても、偶然一緒に同じ部署に仮配属になったというだけ、特別な関係があるわけでも、生まれることもなかった。高度成長を引きずってのんびりした時代だったのだろう、洗脳教育のようなグループ活動もなかった。
六人まとめて旋盤の設計部の隅に机を二列に並べて、不定期に与えられる雑仕事をしながら、設計基準から歴史に洗われた旋盤の基本構成と要素技術を学んでいった。設計部に入ると結構幅のある通路が目に入る。その通路の左右に各設計グープが並んで設計部を構成していた。幅の広い通路の中央部に設計部長と彼のスタッフの机があった。二列の机、一列三人、二列の間に通路、計六人で一つの設計ユニットを構成していた。設計ユニットの長は広い通路に面したところに机を置き、背後に部下を配置していた。よくある部下の見渡せるところではなく、部下から背中を見られるちょっと変わったレイアウトだった。
新卒が設計部で即戦力になるような甘い業界ではない。ラインの仕事の一端を任せるのは入社の翌年になってからという不文律があった。仮配属というおまけの立場、雑務があったりなかったりで結構自由な時間があった。一日中研究所の資料室にこもって興味半分で先輩諸氏の研究報告書を漁ってたこともあった。資料室から持ちだした資料を読んだり、仲間内の話で時間を潰した。席にいてぽっと顔を上げて正面を向くと、六人の対面のユニットの長が見える。
みんな妙に時間をもてあました感があって、顔を上げれば見えるその長が何をしているのかが気になっていた。ある日、六人のうちの一人が思っていたことを口にした。「あの人、なんか変だぜ。図面を引いているのを見たことがない。毎日、何か資料のようなものを見ては、タバコをくゆらせては、目をつぶって、寝ているわけではなさそうだが、なにもしていない。現場にでることもないし、電話で誰かと話しているのも見たことない。オレたちがここに来てからずーっとそうだ。」皆同じように感じていた。一体何をしているのか。見る限りでは何もしていないようにしか見えない。皆それとはなしにその長を見ていた。何ヶ月か覚えていないが、かなり長い間その状態が続いていた。ある日、突然いなくなった。どこかに移動したらしい。まさか設計をお払い箱になったわけでもないだろうと、皆が勝手に想像していた。
入社して丸一年経って仮配属の期間が終わった。正式配属で六人がバラバラになった。技術研究所開発設計に配属された。配属先にいったら、その何をしているのか分からないと思っていた係長の下だった。口数の少ない人で一体何を考えているのかよく分からなかった。ひと月ほどして新型旋盤の描いている途中の詳細設図を見せられた。未完の図面から部品図をおこせと。入社して一年、旋盤がなんなのかぐらいは分かっていたが、図面をいくらみてもよく分からなかった。図面が未完だったこともあったが、こんな旋盤もありなのか、こんな刃物台、一体どうなっているのか読み切れなかった。研究所の資料室で海外のものまで含めていろいろな資料はみたが、常識ではなく想像の域をはるかに超えた凝りに凝った旋盤だった。
後で周囲の人から聞こえてきたことだが、研究所の所長からでてきた開発要求が尋常なものではなかった。設計としてその要求を形にできる技術屋は全社を見渡してもその係長しかいないということだった。設計部にいた時に毎日、ぼんやりしているように見えたのは要求を満たす構造の、常識では考えられない旋盤の構造を考えていたのだろう。誰と話す訳でもなく、ことさら資料を漁ることもなく、自分の頭のなかで要求を満たす基本構造をねっていたとしか思えない。新卒で何も知らない者には、ただのうつけにしかみえない。周囲の人たちが毎日忙しく仕事に追われているなかで、一人、ただただ考え、構想を固める作業をしていたのだろう。
周囲の人たちは、毎日バタバタして忙しい。忙しいがその人達に仕事をしているという充実感を与える。業界をリードしてきた老舗の工作機械メーカの本社の設計部隊の技術屋、その忙しさ、当時の日本の産業界においても本物の充実感だったろうし、産業界を背負っているという自負もあったろう。しかし、その充実感、同じようなことの繰り返しから生まれた充実感で、一線を画して創造的な、新しいものを生み出す達成感からのものではない。ただ仕事が流れて、仕事に流されて忙しいだけの充実感。
研究所の所長が口癖のように言っていたのを思い出す。「ないものねだりをするのが営業、その営業のわがままを実現するのが技術屋」出来なくて当たり前、その当たり前を当たり前でなくすことで存在する人たちがいる。どうにもならない状況下で、そんな状況下だからこそ、今までに想像もしたことのない新しいやり方、新しいものを生み出さざるを得ない。それはバタバタの忙しさが生む充実感とは別の世界の充実感で、達成感といった方がいいかもしれない。その達成感を得るプロセスはバタバタとはかけ離れた、一見何をしているの分からない、何もしていないようにすら見えかねないところから生まれる。
本当の仕事、価値ある仕事とは苦境のなかで何とかしようと思索するところからしか生まれない。景気もいい、会社の業績もいい、ボーナスも期待できるといった調子のいいとき、確かに忙しいし充実感もある。しかし、それは次の時代を形作る何かが生まれるときではない。次の時代はどうしようもない状態のなかから、このまま行けば崩壊する状況の中から生まれる。今の日本のどうしようもない閉塞感。この閉塞感、次の時代の揺籃期の症状なのか、その揺籃期に入ろうとしているときなのかもしれない。
2013/12/15