熱意なくしては、

輸出業務代行子会社で雑多引受のよろず屋のような毎日を過ごしていたが、何かしなければという気持ちだけは残っていた。コンピュータの勉強をと思ったが、マイコンなどというおもちゃが出てきた頃、小遣いで手の出るようなものではなかった。ポカッと空いた精神的な空白と特別な予定のない夕方。小遣いと夕方の数時間でなにかできることはないかと思っているうちに出てきたのは英会話だった。
仕事で英語を使う機会は限れていた。英会話学校に行ったからといって何があるわけでもなかったし、何かあると期待もしていなかった。何をしたらいいのか思いつかないからというだけの英会話学校だった。
先生もいい人が多かったし授業もそこそこしっかりしていた。それでもパターンプラクティスやクラスメートとの対話などの時間が多く、教師として教えるという熱意と労力が要求される授業はほとんどなかった。かたちながらの定型化された授業が一つずつ消化されて行くだけ。実用としての英語の能力が向上する実感はなかった。
労働としての仕事と目標をもたない能力開発もどきの月日が流れていた時に、突然ビザが下りた、明日からでもニューヨークに行けとの辞令がでてきた。ゆくかもしれないという噂話は聞いていたが、ありえない話と高をくくっていた。一週間で荷物を整理して何の準備もなしで赴任した。研究所勤めに輸出子会社、生産現場も知らなければ自社が製造販売してきた、している機械もろくに知らないのがある日突然、米国でフィールドサービスだから無茶苦茶というか無謀な話で、とんでもない駐在員生活をおくることになった。
毎日のように米国の中西部まで客に行っては機械を据え付けたり、修理してという生活に慣れてきたときメキシコに三週間出張した。金曜日の午後指示が出て、月曜日にはメキシコ・シティに飛んで、右も左も分からない、英語が通じない世界でなんとかんとか仕事を片付けて帰ってきた。
無知が故なのだが、英語でならなんとでもなるという気持ちもあって、面白半分にスペイン語をちょっとかじっておこうかと思い立った。会社のセクレタリーが地域の高校で毎週一回スペイン語の成人向けクラスを見つけてきてくれた。ボランティアの先生が教えていた。授業料は一回ニドル。ただみたいなもので、マックも食えない。外国語を勉強するのだからと、西和・和西を持参して初授業に行って驚いた。
先生が教室中を走り回って身振り手振りで言わんとしていることを示しながら、それをスペイン語で言う。何度も同じことを繰り返して言う。そして生徒にそれと同じことをオウム返しに言うことを求める。一つの言い方の目処がつけば、その延長線というのか派生的な言い方が続く。その間中先生は何も書かれていない黒板を前に派手なジェスチャ−をしていることもあれば、困っている生徒のところに早足できて、先生が言う、生徒に言わせるを納得するまで繰り返す。教えるのが楽しくてしょうがないった風情でニコニコしながら走り回る。強圧的なところもなし、上から下にという日本人にありがちな先生らしさもない。生徒にスペイン語を習得して欲しいという熱意が全てを支配していた。
授業中、英語は禁止、スペイン語だけが許される。メモやノートを取ることも、辞書を引くことも許されない。今風の言い方で言えば、テンションの高い二時間があっという間に過ぎてゆく。休憩時間には英語で先生と生徒ではなくどこでもある大人の話になるが、授業を始めればまたほとばしる熱意のスペイン語になる。
考えてみれば、言葉は本来耳と口から始まって、文字を書いたり読んだりはその後のはず。外国語の習得に読み書きが主体で、耳と口は後回しというのがおかしい。もっとも、日常の実用は不要、教養のためというのであれば話は別だが。
スペイン語の教室に行くたびに、先生のどうしても教えたいのだという、ほとばしるような熱意に圧倒された。日本に生まれて日本で教育を受けたが、あのスペイン語の先生のような熱意、欠片ですら感じたことがない。
随分年を経てだが、ボストン郊外の町の小学校と中学校で教えるということに対する先生の熱意を受けきれなかった。毎学期末に子供の学習状況を全ての学科担当の先生方からそれぞれ小一時間の説明を受けなければならない。日本では考えられない詳細な説明で、時には親としての教育方針や希望を具体的に説明することを求められた。教師としてのプロ意識と熱意に受け身でしか対峙しえない日本人の親のだらしなさをさらけ出した。それは言葉の不自由さを言い訳にし得る類のものではなかった。
いい悪いではなく状況対応型とでもいう日本人の生き方というのか文化を引きずっているところから、自分の有り様まで含めて将来を見据えたこれをしなければという熱意がどれほど生まれるのか。最近の言い方で言えば空気をよむというのだろうが、場の平穏を重視し集団のなかの違和感のない一員としてのあり方を優先するところに事を成す熱意が、それを生むエネルギーがどれほど生まれてくるとは思えない。
ことは教育だけではない。社会も組織もそれを構成する個人個人に負っている。その個人個人が今と将来をどうしてゆきたいのかという、何かをしてゆくための熱意をどれほどもっているのだろう。時間が過ぎれば終わりというだけのことなら熱意など無用の長物だろうが、何かことを成すには最低限でもそれなりの熱意がいる。熱意にないところからは何か意味のある、価値のあるものが生まれるとは思わない。
2015/3/xx