阿る術に磨きをかけて(改版1)

二十年以上振りにかつての同僚、年齢では一回り下から電話が入った。こっちがいる会社に業務上関係した会社に転職したから挨拶だと言う。来たいというのを断るのも大人気ないと思って都合をつけた。利に敏いのがただの顔見世だけで来るはずがない。困っているのは分かっていた。転職した会社、中程度の大きさのビル管の通信ネットワークを担当したがバグでトラブルを抱えたまま解決できないでいた。こっちはそのネットワークを使った統合管理ソフトウェアのプラットフォームを提供していたから、確かに同業と言えないこともない。仕事で関係するかと言えば、しないわけでもない。ただ、どちらも自社でエンジニアリング業務は提供しない。実務はエンジニアリング会社任せ。販売しているパッケージ・ソフトウェアの技術サポートまでで細かなことには関与しない。そのため、お互い関係しないかといえば関係するが、実務で直接関係することはない。まともな製品を提供して、それなりの力のあるエンジニアリング会社が両方を使ってシステムを構築してゆくだけの関係に過ぎない。
お互い歳をとった。歳はとったが人としてのありようは何も変わってないのに驚いた。驚いてはいても涼しい顔をして聞き手に回った。そもそもこっちは何も困ってないし、あえて会わなければならない理由もない。会いたいというから時間の都合をつけているに過ぎない。昔と変わらぬ阿る口ぶりで、お互い同じ釜の飯を食ってきましたよねって言葉の節々に懐かしさを込めながら、当たり障りのないような世間話を続けていた。いつ切り出したものか、間を持たせて訪問の目的になかなか入ろうとしない。
お前のその多分自慢の処世術おかげで何度も泥沼に入っては必死の思いで片付けてきたのを分かってるのかこの痴れ者がと思いながらも平然とバカ話を聞いてやる。散々イヤな目に合わされてきたがそれを持ち出すほど野暮じゃない。困ってるなら困ってると、助けが必要なら必要とはっきり言えばいい。困っている人がいれば経緯など関係なくできる限りの助けはしてきたしこれからもしてゆく。お人好しのお節介としか思われなくてもかまいやしない。それが人ってもんだろうとしか思っちゃいない。
ちゃちな見栄でもあるのかなかなか本題に入ろうとしない。しょうがないからこっちから例のプロジェクトはどうするつもりなんだと切り出した。話しやすくしてやったのに困った様子を見せようとしない。いつまで見栄というのか虚勢を張ろうとするのか、いい加減にしろと言いたくなった。おいおい、お前にとっちゃこの業界初めてだろうけど、こっちはもう何年もやってる。あのプロジェクトはどうにもならないというのは業界でもよく知られた話で、お前の米国の本社でなければ解決できない。日本でまともな事業展開しようと思うのなら、まず本社をなんとかしろ。お前のところのソフトウェアのそれも基幹のところのバグなのでアプリケーションでは逃げようがない。助けたいのはやまやまだが、うちも含めて誰も助けようがなくて困っている。こうして来社して頂いたのはありがたいが、うちとしてできることは何もない。多分、よそでも似たようなことを聞いているだろう。
ここまで、できる限り穏やかに、親切に話していったつもりだが、返ってきた言葉に呆れた。以前から言いたいことをおっしゃってこられたのは変わりませんね。それはこっちのセリフだ。お前のその阿(おもね)る態度と話し方もちっとも変わっちゃいない。いい加減に自分というものをしっかり持って事実に素直に生きたらどうだ。立場の上の人間の顔色見ながら平気でウソでも何でもついて世渡り上手を目指して生きたとして何があるといいたいのを抑えて話を聞いてやった。
二十年以上振りにわざわざ訪ねてきて、何にしきたのかと思えば自分のように世渡り上手に生きた方がいいですよって言いに来たのか?呆れてものも言えない。できることと言えば、微笑みを絶やすことなくご高説をイエスでもノーでもない、聞こえてくる雑音にたまには意味不明の相槌を打ってやる。どのみち何をやっても行き詰まる痴れ者に一時の快感を味あわせてやるくらいの度量がある自分に驚いた。
世渡り上手こそが生き延びてゆくすべと、立場の上の人たちにその都度その都度阿てきたのだろう。三文役者よろしくマネージャーの役をこなすだけの小手先のスキルは培ったが、いかんせん中身がない。何ができるのかと問われて正直に答えたら、xxxの役を、yyyの役を、zzzの役をしたことがありますというのが数十年に渡るサラリーマン稼業で培ったものでしかない。それに気がつくほどの知能もないといってしまえばそれまでなのだが、今までお会いした方々、改めてみれば似たり寄ったりのが何人もいるような気がする。阿るに長けたとしてなにがあるのか考えることもなく人生をまっとうしたと思う人生はないと思うのだが、変わった意見なのか。

p.s.
後味の悪い再会から三年ほど経ったころ知り合いから電話が入った。これ以上やったところで何になると思って辞めた後二年以上空席なっていた社長のポジションにあの痴れ者がなった。適任だろう。あそこでは何か実のあることなどしようとしないで、阿れていればなんとでもなる。
さすがに阿るとは言えないからだろう、人によってはそれを処世術と呼ぶ。多少なりとも人生なり仕事なりを考えたことのある人はそれを時間の無駄と考える。

2015/3/8