環境を変える、人は変る

展示会場をほっつき歩いていたら後ろから声をかけられた。何社か前のときの部下だった。一緒にマーケティング部隊にいたときは使いようのない人材と思っていた。どのような内容の話でもほとんど口を開くことのない人で、精神的に問題を抱えているとしか考えられなかった。転職してから一年ほど経ったとき事業縮小を理由に解雇されたという噂を聞いていた。一緒に仕事をし続けて、もし人員削減が必要になったら一番先に解雇していただろうから噂を聞いても驚かなかった。
病的な無口に加え、人が声をかけるのを躊躇させる雰囲気。職場の誰からも相手にされていなかった。チームで仕事を進めてゆくために彼女を変えよう、話をしてゆけば変わってもらえると能天気にも考えていた。ただ、何をどう話そうと閉じこもって相手にされなかった。
その人がまるで別人のように明るい声で話しかけてきた。ちょっと早口で一回目の転職先の話から今の仕事の話。。。同一人物とは思えない。立っている姿勢までが違う。自分の足で立っている、やりがいのある仕事をしているという自信が言外に滲み出ていた。一緒に在職していた二年間で交わした言葉と高々五分かそこらの立ち話。。。それもこっちが聞き手で相槌を打つ間もなくきちんとした日本語で次の話がでてくる。
数年間で彼女に何があったのか。一緒に在籍していた頃と展示会の会場での出会いを思い出しては考えていた。誰しも仕事で行き詰まったり私生活の問題で悩んだり落ち込んだり、逆に行け行けどんどんだったりで態度や姿勢、話に明と暗はある。また生来的に根明の人もいれば根暗の人もいる。それでも、ちょっと前まで極端な根暗だった人が、どうしてここまで変われるのか、変わったのか。どっちも彼女なのだが、どっちが本当に近い彼女なのか。
明と暗、どっちがと考えていたが、当時のマーケティング部隊の状況を考えれば、本当の彼女は展示会場に出会った彼女だったのだと思う。当時、彼女の直属の上司はベテランの女性だった。一見仕事をそつなくこなす能力があるように見えるのだが、慣れた仕事を自分の流儀で流すことに長けているだけの人だった。感情の起伏が大きく、仕事も関係者も好き嫌いで仕事をしていた。外注先へのクレーム電話があまりに強圧的なのでびっくりしたことがある。人間関係を上下関係でみる−上にはへつらい下には傲慢にの傲慢をもろに受けて日常的に彼女の人としての尊厳まで無視されていたと考えれば起きていることに説明がつく。だらしない上司でそれにほとんど気が付かなかった。解雇されて何らかのつてをたどって就職した先では人と人とのフツーの関係があり、仕事をすればそれなりに評価もしてもらえるフツーの職場なのだろう。
ちょっと押し込まれれば殻に閉じこもってしまう性格なのかも知れない。でも殻から転がりでれば展示会場の彼女がいる。どっちも彼女。でも彼女自身は本質的には何も変わってはいない。彼女が自分の性格を理解して自分で変わろうとしても変えられないだろうし、何らかのきっかけや仕事の関係や個人的関係で知り合った人も彼女の性格そのものを変えることはできない。ただ、環境次第では個性の明の部分が活躍することもあれば暗の部分が全てを覆い隠すこともあるということに過ぎない。比喩として適切ではないかもしれないが、どの遺伝子が発芽するかに似ている。明の遺伝子が発芽すれば明の彼女が、暗の遺伝子が発芽すれば暗の彼女がでてくる。
いろいろな人たちが集まって組織をつくって仕事をする。不幸にしてその組織のなかで活きない人たちがいる。上司や周囲の人たちは活きない人たちに変わることを要求する。要求されて変われればいいが、変えられるのは表面的なことに限られる。できるの(はしばし苦痛を伴ってまでの)変わったように振る舞うまでだろう。その表面的なことを変えるのに人としての尊厳まで関係してくれば、いつ崩壊してもおかしくない強いられた変わり方になる。
人としてのありかたから組織のもっと言えば社会のありようからして、本質的に表面的にしか変われないものを変えさせようとすることにどれほどの意味があるのか。
環境は変えられるが人は変えられない。環境が人の持って生まれた性格のどの部分の発芽を促すかを決める。できることは、人にはいままでよりも活きて頂ける環境を提供しようと努力することだけだろう。人を変えようなどと思いあがった考えや行為は慎んだ方がいい。
2014/6/8