ボストン-避けたい町(改版1)

ボストン市内や周辺には機械加工を主体とした製造業が少なかったからだろう、仕事でボストンへは希だった。覚えている限りでだが主要な客は三軒しかなかった。市内から北に行ったEverettにある荒んだ町工場に行ったのが最初だった。第一印象が大事というのを聞くが、そんなもので人や物事を評価できる訳がないと思っていた。ところがボストンはその通りだった。何の前知識もなしで得た第一印象、十年後に出張で行って同じように思って、それからまた十年、ボストン郊外に引っ越して日常生活で再確認させられた。
Logan空港のAvis(レンタカー屋)の女性従業員のつっけんどんな物言いに、おいおいその言い方ないだろうというのが始まりだった。GPSなどない時代、レンタカー屋で簡単な地図をもらって大まかな行き方を聞くのが一般的だった。地の利もないし言葉も不自由。知らないことや聞いたこともないことは一度で聞きとれない。聞き直したり確認することが多かった。それが従業員をいらいらさせたかとも思う。嫌な顔で無視というより蔑視に近い態度にまいった。
後年、ボストン市内から一歩でたところに本社がある画像処理メーカに転職した。年初のSales kick-off meetingで久振りのボストン。ミルウォーキーに本社がある制御機器メーカの画像処理事業部を買収していたこともあって、そこには十年来の仕事仲間が何人かいた。昼食時にその何人かと始めて会った本社の数人と世間話をしていた。たわいのない話から、ちょっと大げさに言えばボストンの精神風土の話になった。誰もがボストンの人たちのフレンドリーでない態度が好きになれない、馴染めない。。。、お前えもかという妙な共感が生まれた。
ボストンが歴史のある都会だからじゃないかとミルウォーキーから引っ越してきた人たちの意見。それに対して画像処理メーカの生え抜き従業員がそれは違うと言い返した。彼は中国系アメリカ市民でニューヨーク市に住んでいたことがある。歴史のある大都会ということではニューヨークはボストンの比ではない。ニューヨークは文字通り人種のるつぼで、日常生活では誰も国籍や人種を気にしない。少なくとも表面的には気にしているように見えない。そこではあからさまな人種差別を感じることはないがボストンでは日常的に感じる。それが、ボストンがフレンドリーでないと感じる本質だというのが彼の意見だった。
数週間や一月二月の滞在ではなく、家族も連れての駐在になると遭遇することが質量ともに違ってくる。日常的にボストンの人たちに特徴的な志向や嗜好を肌で感じられるようになる。ボストンという町としての特殊性、その特殊性が生み出す人々のメンタリティー。メンタリティーも人それぞれ、みんな違う。みんな違うのだが、違う人と人との絡み合いのなかからボストンという町の特殊性−精神風土が再生産されてゆく。
ボストンをボストンたらしめているのは大学とそこから派生したハイテク産業や金融・サービス産業だろう。ハーバードもあればMITもある。ボストン大学やタフツ、数えていったらちょっと疲れるほどの大学がある。そこから八十年代までは東のシリコンバレーというよりシリコンバレー以上と思われていたルート128がある。歴史の重みとでもいうのか大企業の硬直化した文化のしがらみのせいなのか今やシリコンバレーの後塵を拝した感がある。それでも米国というより世界の学術・研究の集積地としてのボストンに変わりはない。
高学歴社会につきものの競争も熾烈なのだろう。あれをしてこれをしてと若いときから時間に追われる生活が染み付いてしまっている。そのためだろうが赤信号に引っかかって止まっている(はず)のとき、白線の後ろでおとなしく止まってられない。急がなければ遅刻するという焦りもあってか、青信号に変わるのを待っていられない。車がじわじわ前に動いているのが特殊なケースではないから驚く。
多くの大学が歴史的に見ればヨーロッパからの知識や思想の移植から始まっているからだろう、いまだにヨーロッパに対する畏敬の念がある。出張であちこち行ったが、ボストンほどSAAB(スウェーデンの自動車メーカ)が走っている町はない。SAABが走っているから何だと言われるだろうが、SAABはボストンの人たちのヨーロッパへの憧れの象徴のような気がする。高学歴で中流意識、アメリカ車はいやだがベンツやBMWに乗るほどの金はない。日本車ではみんなと一緒になってしまう。知識階級にいる者として気取った車はないかということでSAABになる。ボストン以外の町でSAABと言っても、知っている人が一人もいない町がほとんどだろう。
ヨーロッパに対する憧れの反動からだろうが、アジア系に対する軽視はしばしあからさまで、それはもう人種差別と言っていいと思う。程度の問題でどこにでもあるが、北部のそこそこの大きさの町のフツーの地域にいる限りボストンのようにあからさまに感じることはなかった。マンハッタンを歩いてればアメリカ人に道を聞かれる。道が分かればいいだけで、聞くのは知っていそうな人なら誰でもいい。日常的なことであれば人種など気にしない文化がそこにある。
教育レベルが高いからだろうが、しばしそこまで気にするかというほど健康志向が強い。太りすぎの人の割合が 極端に少ない。ミルウォーキーから引っ越してきた連中のなかにはエクササイズの度が過ぎて病気じゃないかと思うほど貧相になったのがいた。ミルウォーキーのあるウィスコンシン州はDairy State(酪農州)と呼ばれ、体格のいい人たちが多い。ボストンは総じて男性も女性も日本人がイメージしているアメリカ人より小柄で痩せているのが多い。痩せぎすの風貌からはアメリカ人の野放図な明るさではなく、天候に恵まれない北ヨーロッパの陰湿さえ感じることがある。
ボストンの人たち、一言で言ってしまえば持てる能力や時間に対してオーバーコミットメント(Over commitment)でいらいらしている人たち。そこにヨーロッパに対する憧れの裏返しのアジア蔑視。それが時間をかけて醗酵してフツーの人たちを見下す町の文化にまでなっている。アメリカ人でさえボストンは好きになれない、生意気な嫌な町というのが一般的な気持ちだろう。日本人としてはできれば遠慮したい町。出張や旅行でもボストンだけは行きたくない。
興味深いことに、東京でボストンに行ったことのある人たちの話を聞くと、全く反対の印象を持っている。ボストンを嫌な町と言った人に会ったことがない。あの高慢ちきであけすけな人種差別をする人たちの町のどこか気に入ったのか説明がつかなかった。何人かの話を聞いてゆくうちに、その人たちに共通していることから転倒した印象の理由が分かってきたような気がする。
その人たち、(語学)留学で、あるいはその関係の仕事の人たちで、まず滞在期間が短い。ボストンにいてもボストンのほんの一部としか接触していない。あからさまな人種差別を感じとるまでの時間もなければ機会もない。ただヨーロッパ風のニューイングランドスタイルの町並みを見て、落ち着いた大学町といういい面だけを見てボストンがいい町だといっているに過ぎないとしか思えない。
観光旅行に毛の生えた程度の時間と遭遇し得た場の印象。そんな印象でいい町というのなら、ボストンに限らず世界中、ほとんどどこに行っても、よほどのことでもない限りなんだかんだでいい町だろう。
2015/5/3