コナコーヒーとうんちく(改版1)

もう一年以上前になるが、紀行番組でハワイ島西海岸が取り上げられていた。さらっとした作りで、タレントなのか芸能人なのか、何の縁があるとも思えない人がでてこない。変な味付けもなく、作り物ではない町の人々の日常生活を映していた(ように見えた)。フツーの人たちの日常では番組として成り立ちにくいのかもしれない。海外の紀行番組では、観光地や歴史遺産などの案内物が多い。そこにタレントか芸能人のとってつけた話で、食傷気味だったところに、ちょっとに新鮮だった。

オアフ島までは行ったことがあるが、ハワイ島は名前までで、番組を見るまで、どのようなところなのか知らなかった。かろうじて活火山とのどかな楽園。商業資本によって作り上げられた表層だけの知識しかない。
いつものように街の散策が続いた。住んだら住んだで大変なのだがろうが、田舎のない東京下町の者には楽園に見えた。いいところだと思って見ていたら、ひょんなところから歴史的な話になって、生活という現実に引き戻された。今日の綺麗でのどかな町に至るまでに入植者の必死の努力があった。

ハワイ島が火山性土壌で起伏が激しいことからサトウキビ栽培には適さなかった。サトウキビ栽培に失敗して、コーヒー栽培を始めた。サトウキビ転じてコーヒー、そこから今日のコナコーヒーがある。その栽培に二百年もの歴史があるとは知らなかった。二百年前に先人が辛苦の果てに作ったコーヒー畑。そこに日系の農家がでてきた。農家のおじいさんが取材に来た人をコーヒー畑に連れてでて、コーヒー豆の収穫のありようを見せてくれた。一見起伏の激しい荒地にコーヒー畑がある。起伏が激しくて機械を導入できない。いまでもコーヒーの実を見て、熟した実だけを素手で摘み取っている。

家に戻って、いれ立てのコナコーヒーを飲みながらのちょっとした会話。「曾爺さんが土地を買える権利を貰って、土地を買ってコーヒー畑を作ったのが、うちの農家としての始まりだった。。。」取材の人が農家のおじいさんにコナコーヒーがおいしい訳を、多少の世辞を込めてにしても、あまりに安直に「おいしい秘密はなんですか?」って訊いた。ここで日本の農家おじいさんなら、真顔で「愛情」ですよとか「真心」などという恥ずかしげもない答えが(フツーに)返ってきかねない。そこは日本の画一化された商業文化に毒されようのないハワイ島のおじいさん。日本の視聴者のありふれた期待など知る由もない。
何考えてんだ、この若いのはという口調で「二百年も保てる秘密なんかありっこないだろう」「特別なことはなにもない」「ただ起伏が激しくて機械を使いたくても使えない」「手で摘むしかない」「手摘みだから、熟していない実を採ってしまうことも少ない」「もし採ってしまっても、熟していない実や痛んだ実はその場で捨てる」「熟したいい実だけがコナコーヒーとして出荷される」「だからおいしいコーヒーを飲めるだけだ」

手間暇かけざるを得なくて、かけた結果がおいしいコーヒーになった。そこには愛情だとか真心込めてだとか丹精込めてなどという日本の巷の常套句はない。媚びることもなければ奢るわけでもない。変な自慢もない。ただただ、農家として、せざるを得ないことをしているだけ。裏も表もない事実だけをボソッと言った顔はただのの農家のおじいさん。ただの農家のおじいさんの何もかざらない普段着の話。中身以上によく見せようなどという下心、あってフツーの気持ちがある限り、できそうでできない。できそうでできないというより、逆のことを良しとする文化−なにはなくとも格好だけはつける社会にいる。ましてテレビ局のカメラを向けられて。。。
そっけない話しぶりに、大げさに言えば人のありようがある。実があれば飾る必要もない。素のままの自分がある。誰が何を言おうが、やってきたという自負に裏づけられた自分がある。

何を言うにも「愛」だの「こころを込めて」から始まって「xxx道」などとおおぎょうだった格好付けから、挙句の果てが官民揃って何がどこまで意味があるのか分からない「yyy認定」なんてものまである。
格好付けたものが当たり前。付いていないものに違和感や不信さえ感じる価値観を植え付けられて?そんなところに自分のありようがあるのか、心配になる。

コナコーヒー、人件費も土地も高い米国で手摘みの希少価値。『爪の垢を煎じて飲む』ではないが、コナコーヒーを飲んでちょっとは考えなきゃって。気になってWebで調べたら「希少品なのでブレンドされていることが多いから、配合比率を確認することをお勧めする」「偽物も多い」と書いてある。もっともらしい商品名の「そば」のそば粉の含有量が小麦より少ないのが当たり前の国。コナコーヒー飲みにいって、愛情やら、こだわりの自家焙煎で。。。「うんちく」を聞かされたあげくに、飲まされたコーヒーはほとんどがコナコーヒーではなかったなんて、フツーにありそうな気がする。
コナコーヒーの始まり−栽培農家には「うんちく」がなくて、どこまで本物か分からない日本のコーヒー屋には「うんちく」がある。「うんちく」、本物は必要としない。
愛情に満ちた、なんとか道(どう)の多い、親切に溢れた紛らわしい国。そんな美しい国が和食で世界遺産だというから、ますます怪しい。残念ながら、コナコーヒーの爪の垢は売ってない。
2016/5/8