家に帰って勉強しろ(改版1)

油職工になりそこなって海外関係の便利屋のような仕事をしていた。同期どころか後輩すら中堅技術屋に向けて地歩を固めているなかで三十過ぎてなにもない。そこは老舗の工作機械メーカの文化、技術に直接関係する業務に携わなければ技術屋ではない。工場から営業所に出れば、たとえ名刺の肩書きに“技術”の二文字があっても、それは社外向けの話しで社内ではもう技術屋ではなくなる。
海外からのクレーム処理で日々が過ぎてゆく。何の考えもなく将来は漠然としていた。メシを食ってくためにどうするという考えなどなかった。ただ何かしなきゃって軽い気持ちで夕方の英会話の学校に通い始めた。
歴史のある米国の財団が運営している英会話学校からだろうが、生徒の多くは企業から派遣された人たちだった。八十年初頭、海外もやっと身近になりつつあったが、英語で仕事の人たちは限られていた。そんななか学費はおろか残業手当までつけて英会話学校に従業員を送る企業があることに驚き、そこに来ている人たちとの彼我の差を目の当たりにした。
上級クラスになると、十人程度のクラスの半数以上が外為銀行(当時)の行員で、就職して二年目の人たちだった。何人もが高校からの同級生で東大経済卒か法学部卒のエリート。もっとも彼らに言わせると、エリートは中央官庁か財閥系の銀行で、俺たちは落ちこぼれだった。蒲田辺りで自転車こいで街の商店をと。。。卑下して言っていたが、何気ない会話のなかに学校やらその延長線の話しがでてくる。その五六人に花を添えるかのように二三人の大手都銀の女性行員。
ちょっとしたことから世間話になっても、彼らが見ている景色とこっちに見える景色の違いから話の輪には入りきれない。上っ面で滑らしてその場を凌ぐのが精一杯だった。英会話学校はいくつか行ったが、いつも疎外感を味わわされた。
そこにちょっと変わったのが二人いた。二十代半ばの石油メジャーの社員と油職工崩れ。疎外感ということでは石油メジャーの社員が一番感じたのではないかと思う。というのも、彼を除いて全員ちょっとやそっとのことで首になるような立場でもなし、昔ながらの日本の大手企業で、そつなく立ち回っていればなんとかなる。あくせくしなくても経済成長を続けている日本の会社で年功序列に乗っていれば。。。という余裕というのか切羽詰ったところがない。一人だけ常にPerformanceを問われ続ける社会にいた。
外為銀行の人たちの話は仲間内のことが多くて面白くないが、石油メジャーの人の話は新鮮だった。当時の日本企業では聞けなかったろう。三十年以上経って、今でもいくつか鮮明に記憶に残っている。
「ハイポテ、ローポテ」、最初聞いたときは何を言っているのか見当もつかなかった。職場の上司の口癖らしい。周囲の人たちを潜在的なものも含めて基本的な能力があるか、将来性のある人材なのかを評して、ある人たちを“ハイポテ”、ない人たちを“ローポテ”と呼んでいるとのことだった。“ポテ”はPotentialのことだった。
「このあいだ残って残業してたら、上司に『一人者だろう。残業しなければ生活が苦しいのか?でなかったら早く家に帰って勉強しろ』としかられた。」「うちのマネージャクラス以上は生え抜きが少なくて、能力を買われて引っこ抜かれた人たちが多い。そのせいだろうが、自分の能力というのか個人の能力を気にする人たちだから。。。」彼の話が将来の景色にかかっていた霧を晴らすヒントをくれた。
漠然と英会話を始めてはいたが、既に勉強をする習慣は剥がしようのないほど身についていた。夜は直近で必要な知識を補強する時間、休日はちょっと先の準備をする自分のための貴重な時間だった。時間がもったいない。たまに交友やらなんやらで時間をとられることがあっても、最小限に抑え娯楽やレジャーの類からは距離をあけていた。
仕事を通して得た経験や知識で自分の将来の礎となるものを培える会社でも立場でもなかった。気の会った仲間とわいわいがやがややってれば楽しい。気持ちも和らぐし、人として豊な私生活をおくれると思う。そうしていたいのは山々だが、それでは、将来必要となるであろう知識や能力−たとえその萌芽のようなものであっても−を修得できない。
昼間は仕事で組織や会社に最大限の貢献をすべく全力を尽くす。でも夜は自分の時間。その全力を放射するにも放射する元がなければ、よくて気持ちの空回り、机上の空論で終わる。仕事を一所懸命やっている。やっているから一社会人としての責務は果たしている。オフは豊な私生活を求める権利があるという考え、否定はしないが肯定もしない。それは個人の私生活、入りこむものではない。ただ周りから聞こえてくる豊な私生活の話を聞くたびに、いつかはその欠片でもいいから味わいたいと思う。思いながらも、明日のため、将来のため、それも自分のため以上に周囲の人たちのために準備できるとこは、しなければならないという強迫観念に似た気持ちがある。
ハイポテもローポテも持って生まれたものでもなければ、仕事という日常生活をおくることによって培えるものではない。個人の私生活の積み重ね、志向の違いが長い時間をかけて生み出したものでしかない。
人の私生活における営々とした努力によって培われた知識や能力(ハイポテ)に、豊な私生活をおくっている人たち(ローポテ)が当たり前のようにお気楽に乗っかっているのをみると、三十年以上前に聞いた「ハイポテ、ローポテ」を思い出す。
ストイックな生活をしてきているわけではないと自分では思っているが、巷でフツーに思われている豊な私生活からはほど遠い。一社会人として一職業人としての最低限の責任−一緒にいてくれる人たちや仕事でお世話になる方々にかけるかもしれない迷惑を最低限に抑えなければと思うと、とても豊か私生活をという気にはなれない。
そこは仕事人としての美学以上に、社会人としての人としてのありようまでがからんだ世界。どっちがいいの悪いのと問うまでもないだろうし、問うことでもない。人さまざまと思うなかで自分の生き様があるだけだろう。
2015/4/4