巷の比較優位論(改版1)

何をするにも、好き嫌いで決められることは少ない。与えられた条件のもと、これなら間違いないというのもあれば、できるなら止した方がいいということもある。するかしないか、多少なりとも何に自分が向いているのか、向いていないのかを考える。 何をどう考えるのか、考えた方がいいのかについてちょっと考えてみた。
体躯を使った説明は差別につながりかねないので、もっといい例がないものかと思うのだが、なかなか思いつかない。分かりやすいし、どちらがいいの悪いのの話でもないから、許されるだろう。

極端な条件の方が分かりやすい。ここに相撲に向いた体躯の人と走り高跳びに向いた人たちがいる。その人たちが相撲と目指した方がいいのか、それとも走り高跳びを目指した方がいいのか?ここまで極端な条件と選択肢なら、何を考えることもない。相撲に向いた人なら相撲を目指した方がいい。間違っても走り高跳びの選手を目指すのはないだろう。同じように走り高跳びに向いた人は走り高跳びか似たような競技を目ざすべきで、相撲を目指すのは止した方がいいと誰もが思う。
ただ、どちらを目指そうと個人の自由で、他人がとやかくいうことではない。正論だし、「努力することに意味がある」とか「報われない努力はない」という常套句もある。それでも、圧倒的な体躯の不利をおしての選択は、得策とは思えない。

ここで条件を一つ変えてみる。相撲でも走り高跳びでもなく、綱引きだったらどうだろう?そんな分かりきった確認など、する必要もないと思うだろうが、これがちょっと意外な視点を提供してくれる。
誰もが予想する通りで、相撲に向いた人たちの圧勝で、勝負にならない。綱引きでは、相撲に向いた人たちの体重が有利にはたらく。では、プールのなかで綱引きをしたら、どうなるか?グランドでの綱引きと同じように相撲に向いた人たちの圧勝と思う人が多いだろうが、予想に反して、走り高跳びの人たちの圧勝に近いかたちで終わる。相撲の人たちの体重がグランドでは優位にはたらくが、水の中では体脂肪に浮力がはたらいて、足が浮いてしまう。絶対優位の源だったはずの体重を使えない。腕の力だけで綱を引っ張っても力にならない。

極端な体躯の違いと環境の違いが大きな結果の違いを生む一つの例だと思うが、日常生活ではフツーここまで極端な違いは少ない。程度の違いとでもいうのか、どちらかと言えば、こっちに向いた人とあっちに向いた人がいて、環境に違いがあるにせよ、陸上と水中のような大きな違いはない。相対的な、しばし些細な違いの下に、人びとや組織の生きるための競争がある。

高度に発達した先進諸国の産業構造は複雑で、些細な条件の違いが大きな結果の差を引き起こす。何がよくて何が良くないのか、もっともらしい一般論があっても、それが全てではない。グランドに対するプールのように、思わぬところに自分(たち)の優位性を見出すか、つくり出せれば、絶対不利だった人(たち)が、フツーの努力で十分報われる可能性がある。
年配者なら覚えているかもしれないが、かつてプロ野球では三流選手だった人が、テレビの野球解説者としては水を得た魚のような仕事ぶりで、深夜のプロ野球ニュースというジャンルを確立した。

ただ、やみくもに妙案や奇策を追い求めてもグランドとプールほどの違いをもたらすものは早々に見つからない。見つからないことを前提に戦場を規定し、平常の戦略を立てるしかない。それでも、自分たちの特徴がどういう場合に、得手不得手になるのかを分かって仕事をしてゆくのと、何も考えないで日々が過ぎてゆくのでは大きな違いになる。
相撲に向いているのなら相撲に専念して、走り高跳びは走り高跳びに向いた人に任せればいい。その逆も真で、自分(たち)に向いたところに注力して、それ以外は人に任せるのが現実的な選択肢になる。

この現実的な選択肢を選ぶというフツーのことが意外と難しい。巷で遭遇する選択肢は、相撲と走り高跳びのように極端な要件が明示的に示されてはいない。そのため、人も組織もしばしば、第三者の目でみれば、なぜと思うほど不利な条件の選択肢を選ぶことがある。恵まれた立場にいる人や組織では、どれも甲乙つけがたい選択肢のこともある。そのため、どれも切り捨てられずに、すべてを追いかけることがある。
すべてを追いかければ能力が分散されて、得意な一つに集中した人たちにかなわないということが起きる。広範な製品群や多彩なサービスを誇る大企業が、ニッチに特化した専業中堅企業に太刀打ちできない。図らずも「二兎追うものは一兎も得ず」を証明することになる。

この現実的な選択の一例が分かりやすい歴史として残っている。野球に興味のない人には、ちっとも分かりやすくないかもしれないが。
1914年、ベーブ・ルースは少年院から当時3Aだったボルチモア・オリオールズに入団した。まだプロ野球が始まったばかりで、野球をやってメシが食えるなど、彼自身考えたこともなかったらしい。天賦の才能なのだろう、新人の左利きピッチャーとして注目を集めた。ピッチャーとしての素質を買われて、その年(1914年)にボストン・レッドソックスに移籍して、はれてメジャーのピッチャーになった。1915年には18勝8敗、打率.315、(ホームラン4本)。16年には23勝12敗、17年は24勝13敗。大リーグのピッチャーとして一流の仕事をしているが、バッターとしても1918年に11本、19年には29本ものホームランを打っている。10本も打てばホームラン王だった時代に29本。ニューヨーク・ヤンキースがピッチャーとしてではなく、バッターとして買った。
ヤンキースに移籍した20年にはなんと54本ものホームランを打った。当時強打者として名を馳せたデトロイト・タイガースのタイ・カップは1921年と25年にそれぞれ12本だった。前年の29本が、そんな記録は二度とでないだろうと言われた翌年に54本。今と違って飛びにくいボールだったこと、それに合わせてヒット・エンド・ランなど細かな野球が行われていた。ベーブ・ルースのホームランが野球を劇的なスポーツに変えた。

ベーブ・ルースはピッチャーとして活躍を続けていっても、歴史に残る選手だったろうが、バッターとしては他を圧倒した、比べる相手がいない選手だった。相撲と走り高跳びのような極端な違いはないが、それでもピッチャーとバッター、求められるものも違えば、能力も努力も違う。メジャーでピッチャーとバッター、それも両方で歴史に名を残すほどの活躍はベーブ・ルースでもできない。

高度成長期までの日本では、多くの企業が事業の多角化を進めて成長し続けていた。そのまま成長を続けられればいいのだが、市場の成長が停滞し始めた途端、他社と比較して不利な立場の事業体から痛んでいった。比較して優位な産業に特化していったところが必然として生き残った。
なにも特別なことではない。二百年も前にリカードが唱えた「比較優位論」の巷の俗な視点。Webを見れば分かりやすい、きちんとした説明がいくらでもある。学ぶための教材には事欠かない。にもかかわらず、何時の時代にも、学びきれない何かがある。

社会において自分(たち)はなんなんだ、どうやって社会に貢献しえるか、いってみればフツーの平常心の自己定義に、人それぞれの夢というのか欲というのか、平常心を超えたところの夢のようなものとの葛藤がある。夢があるから無理をおしてでも頑張れるし、それで人も社会も成長してゆくのだが、平常心を超えすぎた夢の自己定義、個人の範疇に収まっているうちはいいが、社会にこぼれ出た途端に、しばし傍迷惑になりかねない。

これが政治の世界になると、傍迷惑といって済まなくなる。平和憲法こそが世界において日本の比較優位を示しえたものなのに、わざわざ改憲してまで、比較優位を失った重厚長大産業の保護を目指す。目指したところで、近い将来の世界の産業構造のなかで、かつての比較優位など回復できるわけがない。
目先の利権以外には興味がないからだろう、社会のありようを学ぶ能力がないのか、それとも学ぶ能力が大きく欠けた人たちが政治に走るのか。そこに仕事の関係や日常生活で気が付きにくい利権にからめとられて、学ぶことのない政治家を支持する市井の人びと。この政治家にしてこの支持者ありということなのだろうが、そろそろ取り返しのつかないところまで来ているような気がしてならない。
2016/9/18