斜め読みで丁度いい(改版1)

テレビや新聞、業界紙や雑誌、市場調査会社のレポート、インターネット上のニュースなどをマスコミと一括りにして話を進める。こんなことをすると、プライドだけは一人前の全国紙から業界紙と一緒にされては迷惑という文句の一つもでてくるかもしれない。文句をいうのは結構だが、特化した領域に関しては業界紙の方が詳しい。どの領域においても素人にちょっと毛の生えたような全国紙がなにを偉そうに、何をかいわんや、おしなべてみればどこも五十歩百歩。ひとまとめにマスコミとして扱う。
たいした仕事をしてきたわけでもないし、これといった何かがある私生活でもない。それでも多少なりともまっとうに過ごそうとすれば、広範な知識や情報が欠かせない。その知識や情報の多くをマスコミから得てきた。人から人への口コミで得られる知識や情報には、マスコミからは得られない、捨てがたいものがあるが、カバーできる領域も質も量も限られている。
直接にせよ間接的にせよ何年にも渡って関わってきたことですら、全ては知りえない。しばしマスコミのちょっとした情報から見落としてきたことや知りえなかったことに気が付くことがある。かなり深く知っている分野のことでも、違う視点があること、その視点から見たときの景色が見慣れた景色と随分違うのに驚かされることもある。
それでもマスコミの情報を、目を皿のようにして追いかける習慣はない。ないというよりそのような習慣−癖が付かないように注意してきた。

親会社から出向していた役員がある業界紙を定期購読していた。暇なのだろう、その業界紙に目を通すのが日課になっていた。ある朝、何気なしにぱらぱら捲っていて驚いた。日米の親会社が共同開発してきた製品のプレスリリースのようなものが載っていた。かなり大きな紙面を割いて製品仕様から販売価格に販売戦略まで書かれていた。
開発に必要な基礎技術も何もかも米国の親会社が提供して、三年以上の時間をかけて、やっと市場投入の時期が具体化する段階だった。日本側の親会社は、極端に言えばハードウェアの委託開発製造先でしかなかった。米国の親会社の一員として製品の詳細仕様から市場投入にいたる全てに責任を負っていた。にもかかわらず何の相談もなく日本側の親会社の関係者が業界紙にリークした。
記事の内容から誰がリークしたのか分かる。リークしなければならないお家事情まで知っていた。記事は社外−市場に向けたものではなかった。初期の開発計画がとん挫して、計画を立て直して開発を進めるために雇われた者、見ない方がいいことまで見てしまう。見る能力がなければ、見えなければ仕事にならない。日本の親会社の担当部隊は開発プロジェクトを継続するために役員の承諾が欲しかった。そのためのリークだった。たとえ事前にリークせざるを得ない事情を説明されても、マーケティングの責任者としてリークは許容できない。そのくらいは分かっていたのだろう、あえて連絡せずに無断でリークした。製品所有者は米国の親会社。プレスリリースするのはその親会社。当然、主要市場−日米欧で整合性のある内容を同時に発表しなければならない。
記事の内容が興味深い。製品仕様も価格も販売戦略も事実がないわけではないが、肝心のところはほとんどウソといっていい。何も知らない(知る能力のない)担当役員を喜ばせるためのものだった。日本側の親会社は金融市場の視点で見れば、売上高数兆円を誇る超の上に超がつく優良企業。まさかそこから嘘八百のリークがあるとは、フツーの人なら思わない。担当役員を喜ばせるためのウソ、業界に疎い人たちやその親会社の技術レベルを知らない人が記事を見たら、間違いなく真に受ける。
リークされたこと自体は事実だが、内容が事実かどうかは別の話になる。一応は名の知れた業界紙だが、日本で日本語で、日々のバタバタを追いかけるまでの知識しかない。表に出てきたものの裏を取る能力もなければ意思もない。ただ企業から与えられた情報を適当に丸めて記事にするだけのお手盛り業界紙。開発中の製品の所有者も技術を持っているのも米国の親会社、日本の親会社はハードウェアの設計と製造を委託されているに過ぎないなど想像すらできない。もっとも、馬鹿と鋏ではないが、提灯記事だけの新聞にも使いようによっては、存在価値があるということだろう。
外資、特に米国系にはプロパガンダに長けたところも多い。大手ではマスコミを操る(失礼?)ことを専門とした部隊まで抱えている。今まで何度か自分が働いている会社に関する記事で、どう贔屓目に見ても、よくてプロパガンダ、真正面からみればほとんどウソに近い記事を目にしてきた。社内の政治的な事情からのものもあれば、(金融)市場対策や客の市場を自社の都合のよい方向に捻じ曲げようとするためもものすらあった。そこには自社の担当部隊だけではなく、プロパガンダを推進する、あるいはそれにのって禄を食んでいるコンサルタントなどという看板を掲げた企業群までいる。大学や研究機関の看板さげて「さくら」の役まで演じる危なっかしい(失礼?)のまでいるから呆れる。
当たり前の話だが、マスコミはマスコミという領域では専門家で当事者だが、それ以外の領域では専門家でも当事者でもない。ここに専門でも当事者でもない領域の情報を扱わなければならないというマスコミの本質的な限界がある。当事者しか知りえない(特に都合の悪い)詳細や経緯を当事者でもないマスコミが知りえるのか?極端に言えば、余程のことでもない限り、見せてもらったものまでが見えたもの、聞かせてもらったことまでが聞けたものでしかない。
個々の領域の専門家や当事者の多くが、マスコミの情報となんらかの利害関係がある。そこから、それぞれの関係者が利益を求めて、マスコミの情報を通して外部の人たちを自分たちの都合のいい方向に誘導しようとする試みが生まれる。この試みまで冷徹に精査し整理して情報を流布する能力や意思のあるマスコミがあるのか。あって欲しいが、広告宣伝で禄を食んでいる事情までが絡めば、おのずと限界がある、というより期待するようではマーケティングは務まらない。プロパガンダの手先(失礼?)になり下がっていないだけ、まだ救いがあると言いたいが、もし成り下がっていたら。。。。
マスコミの情報にはウソやヤラセがいっぱいと言ったら失礼になるか?マスコミにも立場もあるだろう、世間体を気にして「常に玉石混淆」あたりにしておこうか。玉と石を見極める知識を、完全にではないにしても、持っていなければ(ガセ)情報に振り回される。振り回されて大恥をかいたこともある。業界や分野を知っていれば知っているほど、マスコミに出てくる情報にたいした価値を認められなくなる。所詮マスコミはマスコミのプロ。そこにあるのは個々の業界や領域に関しては素人が上手にまとめた素人向けの情報。もっとも、佐藤勝に言わせれば、見る人が見れば断片的な素人向けの情報からでも、表にはでない状況をかなりの精度(確か九十パーセント)で想像できるらしい。
残念ながら、佐藤勝のいう見る人のような知識も能力もない一市井の者、マスコミの情報は所詮その程度のものと割り切って、斜め読みが丁度いいと思っている。
2016/2/14