正月明けの朝顔(改版1)

荒川区町屋で生まれて育った。木造(モルタル)二階建てのアパートとアパートの隙間や狭い路地が遊び場だった。日常的に目にする草木が限られていたせいだと思うのだが、小学校に上がっても、はっきり見分けのつくのはチューリップぐらいで、桜とももの花は見分けられなかった。そんな地面という地面もないようなところでも、夏になれば近所の玄関先のちょっとしたところや、言い訳程度に窓に付いている鉄の小さな「てすり」にも朝顔があった。
小学生のときに田無に引っ越した。同級生の家の庭で初めて見たグラジオラスの華やかさに、朝顔との違いにかなりのショックを受けた。そのせいばかりではないだろうが、朝顔には下町の貧しさの象徴のようなイメージがあって好きになれなかった。朝顔のよさ、ほんの一部にしても、を感じられるようになったのは還暦すぎてからだった。朝顔の凛とした、清楚な水彩画のような美しさは、主張の強い油絵のようなグラジオラスにはない。たとえ雨の日でも、朝の朝顔はすがすがしい。いい一日が始まりそうな気になる。
ベランダのプランターで花を咲かせることにささやかな楽しみを覚えて、かれこれ二十年近くなる。それでも子供の頃の貧しいイメージから朝顔にはならなかった。そんなところに知り合いから朝顔の種を頂戴した。ベランダの広さから置けるプランターの数は限られている。限られたプランターから朝顔に分けられるのはいくつもない。それでも、朝顔、隙間のようなところでも十分育つ。
自立する茎など贅沢と思っているかのように、細い蔓を何かに絡ませて上へ上へと伸びてゆく。伸びる蔓に点々とついた薄い葉は、自家用車なんて言わずに電車とバスのエコ生活でいいじゃないかと言っているような気さえしてくる。ラッパのような花まで薄い。蔓も葉も花も全てが安普請(?)。そんな庶民的な作りなのに、いやだからこそなのか、毎朝爽やかな花を咲かす。
頂戴した種を蒔いて、出てきた芽の形に驚いた。見慣れた朝顔の葉ではなく、蝶々の羽のような芽だった。適当に間引いて、蔓を支える棒をいくつも立てた。立てた棒が短すぎて継ぎ足した。支えを探して蔓が風に揺られてふらふらしながら、蔓と蔓が絡み合って朝顔ジャングルのようになった。
一メートルほどの高さになったら、毎日十いくつかの小さな深い青色の花をつけるようになった。小ぶりな清楚な花で、毎朝水彩画の世界の気分を味あわせてくれた。夏が過ぎて秋になっても、毎朝咲き続ける。さすがに咲く数も十を切って、だんだん少なくなっていった。
それでも、十月が過ぎて十一月になっても毎日咲く。十二月に入って、ほとんどの葉も枯れて、あっちに一枚、こっちに二枚の小さな緑の葉があるものの、朝顔全体では枯葉の小山にしか見えない。そこに、あと数日もすれば収穫できる種があるのに気が付いてしまうと、つぶせない。そう思っているうちにまた一つ二つと朝顔が咲く。目を楽しませてくれて、最後につける種。その種が熟さないうちに、枯葉だらけだからと朝顔全体をつぶすのは忍びない。
つぶせないまま年も押し迫って十二月二十七日、枯葉の山に健気(けなげ)というのか一所懸命というのか一つの花を咲かせた。そのままつぶせずに年を越してしまった。種の収穫をと思って正月を過ぎてもつぶさないでいたら、一月五日にまた一つ咲いた。まさかこのまま越冬して夏までということのもないのだろうが、いつまで頑張るつもりなのかと、期待半分で心配になってきた。
俳句の季語をみたら、朝顔は秋の季語になっていた。これは旧暦でいう秋で、新暦でも日常生活の感覚からも朝顔は夏の象徴するする花だろう。夏の象徴の朝顔が、ほとんど枯れてはいるものの師走になってもまだ花をつける。と思っていたら年が明けてもまた一輪。それは還暦過ぎのオヤジに人生まだまだ捨てたもんじゃないんじゃないか。夏の花が真冬までがんばってるんだから、お前もしっかりしろと言われているような気になる。気にはなっても、引き際ってものもあるし、「老いの入り舞い」という性質じゃない。
正月明けの一輪を見つけて、うれしいのはうれしいのだが、おいおいまだ頑張るのかよ。もう十分すぎるほど頑張っただろう、水仙が出番を待っていることだし、そろそろお休みにしたらどうだ。。。
師走に正月明けの朝顔はいいが、いくらなんでも変だろう。暖冬のおかげなのだろうが、温暖化の深刻さを思うと、朝顔にはすまないが、素直に喜べない。
2016/2/7