自分の考えなくしては

アメリカの会社とドイツの会社、業界も違えば事業形態も全く違う。その二社の日本支社に呼ばれて、似たようなというより、根っこのところでは全く同じ難題に遭遇したことがある。解決しようとすれば、こっちを呼んだ新任社長の人としてのありようの問題にゆきついてしまう。本質的な解決などしようがない。まさかあんたの手には負えないから、社長を辞めろとも言えない。
市場が成長し続けていいたときには、右肩上がりの売上で優良支社だった。成長期なら、特別な能力のない社長が、ありきたりの施策を繰り返していても、それなりの成果が得られる。よかった時代の経営に慣れきった人では衰退期に対応した経営が難しい。社長の取り巻き連中も同じで、同じことを同じようにやってゆくことしか考えられない。痛みを最小限に抑えながら、縮小均衡に持ち込まなければならないのに、しばし目先の営業数字を求めて人員増加までしてきた。
成長期の貢献もあるしで、本社も停滞を黙認してきたが、これ以上は許容できなくなった。ヘッドハンターを使って後任の社長に置き換えた。業界の趨勢やよって立つ技術基盤などにそこそこの理解のある人なら、何らかの算段があるか、それなりの自信でもなければ、旬を過ぎた業界の日本支社の経営など請け負わない。業界を熟知した辣腕経営者でも、産業構造の変化がもたらす事業の衰退を止めるのは難しい。優秀な社長や経営陣をもってしても、市場全体の縮小よりは小さな縮小に抑えて、利益を保ちながらできる限り痛みの少ないリストラを試みるくらいしかできない。
そんなところに、おだやかな人当たりがいいだけの、いい人として振る舞いたい人が社長として雇われたら、起きるべくして起きることが起きる。アメリカやドイツの本社してみれば、月々の売上とコストから年度末の利益が前任者よりよければいいだけで、新任社長の日常活動の細かなことにまで注意を払わない。
本社の期待が不安や不信に変わるには時間的な余裕がある。新任社長を迎えて、経営状態にこれといった改善が見られなくても、一年やそこらでまた解任して後任をとはゆかない。本社からの信任、たとえ不信を抱えた信任であったにせよ三年やそこら、うまくゆけば五年はもつ。
さしたる現状把握もできない新任社長に即来期の事業計画といっても無理がある。この数年間の自然延長線として本社が事務的にまとめた事業計画があった。去年があって今年があるだけの事業計画で、何をどうしてゆこうという考えも何もない。現状のままゆけば、二年後には間違いなく、早ければ今季末にはリストラが必要になる。本社では既にリストラ対象者のリストまで用意していた。
新任社長として、一ケ月以上かけて従業員の能力を把握すべく個人面談もしたが、本社の人事評価とはかなり違う。本社の言う通りにリストラして、現状の組織と構成員をそのままにしていたのでは、改善は望めない。どうしても埋もれた人材を発掘して、体裁だけで実力以上に評価をされている人たちを整理しなければならない。そのためにも、従業員から忌憚のない意見、それがしばしばただの苦情だったり、文句だったりしても聞き出さなければならない。 何代にも渡る強圧的な社長と部課長の傲慢な姿勢のせいで、実務部隊にはマネージメント層に対して強い不信感がある。務めて上から目線ととられないよう、癒し系の口ぶりで従業員に話しかけてきたが、何にもまして、新任社長として、できるだけ早く従業員の信頼を得る必要がある。
新任社長の口調の柔らかさに戸惑いもあるのだろう、誰も彼もが保身に走っているのがあからさまに見える。そこをなんとかしようと、毎週のように従業員と夕飯に出かけ、スナックからカラオケまで、まるで従業員接待のようなこともやってきた。その甲斐あって、従業員が気軽に話をしにくるようになった。
そこまでは、目論み通りだった。ちょっと考えれば予測できそうなことなのに、目論みがもたらす状況を考える能力がない。話しやすいというだけで、誰も彼もが自分に都合のいいように、状況を編集してとでもいうのか、あまりに勝手な、しばし作り話のような状況を主張してくる。
調子のいい、いかにももっともらしい説明と提案に納得して、実行力のあるところ見せたいと思ってのことだろうが、改善の指示をだしたことも一度や二度ではない。そのたびに指示したことが状況の一部(言ってきた人)にはあてはまっても、全体との調整がとれない。軽率な指示が、解決しようとした問題より大きな問題を作り出した。こんなことが再三再四繰り返されて、従業員の信頼を勝ち取るどころか、新任社長に対する不信が生まれる。半年もしないうちに、何人もが今度の社長は使い物にならないと思いだしている。ボヤを消そうとして大火事を引き起こしいるのに気づかない暗愚ではないかとすら思われだした。世間ずれした従業員のなかには、まずは保身に徹して、リストラにひっかからなければいい。バタバタしているうちに、また社長が変わるだろう言い出すのまでいる。
癒し系の優しい口調に、何をいっても肯定的な相槌。そこまではいいのだが、その先がない。新任社長への期待が大きかっただけに、落胆も失望も大きい。苦境を打開するこれと言った手立てもないまま一年も経てば、リストラが始まる。傲慢だけだった前任者よりは、話を聞いてもらえるだけいいというだけで終わる。
従業員の話を聞こうとする姿勢はいいのだが、人から聞くまでで、聞いたことから状況を理解して、不思議なことに自分なりの考えをとは思わない。自分なりの考えがないから、改善に向けた仮説をいくつか立ててなどとは考えない。
自分に何の考えも仮説もなく、ただ聞いて回れば得られる情報は増える。増えるのはいいのだが、必要とする情報よりノイズの方が多い。得られた情報を整理できずに、個々の、しばし些末な状況に振り回される。自分のないところに、何を知りたいのか、知らなければならないのかの整理もなしで、ただ人から聞いた話をそのままで改善?あり得ない。
人がいいからこそ、あるいはいい人として振る舞いたいと言う気持ちから陥りやすい、してはいけないことの典型だろう。自分の考えもなしにリーダー足り得るはずがない。少なくとも四十五十になって、まして社長の立場ですることではない。
最も問題の根源は新任社長にあるのではなく、その程度の人を社長として雇った本社の経営陣にある。困ったことに、よくある話なのだが、問題を作った人は、自分で問題を作ったことに気付くこともなく、現象を指して問題とする。現象は日本支社の問題として現れ、問題のツケは従業員が払わされる。
2016/3/13