人の活性化(改版1)

モーテルでもメシ屋でも、ここでいいやと思えれば、イヤになるまでそこに行く。もっといいところがあるかもしれないと思っても、探すのが面倒くさい。横着でしかないのだが、考えなければならないことも、しなければならないことも多いのに、そんなことに気を使う気がしないし、時間がもったいない。

クリーブランドの事業部に出張すれば、ダウンタウンから東に三十分ほどいったモーテルに泊まった。事業部まで地道で十五分ほど、住んでいたアパートを出たところのショッピングセンターの端にあった。ショッピングセンターにはスーパーマーケットもあって、ちょっとした買い物に不自由はないし、モーテルの隣にこぎれいなダイナーもあった。

昼飯も同僚とでかけることでもなければ、ダイナーに戻ってメニューも見ずに、Workers’ burgerというちょっと豪華なハンバーガーを食べていた。いつも一人だったから末席というのか、狭い席に案内された。ちょっと奥まったところで、周りの席も金になりそうな客を案内するとろではない。

日本と違って、それぞれのウェイトレスにはサービスする席が決められている。担当ではない席の客から声をかけられても、担当のウェイトレスに話をつなぐだけでサービスはしない。できるウェイトレスには上客の席を任せて、新米やできないウェイトレスには中から下の客の席を割り振る。経営の視点で考えれば納得がゆく。

そんな席を見たところ二十歳ぐらいの、しっかり育ちましたという感じのウェイトレスが担当していた。その若いウェイトレスの笑顔を絶やさない、それでいてテキパキとしたサービスは気持ちのよいものだった。忙しく動き回っているのに、バタバタした感じもなくて小気味がいい。なぜこのウェイトレスがこんな割の合わないところを担当させられているのか気になっていた。

東洋系で目立つし、二週間も毎日のようにWorkers’ burger。いやでも覚えていて多少の世間話にもなる。訊いてみれば、なんということもない。大学生のアルバイトで、経験も浅いからでしかなかった。「なんでそんなに一所懸命働くの?」と訊いたら、明るすぎる笑顔で「Money」と言いながら、右手の人差し指と中指に親指をすり合わせる紙幣を意味するジェスチャ。笑顔を絶やさず一所懸命はチップを気にしてのことだった。驚くことでもなんでもない。そこは何でも金次第のアメリカ。ただそうはっきり割り切られてしまうと、なんともいいようのない寂しさがある。
健康に育った、気持ちのよさそうないい子だと思っていたのに、古い日本人の勝手な思いもあって、ちょっとがっかりした。毎日一人で来てさっさと食べて、フツーをこころもち超えたチップを置いてゆく東洋系、おとなしくて手間のかからないいい客ということでしかなかったのだろう。

スーパーマーケットのレジは、いつ行っても客が長い列を作っている。レジで働いている人たちはマイペースで、客の列など気にしない。日本のレジの人たちのようには働かない。混んでいようがいまいが、おかまいなしで、同僚と無駄口をたたきながらが当たり前になっている。
もし、そこでわき目も振らずに一所懸命仕事したらどうなるか?まず間違いなく同僚から疎まれる。みんなでダラダラやることで調和がとれているし、その程度の給料しかもらってないのに、一人だけ頑張られると周りのみんなが困る。

同僚のアメリカ人にクリーブランドのダイナーの女の子の仕事のしようと、スーパーマーケットのレジの人たちの仕事のしようについて意見を求めたことがある。日本人女性と結婚して十一年も日本に住んで、日本の社会や日常生活に思考も志向もかなり理解している人だった。

納得のいく説明が返ってきた。
1) 文化的背景や教育レベルの違い。
クリーブランドのウェイトレスはまがりなりも大学生で、勉強か何かを一所懸命してきた経験がある。あるいはそれが常識となっている社会層の出身だろう。一方レジで働いている人たちの多くが、教育レベルが低いだけでなく、自分の楽しみ以外では、今まで何も一所懸命やったことがないのではないか。あるいはやることのない文化のなかで育ってきた可能性が高い。

2) リターンのあるなし
ウェイトレスは一所懸命やれば、チップを多くもらえるという即のリターンがある。さらに上客の席の担当に抜擢される可能性もある。レジの人たちには、一所懸命やったところで、即のリターンもなければ、将来昇進してか、経験を活かしてよりよい仕事につける可能性もない。見返りはないし同僚からは白い目に見られるだけで、疲れるだけで何もいいことはない。

見返りや人の評価に関わりなく、一所懸命働くことに自分のありようを求める人もいないことはないだろうが、そのような人たちが大勢になる文化はまれというより、カルトのようなものになりかねないのではないかと、そっちの方が心配になる。
即のリターンとよくなってゆけるだろうという将来への希望、一所懸命やっていれば人に認めてもらえるだろうという期待が絡み合って、そこにそれをよいこととする、大げさにいえば文化があって、頑張ろうと言う気持ちを持ち続けられるという当たり前の話。それを反対側から見れば、何をしなければ人が活きないのかが見えてくる。

一介のマネージャ、何ができる訳でもないが、反対側からみようと心がけてきた。うまくいっているところに乗っかってしまった方が楽なのだが、そこに入り込めば、うまくいっていないところが、ますます置いてきぼりになる。格差が広がれば組織として、今まで以上にぎぐしゃくしだす。うまくいっていないところを多少なりとも引き上げれば、うまくいっているところへの刺激にもなる。問題のないころに身をおくのが苦手で、周囲には馬鹿にされてきた。切り捨てることのできない、できないマネージャと評価されることも多かった。それでも、問題があるからこそ、そこにやりようがある、自分の活きようがある。
2016/12/18