プロとアマのこだわり(改版1)

プロの仕事とアマチュアのやることを比べることに何の意味があるのかとも思うし、プロにしてもアマチュアにしても、人による違いが大きいだろうから、比べるにしても両者の何をどう比べるのか?比べ方に決まりがあるわけでもなし、本来比べられるものではないもの同士をくらべようとしているのかも知れない。と思いながらも、それでも、思わず「えっ」と声に出してしまいかねない話を聞くと、ちょっとまとめておくのも、まんざら意味のないことでないと思う。

比べるにあたって、条件を二つ決める。
1) 両者の能力というのか力量に違いがなく、どちらの仕事も出来は甲乙つけがたいものとする。違いが大きい場合、フツー何を 比べたところでプロの方が圧倒的に上だろうから、比べる比べないの話ではなくなる。
2) 経済的な負担の面では両者に大きな違いがある。当たり前のことだが、プロは仕事で稼いだ金で生活している。アマチュアは 生活費を今比べようとしている仕事では得ていない。それだけでなく、比べようとしている仕事にかかる経費も時間も生活になんら影響を及ぼすレベルではないとする。常識を超えた経費や時間でもない限り、要は道楽で、いくらでもかけられる経済的にも時間的にも余裕がある。

プロは、仕事をすることによって得る収入(売上)から仕事をするためのコストを差し引いた金額が実収入で、ここから私生活の全てのコストを賄わなければならない。十万円の売上の仕事に十万円のコストはかけられない。同業との仕事の出来(質)と価格競争もあるから、好きなように客に金額(売上)を請求できる訳ではない。プロである以上、売上−コスト=利益(生活費)という銭勘定に縛られる。もうちょっと鷹揚に払ってくれれば、もっといい仕事をできるのにと思っても、世知辛い世の中、鷹揚な客はいない。十万円の仕事には十万円の仕事に見合ったコスト、二十万円の仕事にはそれなりのコストの仕事になる。

プロには常にこの世知辛い銭勘定が付きまとうのに、アマチュアにはこのプロが宿命として持っている銭勘定の制限がない。道楽で釣りを楽しむ人は、金をかけてクルーザーに乗って遠出して、釣れなくて、がっかりすることはあっても、生活には何の影響もない。プロである漁師はそんな悠長なことを言っていられない。生活がかかっている。
プロは顧客の評価に右往左往する。プロの中には一見の客を相手にすればいい人たちもいるだろうが、安定した仕事と生活を思えば、できるだけ懇意の上客を掴んでおきたい。アマチュアも人の評価を気にしないわけではないが、本質的に自分の満足のためにしている訳で、他人の目は、極端に言えばどうでもいい。

ここで、いい仕事をするための必須条件を考えてみる。
能力や力量は、先に規定したとおり両者の仕事の比較には影響をおよばさないから、考慮にいれる必要はない。必須条件の第一は、巷でいう「こだわり」だろう。その背景にはプロであればプロとしての自負が、アマチュアの場合は道楽者として、しばし独りよがりの、思い入れのようなものがある。ときには「これでいいや」とう妥協もあるだろうし、場合によっては、「まだまだ」というのもあるだろう。
第二の条件は、リソースで、平たく言ってしまえば「金」と「時間」になる。プロには上に上げた銭勘定の縛りがあるが、アマチュアにはない。プロはプロとしていい仕事を思う意地もあるし、客の評価を気にしなければならないプロとしての立場もある。なければプロとして食ってゆけないだろうが、プロがゆえに「金」にも「時間」にも縛りがある。損得抜きでという仕事があったとしても、いつもという訳にはゆかない。生活できなくなるような仕事は続けられない。

アマチュアはどうかとみれば、プロを縛っている銭勘定からも時間からも、何の制約も受けない。人の目を気にすることもあるだろうが、もともと自分の満足でやっていること。「まだまだ」や「もっと」という出来に対する自分の「こだわり」が際限なく続いても、一向にかまわない。プロであればいくら手をかけても、十万円かそこらのコストで仕上げなければならない仕事に、アマチュアは百万かけても、二百万かけてもかまわない。プロなら三月かそこらで終えなければならない仕事に一年かけても二年かけてもいい。

こう考えてくると、能力と力量に大きな違いがなければ、これしかないというほどの、こだわりの塊のような仕事は、プロではなくアマチュアにしかできないということになりはしないか?

プロが足元にもおよびがつかないいい仕事は、銭勘定に縛られないアマチュアにしかできない。ただしここに条件がある。アマチュアの仕事は、その人の仕事に対する「こだわり」次第になる。「これでいいや」と思えば、これでいいやの仕事に、アマチュアなんだから、ボランティアなんだからと、「心の中で言い訳」があれば、ましてやそれを口にだしたら、それはそれなりの「これでいいや」の仕事になる。なるだけなら、まだしも損得勘定でやってる訳じゃないというアマチュアとしての、矜持すら失いかねない。

写真家土門拳はプロの写真家として自分の仕事に妥協が入ることを嫌った。嫌ったが故なのだろう、写真雑誌でアマチュア写真家を羨ましがる話をしていた。「アマチュアの人はいいですよ。フィルム何本使おうが、フラッシュ何回焚こうが、また撮り直しに出直しても関係ないですからね」「こっちは、出版社から予算いくらで、何時までに終わらせるかというかたちで請け負った仕事で、それで私も含めてメシ食ってんですから、使うフィルムもフラッシュ一つにしてもコストを考えちゃいますよ」 プロの写真家として言ったらおしまいじゃないかとも思わせる内容だが、ここまでつきつめて自分の写真にこだわり続けた土門拳の話だからこそ重みがある。こだわりのアマチュアにはかなわない。
2016/10/2