紅か専か、犬と徒(改版1)

藤村信の『新しいヨーロッパ古いアメリカ』を読んでいたら、「市民か臣民か」と題したエッセーに次のくだりがあった。
『愛社精神をふりまわすものに限って仕事の出来ないやつか、能なしです。西欧にも「愛国主義はごろつきの最後のよりどころ」という諺があります。』
エッセーは、九十九年十二月に書かれたもので、天皇制復活をかかげて民主主義に逆行する流れを危惧していた。氏が指摘されたときとは比べようのないほど悪化した今の状況が気になるが、本論から離れて、三十を前にして、どうしたものかと思案していた自分を思い出した。

七十年代の学園紛争をくぐり抜けて就職したが、会社人であるまえに、社会人として社会問題にまっすぐ取り組んで生きてゆこうと思っていた。技術研究所で機械設計の見習いとして始まった機械屋への道が、アメリカ支社に飛ばされて、フィールドサービスとしても失格して終わった。三十にして、十年以上お世話なった会社を辞めた。機械(技術)屋になりたくて、機械を作る機械を作る工作機械メーカに就職したが、機械屋になりそこなった。
構造不況の工作機械業界で、新しい技術の取り込みに遅れをとって、朽ちた名門と言われていた会社だが、多少の未練はあった。ただこの先、ここでどう頑張ったところで、気の利いた便利屋にしかなれないだろうし、どうせ便利屋なら便利屋を本業とした業界に転向した方がいいだろうと踏ん切りをつけた。将来性があるとも思えない会社に渡す引導が半分、機械屋になれなかった自分に渡す引導が半分だった。

学卒者用に新しく建てられた独身寮にいたこともあって、三期上から三期下(それ以降は不況で新卒採用なし)の人たちとは職場以外でも話す機会があった。日本中から集まってきた人たちのなかには、社会問題に関心の高い人たちもいれば、社会問題に対する姿勢でみれば、真逆の人たちもいた。ただ、どちらも数は限られていて、多くは視点も指向も思考もはっきりしない大勢順応の人たちだった。

社会問題に関心の高い人たちは、社会認識のある活動家と職場の不満分子の活動家の大きく二つに分かれていた。
第一のグループは、学卒者に多く、真面目が故に気が付いてしまった社会問題に目をつぶってはいられなという人たちだった。会社だけではなく、社会党右派の労働組合からも要注意人物として目をつけられていた。閑職に回されて恵まれないにもかかわらず、仕事も一所懸命する人たちだった。
第二のグループの多くは職工さんたちで、労働組合用語を振り回してはいるが、その背景にあるべき社会の視点がない。「がんばろう」に続けて「同期の桜」を歌う人たちで、極端に言ってしまえば、仕事がいやという不満分子の中の目立ちたがり屋だった。

当時「紅か専か」という二者択一を迫る雰囲気があった。文化大革命の影響だと思うのだが、思想的にしっかりしていない者は専としての価値を認めないという極端な考えが、とくに第二のグループの人たちのなかで大勢を占めていた。
確かに技術の多くが思想的には中立で、たとえていえば、産廃物を効率よく処理する技術も、ナチスではないが人を効率よく焼却する技術も大同小異であるとことが多い。使いようによっては人びとの生活を豊かにするが、一歩間違えれば生活を破壊もする。それは持てる技術を、誰がどのような価値観に基づいて、どう使うかにかかっている。ここに「専」より「紅」を優先する思想的根拠がある。
学園紛争を経験していたからでもないと思うが、「紅か専か」と問う前に、技術屋であろうとすれば、否が応でも己の技術を何にどう使うのかの最低限のところは把握していなければいけないと考えていた。それが、技術屋や社会人であるまえに人としての責任だと思っていた。

社会問題など気すこともないというより、そこに上手く乗ってしまえばという、活動家とは真逆の人たちがいた。その人たちは、会社の労務政策の手先として活動家たちを監視さえしていた。
この人たちの多くは、上手く立ち回って、会社から評価されたいという人たちだった。中には仕事ができると思っている人たちもいたが、所詮現状維持の大勢のなかでの、小手先の工夫どまりの能力だった。
いってみれば、「紅」を理解する知能や意識がないだけでなく、「専」を極める努力もせずに、「犬」か「犬くずれの徒」にしかなれない人たちだった。

三十にして、「専」を求めようにも、仕事を通しては便利屋にしかなれないのがはっきりしていた。では「紅」を極めるか?どう考えても、そこまでの知識もなければ自信もない。「紅」を求めたところで、極めきれずに「徒」に堕する。「紅くずれの徒」は、大きな社会の変動期でもない限り、厄介者にしかならない。厄介者になりかねないリスクをとってでも「紅」をめざす勇気はなかった。

幸い日本でも製造業からサービス産業(便利屋)への転換の大きなうねりが始まっていた。社会はそこまで複雑になっていた。製造業で使い物にならないものが、サービス産業でも十年の周回遅れのハンディを背負っての参加になる。翻訳で糊口を凌ぎながら、どうしたものかと思っていたら、アメリカ系の製造業から第三次産業との汽水域の仕事が転がり込んできた。作れば売れる時代から、売れるから作れる時代に、さらにセールスが走り回れば売れる時代から、何をどう作って、どう市場に投入してゆくかというマーケティング――汽水域の優劣が雌雄を決する時代になっていった。

「犬」として尻尾をつけて走り回るほど器用でもなし、「紅」をめざせば「徒」で終わりかねない。工作機械の「専」になりそこなってよかった。もし、上手くいっていたら、そこで終わってただろう。うまくいかなかった――失敗したからこそ、違うチャンスがある。
汽水域ならなんとかなるだろうって、持って生まれた能天気が幸いした。はなから一流指向はない。新しく生まれつつあった汽水域でなら三流くらいにはなれるかもしれない、と新しい時代の「専」を目指した。
2016/10/9