まるでチャップリンの世界
コネチカットに変わったというより、もう病的におかしいと言った方がいい町工場があった。町工場はどこもオーナー社長の個性が反映してか、独特というのか一癖ある会社が多かったが、そこは癖というレベルを超えていた。従業員十数名の典型的な町工場で、ジョブショップと呼ばれる機械部品の賃加工屋だった。たいして儲かる業界でもなし、社屋も工場内も年期が入ったとでも言うのか、薄汚れた会社だった。工作機械で鉄を削れば、切粉もでるし切削剤も散る。ちょっと修理でもすれば、油も床にたれる。大手のように安全対策に煩くないから、全員が安全靴を履いている訳ではなさそうだが、それでも、スニーカ−で歩くようなところではない。
古いフライス盤の修理に出かけて、ギヤボックスを機械から取り外して、痛んだクラッチの交換をした。作業にかかる前に、ざっと掃除はするが、ギアボックスを本体から外せば、切削剤や切粉が床に散る。機械部品が回転したり、摺動したりするには潤滑油が欠かせない。ギアボックス内部の部品を分解して、部品を取り外せば、部品についていた油がたれる。机の上の作業でもあるまいし、そんなこと気にしていたら、機械の修理なんかできない。
ところが、その工場にはそれを気にするというのか、きれいにするのを仕事としている人がいた。まるでお掃除ロボットのようなオヤジさんで、どこかのスーパーマーケットから拝借してきた大きなショッピングカートに掃除に必要なものを一式載せて、工場中を巡回していた。切粉でも油でもなんでもいいが、機械の上にのっている分にはかまわない。が、床に落ちたら自分の担当ということなのだろう、目を皿のようにしてゴミと汚れを探している。
オヤジさんにしてみれば、機械の修理はいつもとは種類もレベルも違うゴミと汚れの発生源のようなもの。ちょっとどこかに巡回に行ったかと思うと、またゴミや汚れを出していないかと見に来る。床に垂れた油など見つけようものなら、ぼろ布とスプレー洗剤を両手にもって、オイ、掃除するからちょっとどけと言った目つきで、こっちをにらんでいる。まったくうっとうしいオヤジさんで、今きれいにしても、またすぐ汚れるから。。。と言っても、ゴミでも油でも見つけたら、即掃除しないと収まらない。
フライス盤のテーブルの上に乗って作業をしていたら、テーブルの上に靴を履いたままで乗るな!と叱られた。切削剤と油に混じって細かな切粉だらけのテーブルの上に靴下で上がる訳にもゆかない。どうしろってのという顔をしたら、ちょっとこっちという感じで工場の隅の倉庫のようなところに連れてゆかれた。そこに(多分)捨ててある段ボールのなかから好きなのをもっていって、テーブルの上に敷いて、その上になら靴を履いたまま乗ってもいいという。そりゃないだろうと言い合ってもしょうがない。
家のなかまで土足であがるのがフツーのアメリカで、工作機械のテーブルに安全靴で上がれない。段ボールは滑るし、ちょっとしたはずみでテーブルから転落する危険がある。機械屋の仕事は素手でするのが常識で、軍手すらしない。軍手をしないことによって指を切ることはあっても、指までで終わる。もし、軍手が機械に巻き込まれたら、軍手に引っ張られて、体全体が機械に引きずり込まれる可能性がある。
後日、半年ほど遅れて駐在してきた入社一年先輩が、同じように修理に来て、テーブルの上に段ボールを敷いて作業していた。段ボールがちょっと大きすぎて、テーブルの端から段ボールがはみ出ていた。それに気が付かずに、はみ出た段ボールに乗って、テーブルから床に転落して、鎖骨を折った。
このお掃除オヤジさんにはまいったが、機械のオペレータ連中のポーカーには呆れた。ラックの裏のテーブルに集まってはポーカーをしていた。三四人集まっては、ちょっとポーカーをして仕事に戻る。またちょっとするとポーカーに集まる。
まともにポーカーをやるには時間が短すぎる。何をしているのかと訊いたら、あっちを見てこいと指を指された。いったい何があるのか分からずに見にいったが、何なんのか分からない。テーブルに帰って、何があるのかと訊いたら、あそこに監視カメラがある。こっちとあそこにも。。。監視カメラがあって俺たちを監視している。でもこのテーブルはどの監視カメラにも映らないから大丈夫だ。
情けない会社で、オーナー社長が従業員を信用していない。信用されていないと思っている従業員が監視の目を盗んで、さほどしたくもないポーカーをしていた。社長の裏をかいているというのか、そっちがそうなら、こっちはという感じで、いたずら半分のポーカーだった。
まだ七十八年、監視カメラなど日本では聞いたこともなかった。この類のものでは先進国だったアメリカでも、普及しだすのは十年以上経ってからだったろう。価格のそれなりに高いだろうから、どこにもここにも監視カメラというわけにもゆかない。たとえ、どこにもここにも付けたところで、必ずどこかに死角が残る。
アメリカの機械工場には、だらしのない従業員も多いが、たとえ多少の抜けがあったにしても、お互いの信頼関係を築かなければ、仕事にならない。いくら監視を強めたところで何の解決にもならない。不信が不信を呼んで、不信の悪循環がフツーの人たちまでおかしくしてしまう。監視を強化すれば人は働くようになると思っている訳ではないと思うのだが、そんなことにも気が付けない性善説ではいられないオーナーの会社。そんな社会に性善説でしか生きられない愚直なというか真面目な人は残らない。
人は騙してくると思って、人を騙そうと思っていれば、人は騙してくる。人を信じようと思えば、騙されることもあるだろうが、多くの人は信じようとする。人間関係のイロハだと思うのだが、どうもそうとは思わない人たちの社会もあるようで、。。。
2016/8/14