サービスマンは助け合い

クリーブランドの町工場は、新たに導入する工作機械はコストパーフォーマンスのいい日本製に限定していた。旋盤は日本の工作機械の発祥とも言われた老舗から、マシニングセンターは朽ちた名門と言われたメーカからだった。
日本でもよく売れたマシニングセンターで、順当な選択だが、導入して十年も経てば、あちこち痛んで機械も成人病の様相をおびてくる。一台ならまだしも、三台四台あると、何か月か前に修理に行ったのに、こんどはこっちの機械の調子がという感じで、ちょくちょく顔をだすことになる。

旋盤も似たような状態だったのだろう。何度か行っているうちに、旋盤メーカのサービスマンと客で鉢合わせした。鉢合わせしたと言っていいのか、珍しい出会いだった。作業していたら、ちょっと距離のあるところから名前を呼ばれた。声からして、客の班長で、なんの用かと思って、歩いて行ったら、班長が小柄な日本人と話していた。
こっちの顔をみるなり、ちょうどいいところに来たという笑顔で、「ゆたか」を「ゆたか」に紹介した。二人とも漢字は違うが「ゆたか」だった。二人の間では、当然苗字で呼び合うが、アメリカ人は「ゆたか」以上に覚える気がない。たいして広くもない工場のあっちで「ゆたか」が旋盤を修理してて、こっちで「ゆたか」がマシニングセンターを修理していた。

作業をしていて、ちょっとそこを支えておいてもらえないかというのがある。班長に助けを頼むことになるのだが、班長も忙しい。こっちの「ゆたか」に呼ばれて手伝っているところに、もう一人の「ゆたか」がヘルプを求めてくる。そんなところでは、最初は遠慮しながらだったにしても、助け合いなるのに時間はかからない。アメリカ人に拙い英語で頼むより、日本人同士の方が手っ取り早い。
お互い素人ではない。二人とも、工作機械メーカの機械屋、細かな説明をしなくても、何をしようとしているのか、想像するまでもなく分かってしまう。

旋盤メーカの「ゆたか」は、ボストンの代理店に間借りしてアメリカ中を走りまわっていた。駐在員の人数が少ないからだろうが、週末も帰宅しないで客から客に回ることも多いと言っていた。そのためもあってか、何でも入っているのではないかという大きな工具箱を持ち運んでいた。工具箱が大きすぎるからでもないだろうが、半田ごての先が外れて箱の中でどこかにいってしまって、見つからない。半田ごてを貸してもらえないかというのが助け合いのはじまりだった。

痛んだクラッチを交換すべくギアボックスを分解していた。組み上げるとき、かなりの数の部品を所定の位置に抑えておかなければならないのだが、これがちょっとした感覚による手作業でアメリカ人に頼んでも、なかなかうまく行かない。ちょっと支えておいてもらえないかと頼まれて、自分の仕事を後回しにして旋盤の修理の手伝いをしていた。

マシニングセンターの工具選択がたまに誤動作する障害の原因を特定するのに手間取っていた。もってきたデジボルをここかと思うところに付けて、ケーブルをゆすって接触不良の可能性をみようと、ヘアドライヤで制御盤内の温度を上げて、工具選択動作を繰り返して障害を起こそうとしていた。デジボルがもう一台あれば、怪しい箇所をもう一か所測定できる。ちょっと躊躇したが、デジボル、もし使ってなかったら貸してもらえないと頼んだ。こっちの躊躇が恥ずかしいほど、ニコニコしながら、工具箱からデジボルをとり出して、どんな状態なのかと心配してくれた。クラッチの交換は目途がたっていて余裕があったからだろう、一緒にマシニングセンターにまで助けに来てくれた。

どこがおかしんでしょうかね?といいながら二人で電気図面をみて、こことここにデジボルのプローブをつけて、工具交換作業を続ければという話になった。一人でああでもない、こうでもないと泥沼に入りかけている新米には、相談相手がでてきただけでも助かった。一人で考えていると、しばし、考えられる障害の可能性が頭のなかでぐるぐる回りして、無限のスパイラルに入ったかのような状態に陥ることがある。

旋盤の修理の目途がたったまで、マシニングセンターは修理すべき個所の特定をし得ないまま、時間も時間だしと切り上げた。二人で近間のTravelodge(中の下のモーテルチェーン)に泊まって、一緒に晩飯に出かけた。一人で食べるよりというレベルを超えていた。お互い駐在員として機械の修理に走り回っている者同士、似たような環境で似たような仕事で、共通の話題がいくらでもある。その晩はモーテルで旋盤の組立図を見ながら、マシニングセンターの電気図面を見ながら、明日の作業の相談になった。

これが日本だったら、競合した会社の従業員として、口を利くこともなく反目しあって終わりだろう。一緒に飯を食いゆくこともなければ、仕事に関することで、あれこれ話すようなことなどない。ましてや組立図も電気図面も企業機密で、競合の技術屋同士で見せ合うなど考えられない。枯れた技術の集積で、部分的に見せたところで、見たところで何がある訳でもないのに、日本だったら、見せるなど、およそ考えられない。人さまざまだろうが、海外にでると、日本人というだけで企業の壁が低くなって、親しくなってしまう。

これは、「ゆたか」同士だからということでも、日本人同士が海外だからということでもない。xxx県人同士が東京でも、アメリカ人同士が日本でも、中国人同士がドイツでも、・・・似たようなことが起きる。個人の性格もあれば、おかれた環境によって親しくなれないこともあるだろうが、マイノリティとしての本能のようなものかもしれない。
マジョリティとしての安心感を失うと、マイノリティとしての親近感が生まれる。逆説的に聞こえるかもしれないが、孤独や疎外はマジョリティの中に多く、マイノリティには少ない。

[再会]
あれから二十年以上、ドイツの会社の日本支社に転職して、ある新聞輪転機メーカにドライブシステムを販売していた。何度目かの訪問のとき、低音が欠けた特徴のある声にあれと思って事務所の奥を見たら、「旋盤のゆたか」がいた。二十年以上経って転職先でまたお会いした。懐かしさより、驚きの方が大きかった。
2016/8/28