市場とは−生態系

自分や自分たちのビジネスを継続、あるいは推進するために注視しなければならない社会の一部分、あるいは複数の一部分が有機的に関係し合った集合体を市場と呼ぶ。それは重層化した生態系のようなもので、利害関係者の有機的な相互依存と競合関係から成り立っている。
市場は生態系のように複雑で、バリュー・チェーン(Value Chain)などで模式化できるほど単純なものではない。チェーンというより幾つもが絡みあった、誰もその全容を知り得ない蜘蛛の巣(Web)に似ている。比喩として適切ではないかもしれないが、バリュー・チェーンをアメリカの長距離鉄道網とすれば、生態系に喩えられる市場は東京首都圏の鉄道網以上に複雑でかつ有機的な生物に近い。
市場は多種多様な経済主体と経済主体を構成する組織体と組織体内外の個人から成り立っている。経済主体には行政機関から社会インフラ、金融、製造、流通、サービス産業などさまざまものがあり、細かく見てゆけば際限がない。そのなかで一企業として営利活動を推進するために社会のどこをどのように見てゆくのか、その見る対象が市場ということになる。
ビジネスの世界でいう市場は、市場を見る者−経済主体、細部に至れば経済主体内の組織体ごとに異なる。市場とはそこにあるものではなく、そこにあるものから自分たちで創りあげるもので、どこかから定型化した知識として得られるものではない。外から得られるものは、たとえ“xxx市場”などと銘打った大層な出版物や知識でも、どこかの誰かの視点でみた市場に関する情報にすぎない。
市場にはさまざまなプレーヤがいるが、それぞれのプレーヤの役柄は、市場を見るものが自分の都合で決める。一例として銀行を見れば分かり易い。銀行が使用する物やサービスを提供する企業からみれば銀行はエンドユーザであって、金融業かどうかは関係ない。
ここで、ちょっと複雑な市場(概略)の例として制御装置メーカから見た自動車メーカを取り上げてみる。
自動車産業にはあまりにも多くの多種多様なプレーヤ(関係者)がいる。人の能力では辿りきれない巨大なサプライチェーンがある。制御装置メーカはサプライチェーンの一隅にあるささやかな一プレーヤにすぎない。そのため制御装置メーカから見えるのは自動車産業を彼らの視点で見たもの−ごく限られた一部分になる。その一部分を一瞥しただけでもさまざまな企業の混み入った有機的な関係が見える。エンドユーザとしての自動車メーカ、その自動車メーカに製造設備を提供する装置メーカ。装置メーカに製品やサービスを提供する企業。そのなかには、エンジニアリングサービスを提供しているシステムインテグレータやその他の外注業者、装置メーカの製品やサービスを再販する商社や代理店。広い意味では業界紙や展示会関係者に広告宣伝業界。間接的に商取引や労働安全などに関係する行政機関もあれば産業廃棄物処理業者、資金提供から決算まで広げてみれば金融業や不動産業まで関与してくる。
業界の特質、個々の企業の実情や戦略、関連企業との協業関係などから多種多様なビジネス形態が生まれる。物やサービスの開発、製造から販売、その使用まで、さらにその周辺の関連する企業までいれると巨大な生態系のような体をなしてくる。それでも、その複雑で巨大な生態系のような市場も元をただせば社会の一部分に、こっちの一部分とあっちの一部分が絡み合った集合体に過ぎない。
社会に大きな影響を与えるほどの影響力を持ち得ない企業や個人にとって、社会は自分たちの存在に関わりなくそこにある。そのそこにあるものの特定の部分を自分たちの都合で切り取ってきて、自分たちのビジネスを遂行するために自分たちの都合で再構築したもの市場となる。
自分たちがいる。社会がある。自分たちの都合でみた社会の一部−市場がある。その市場、社会の一部分だが与えられるものではない。その構成要素を集めるのも、集めた構成要素をどこにどう使うのかを決めるのは自分たち。ましてやどこかの出版社や市場調査会社から購入できる業界マップのようなものではない。購入できるのは使えるかもしれない、参考にはなるかもしれない元データに過ぎない。自分たちのビジネス展開の基礎となる理解−市場という名で呼ばれる理解、それはプレーヤも含めた構成要素が複雑に絡み合った日々変化し続ける生態系のようなもの。
それぞれのプレーヤが見たいように見る−プレーヤの数だけある生き物のような社会の一部、今日の市場の延長線ではないかもしれない明日の市場。誰も全てを知りえないがどれだけ自分たちの実情に、戦略にあった市場を描けるか。描ききれで市場での戦を続けられる。描けなければ最終的には撤退になる。
2015/2/6