精神の健康診断(改版1)

二十歳から還暦過ぎまで民間企業で働いてきた。途中三回アメリカ駐在で日本を留守にすることがあったが、日本にいる限り、ほぼ毎年健康診断を受けてきた。幸いこれといった疾患が見つかることもなく、診断結果も前年とほとんど変わらなかった。どうせ変わらないのだからと、面倒になってスキップしたこともある。
糖尿病予備軍というものも予想通りだった。もう数年前のことだが、八時を過ぎたら日常業務を中断して、将来の営業展開の準備をしていた。バタバタに引きずられることが多い日常業務とは違う。今日の在り方や定型化した考えを断ち切って、何もないところから始める、ある意味つかみどころのない作業だった。そんな作業、エイッと頭を切り替えなければ手がつかない。どうしても気分転換というのか、切り替える何かが欲しかった。そこで毎晩エネルギー補給と言い訳しながら、コンビニで買ってきて「かりんとう」を食べていた。
体重もちょっと増えて、この分では糖尿がでるかもしれないと思っていた。予想通り、糖尿の毛があるとの診断で糖負荷試験を受けることになった。食生活も変えずに受けたら、似たような結果しかでないだろうしと、多少なりとも気合いを入れてダイエットした。体重を三四キロ落としたら、糖尿の毛があっさりなくなった。
歳も歳だし、そろそろ色々でてくるだろうなと覚悟はしている。それにしても何の自覚症状もないし、そこそこ節制もしている。当分の間、でたところでたいしたものはでないだろうと思いながら、一年ぶり以上で健康診断に出かけた。
驚いたことに、この十年以上の健康診断の結果よりはるかによい結果だった。長年に渡って注意されてきた軽度肝機能障害や内臓脂肪の数値も、褒められた値ではないが、しっかり許容値内に収まっていた。日々の食事を多少なりとも気にしてきた成果がこんなところで報われたと、軽い誇りのようなものがあった。
健康診断の結果に一喜一憂するような健康状態でないのはいいのだが、それ以上に記憶力や感情のコントロールなど精神的な障害や兆候と今後の可能性の方が心配になってきた。精神科や神経科にお世話になったことはないし、これからも当分ないだろうとは思う。そう期待もしているが、健康診断のように定期的な検査をしてきたわけでもない。どの程度健康なのか、健康でないのか分からない。
健康診断には糖尿病や肝機能などの成人病とよばれる分野が多い。フツーの若い人たちであれば、何か特異な人たちでもなければ発症しない類の疾患だから成人病と呼んでいるのだろう。ところが精神上の健康ということでは年齢にそれほど関係なく疾患が現れる。ニートや自殺にしてもイジメのようなことにしても、起きてしまってからでは手遅れになるケースも多い。多くの社会的な問題の根底に生理上の疾患ではなく、精神上の疾患が関係している。
精神上の疾患、疾患とまではゆかないが、注意しなければならない、なんらかの治療を受けた方がいいなど、明確な判断をし得るまで医療が進歩しているのかが気になる。人さまざま、個人の嗜好もあれば、個人の個性が(社会)環境と絡み合って、どのような言動として発現するのか、発現するにしても恒常的なら判断のしようがあるが、特定しえない何かのきっかけで発現するだけというのも多いだろう。そのうえ日常生活にどこまで影響があるのかまで考えると、診断しれきれるものなのか。何をもってして日常生活というのかいとう話にすらなりかねない。
科学が、その一応用分野としての医療の、そのまた一部である精神上の健康を定期的に検査して、必要な治療を得られるようになるまでには進歩していないということなのだろうが、いつになったら健康診断が生理的は範疇だけでなく、精神的な範疇もカバーできるようになるのだろう。
物質的な豊さがそこそこ満たされれば、人は心の豊かさを求めるようなるなどと、随分昔からいわれてきたが、精神上の疾患(もどき)やその兆候の予防医療もそろそろ視野に入れる時がきたのではないかと期待している。何をしても完璧はないのだから、できる検査から健康診断の加えていったらと思うのだが。できない相談なのか?
2016/2/28