粉飾決済と厚化粧(改版1)

東芝の「粉飾決済」のニュースを聞いたとき、また茶番が始まると思った。「不適切会計」や「不正会計」という言い方がどうの、第三者委員会の人選や監査法人の責任。。。何を騒いだところで、いつものようにばれてしまった厚化粧の後始末で終わるだけだろう。
新聞やテレビのマスメディアも著名な評論家諸氏からコンサルタントなどという大層な肩書きの方たちがああだのこうだの言ったところで、しでかしたことの直接?の、しばしゴシップもどきの理由やなんやらまでが精々、誰もことの本質に触れようとはしない。立場上触れられないし、触れたところで解決策など革命でも起きない限りあり得ない。抜本的な解決を言い出したら、それこそ経済体系の根幹を揺るがしかねない。「月を指さして、指を論じる」ようなことまでしかできないお手盛りジャーナリズムと評論家たちに関係官庁、その辺りで抑えておかなければメシの食い上げになる。
金融関係の仕事の経験はないし、企業会計を担当したこともない。決算報告書にサインをする立場にはなってしまったことがあるというだけの一介の技術屋崩れ、専門知識などほとんどないに等しい。それでも、露見してしまったというのか報道されたことからは、経営者個人の資質がどうのというより現行の会計監査体系の欠陥としか思えない。そもそも監査される側の「善良」を前提とした監査など監査じゃないだろう。素人の視点に考え、とんでもない間違いを犯しているかもしれないが、いくら考えても大きな、それも基本的な間違いをしているとは思えない。

現行の会計監査のありようを素人の目−巷の常識?の目で見ると、
1) 監査法人の雇用主は誰?
監査法人を雇うのは監査を受ける法人。これは間違いないだろう。この雇用関係に問題の本質がある。東芝の粉飾決済のケースでは、雇われた監査法人は新日本監査法人。雇ったのは東芝という大企業の歴代の社長。雇われた監査法人が雇ってくれた法人の経営者の経営成績(決算報告書)を監査する。フツーに考えれば、これで雇った法人(経営者)に都合のいいお手盛り監査にならない訳がない。小学生でも分かる。
企業の経営ということではプロ、すくなくともご当人たちはそう思っている。ましてや東芝という名門企業の社長、その社長に雇われた監査法人が、どれほどの立場で何を言えるのか?巷の常識で考えれば、はなからかなりの折り合いをつけての体のいい具申までだろう。新日本監査法人に限らず、煩いことを言い出したら雇ってもらえない。
2) 監査法人に何を期待するのか?
雇った監査法人の手を借りて、経営者がその成績表ともいえる決算報告書を公表する。経営者は決算報告書上で経営実態(経営者の立場)をどれほどよく見せるかに腐心する。そこには利益の水増しもあれば節税(度が過ぎれば脱税?)もある。
経営実態を「実態」よりよく見せる、言ってみれば女性の化粧のようなもの(失礼、女性蔑視と叱られかねない)。角のタバコ屋までならジャージの上下にサンダル引っかけて、すっぴんもありだろうが、公の場にすっぴんはないだろう。見る方も化粧した「美人」を見慣れているというより化粧をしていない「美人」を見たことがない。あまりに化粧が当たり前になってしまって、すっぴんで出てこられたら違和感すら覚える。
一度化粧をし始めると薄い厚いは別として化粧なしでは、横町のスーパーに行くのすらためらうようになる。中には、手間暇かけて化粧をしたところで代わり映えしない、あるいはする必要がないと考えて、すっぴんで通す人もいないわけではないが希だろう。同じように、企業によっては、ありのままの経営実態を決算報告書にまとめているところもあるだろうが、東芝のような大企業になると、あるいは化粧なしでは経営責任を問われかねない経営実態の企業では、化粧なしでは表に出れない。
前任者が監査法人の助けを借りて、ちょっと化粧をし過ぎたら、それを引き継いだ後継経営者と監査法人の後任担当者がし過ぎた化粧をそぎ落とせるか?余程のことでもなければ不可能に近い。そんなことをしたら、前任者に比べて見えのよくない経営実態をさらすことになって、経営能力を問われかねない。
化粧を重ねているうちに、いくら厚化粧しても見せたくないものを隠しきれなくなる。そこには不良債権の飛ばしも含めた整形外科手術のような「技術」を提供する監査法人までいる。新日本監査法人、この辺りを売りにしているのか?迷医なのかやぶ医者なのか、オリンパスを思い出す。
3) 監査法人は実情が分からない
拙い経験からだが、監査法人は企業の個々の事業体の日常業務について具体的には何も知らない。分かるのは項目名とその項目名に従って仕分けされ、経営者の都合(考え?)で整理された財務経理情報までだろう。
監査法人は、提供された財務経理情報をサンプリングチェックするまでで、個々の内容の詳細には踏み込めない。踏み込んだところで、分かったところまでが分かったまでで終わる。工数も時間も限られているなか、雇用主を疑っていると思われるような詮索は避けたい。そんな素振りでも見せようものなら、そんなことの為に雇ったのではないと言われるだろう。
適切を欠くが誰にでも分かる例を一つ。人気のシューティングゲームのソフトを購入したとしよう。この出費を「娯楽」−従業員に福利厚生の項目に記載(仕分け)するか、従業員の瞬時の判断力を養うための出費で「研修費」として扱か、それとも購買者の嗜好を調べるために参考として買ったもので、「市場調査費」として計上するか?この類のしばし詭弁ともつかない経費の恣意的な扱いはどこにでもある。ましてや関係会社間で売った買った買い戻した。。。伝票を動かして見た目の売上や利益のかさ上げなど朝飯前だろう。
4) 粉飾決済−化粧の自由?
粉飾決済は株主の利益を毀損する。「企業は株主のものである」という新自由主義はいいが、利益を毀損された株主も、その多くは法人。化粧もせずに街に出てくる女性が希なように化粧もしない−程度の違いはあれ、自分たちにとっての「適正」会計をしていない法人はない。そこまで厚化粧したら、もう別人じゃないかという冗談ともつかないことがあるが、どこまでの厚化粧までが許されるのか−どこまでの「自分たちの適正」会計が許されるのかという疑問に一義的な答えがあるとも思えない。
<注>
言い訳がましいいが、分かりやすい例として化粧を上げただけで、女性を蔑視している訳ではない。化粧については、個人的には大文字の肯定派と思っている。
<結論>
現行の会計監査では常に粉飾まがい−厚化粧の監査報告−決算報告書がフツーで、あるがままなり−すっぴんの決算報告書は化粧するまでもない法人に限られる。いってみれば、化粧をしなければ外出できない法人の厚化粧を薄化粧、あるいはすっぴんに近く見せる特殊メイクの競い合い。その特殊メイクの技能を提供しえるかが監査法人の「売り」になる。特殊メイクではすまない客に整形外科手術のような禁じ手を提供するコンサルタントや監査法人までいる。
また粉飾決済か、いつまでたっても減らないなどと思うのは結構だが、また粉飾決済が「露見」した、ニュースになるほどの露見があったというのが本当のところだろう。

化粧を比喩として使ったが、化粧と粉飾決済には本質的な大きな違いがある。化粧は見る人に害を及ぼさないどころか、多くの場合好感を生む。嗜好に違いがあったにしても、美しい人やものを見て、嫉妬する人もいるかもしれないが、イヤな気分になる人は希だろう。一方粉飾決済は、する人(法人)と手伝う人(監査法人)にとっては、なくてはならないことかもしれないが、見せられる人たちには経済上の実害がある。それは立派な(経済)犯罪だが、どういう訳か社会的な影響(得)が大きい割には罰則が軽い。ばれることは希だし、たとえばれたとしても、得るものに比べれば、たいした痛みもない。した方が得と思っている輩がいてもおかしくないというより、間違いなくいる。間違いなくいるどころか、誰もかれもがどれだけ黒にちかいのか、多少は黒から距離のある灰色かの違いでしかないようにみえる。化粧なしでは表に出られない経営者、公認会計士の先生方、監督官庁のエライさん、大きな、基本的な間違いありますかね?
2016/1/17