資本や権力が恐れるもの(改版1)

2010年頃、グローバルに事業を展開している巨大コングロマリットの一事業体の日本支社で先の見えない仕事をしていた。同じ業界に長かったこと、かつての同僚が転職していたこともあって、知らない会社ではなかった。入社するとき、まさかと思ってはいたが、その事業体はキャッシュカウだった。
あったのはノルマだけで、投資も戦略も何もなかった。本社からみて、四半期ごとにどれだけ搾り取れるか、そして何時まで搾り取れるかだけだった。何かの縁で付き合い始めて、腐れ縁のようになっていた代理店や顧客も気が付かない訳じゃない。それでも、リピートオーダーへの対応もあれば既設のメンテナンスもあるから、しょうがなく付き合っているだけで、いつどのように関係を清算しようかと考えていた。

顧客の都合や従業員の都合−都合というよりまっとうなお願いなのだが、本社はそんなもの聞く耳など持っていない。導入したら十年以上は使用する製造設備に搭載する制御装置やソフトウェアを製造・販売していて、何がなんでも、それはないだろうということが日々起きる。日本人の常識では信じられない事例をいくつか上げておく。似たようなことは、日本だけでなく世界中で起きていただろう。

1) 客に伝えた予定納期を一ヶ月以上も遅れて納品した製品のいくつかが不良品だった。客は即の交換を要求する。即良品を納品してもらわなければ、客の客への予定納期に間に合わない。コングロマリットの対応は不良品の修理。修理は最短でも二ヶ月かかる。保証期間中だから修理は無料だが、急ぐのなら別途交換品を買えだった。
2)日本の合弁会社の政治力で十年以上懇意にして頂いていた機械メーカから、保守品の見積もり依頼がきた。韓国の自動車メーカに一年ほど前に納入した組立ラインに使用しているパネルコンピュータが故障した。故障した製品は二十万円をちょっと出た価格で販売していた。保証期間ぎりぎりだが、保証期間中だと言ったところで無償交換なんか応じっこないのを客も分かっている。
たとえ応じたとしても、修理に二ヶ月はかかる。その間パネルコンピュータなしではラインを動かせない。交換品を買うからということで、アメリカ本社に販売価格を問い合わせた。
他社の製品に置き換えるのは面倒だしコストもかかるから、できるだけ高く売れという。二十八万円の見積もりがでてきた。懇意にしてくれている固定客からはボレと、日本人の感覚では信じられないが、コングロマリットでは合理的な考えだった。
3)ほぼ毎年、多いときには年に二回ソフトウェアをバージョンアップしていた。頻繁にバージョンアップしておいて、ソフトウェアのサポートは二つ前のバージョンまでしかしない。ビールの製造ラインや製薬製造ラインにソフトウェアが採用されていた。そのような製造ラインのシステム開発は、既設の改善版にしても最短で一年以上かかる。エンドユーザで一度稼働すれば、十年十五年と使用する。システムが稼働してソフトウェアのバグが見つかったときには、二つ以上前のバージョンということで、サポート外になって、バグを抱えたまま騙しだまし操業することになる。

こんなビジネスをしていれば、市場や巷の評判や風評が気になる。四半期毎に本社から世界中の従業員に対してWebでアンケート調査が送られてくる。訊いている内容は単純、答えるのも簡単。ただそんなものに、まともに付き合っているのが馬鹿馬鹿しい。ほっぽらかしておけば、インドにいる上司から電話がかかってくる。それは自分だけでなく、配下の従業員の誰それと誰それが処理をしていないから、いついつまでに処理するようにとの指示だった。

アンケートは日本において、社にとって不都合な噂のような、放っておくとボイコットに発展しかねないような話を聞いたことがないかというものだった。もし、多少なりとも、聞いたことがあるとでも答えようものなら、上司から即電話が入って、何をしたんだ。アメリカ本社で大騒ぎになっている。悪い噂は一切聞いていないとした上で、前の報告を英語の能力不足で勘違いしたとでも言い訳のレポート上げろと言ってくる。
下手なお役所など顔負けの官僚組織に生息しているマネージメント層、すべてがつつがなくであって、下手なゴタゴタだけは困る。二三年客や従業員を絞りに絞って、コストダウンで成績を上げて、コングロマリットの別の事業体に栄転するか、見た目の実績を引っ提げて転職といというのがマネージメント層の人たちの本音で、客が困ろうが従業員がどうなろうが、そんなことに興味はない。

いくらまっとうな仕事をしていても、事故のようなこともある。あるにしても、世界中に数十万人はいる従業員全員に三か月に一度、社の評判はどうなっているかと訊く経営陣がどの世界にいる?事業がうまくいっていても、奢ることなく外部の人たちの評判に注意するなどという真摯な気持ちからではない。組織をあげての神経症という訳でもない。自分たちが客や従業員に義理を欠いた、不条理なことを押し付けてきていることを理解する最低限の知能は持ち合わせている。自分たちの経営が引き起こすかもしれない顧客の離反や従業員の造反を恐れて、なおかつ対費用効果までも勘定に入れて、どこをどこまで絞れるかという算段を緻密にしてゆくための情報集めだった。

官僚顔負けの経営陣は、どんなことをしてでも、醜聞や風評、スキャンダルやゴシップ、遵法を盾にした巨大な租税回避、。。。どのようなことでも社のイメージダウンの責任が降りかかってくるのだけは避けたい。そんな経営陣が恐れているのは、実は醜聞でも風評や噂そのものではなく、それによって引き起こされるかもしれない金融市場での評価の低下と株価の下落にある。労働組合やそれに準じたものは既に根こそぎ殲滅した。従業員がいくら煩くても何とでもできる。顧客が文句を言っても、訴訟にまで行く気概も資金もない。ビジネスの市場には恐れるものはない。ただ、金融市場の評価は自分たちの生死を左右する。

名の知れた大企業であればあるほど、していることがしていることだけに、社会において善良な法人としての体面を保ちたい。そのためには慈善事業にも積極的になるし、従業員にボランティア活動に参加するよう奨励策も欠かさない。善良に見えるように腐心するのは、自分たちが自分たちの都合と自分たちの生死に関わる利害関係者−金融市場のプレーヤの都合でしか経営していないという証左でしかない。
コングロマリットは十兆円/年以上の租税を回避していた。合法的な会計処理で、利益の最大化を求める資本の論理は、それを求め、金融市場は、それをする経営者を高く評価する。

従業員数十万人のコングロマリットには労働組合がない。個人個人の労働者が対峙するには大きすぎるし、強すぎる。 それでも、ちょっと考えると、この市場の評価や風説に過敏にならざるを得ない経営陣のパラノイアとも思える立場や姿勢が、次の社会のありようを示唆している。
大企業の全てと言ってもいいだろうが、そのありようの可能性に真に気付いて対策を講じているようには見えない。大企業や資本は、従業員も顧客も納入業者も下請け企業も何もかもが、彼らの政治支配の下にいるもの、そこから這い出ることはできない、と思い込んでいるように見える。一見誰がどうみても要塞を思わせる圧倒的な力をもっているように見える。ところが視点を変えれば、彼らが非常に脆弱な立場に、あるいは危険な状態に追い込まれかねないところにいることが分かる。既に多くの人たちが、その可能性に、はっきりとしたかちではないにしても気が付いてもいる。

従業員でも顧客でも納入業者や下請け企業の従業員でも、企業とは全く関係のない人たちでも大企業を震撼させることができる。困ったことをしていることに気がついたら、匿名でいい、困ったことをインターネットで発信すればいい。経営陣が恐れているのは、行政の規制でもなければ、従業員や納入業者の不満でもない。巷の評判や風説とそこから生まれるフツーの人たちのボイコットだ。雪印乳業を思い出せばいい。オランウータン保護を目的としたネスレ叩きはそのいい例だろう。

史上最高益を謳歌している自動車メーカがある。史上最高益を上げているということは、季節臨時工からパートタイムの人たち、納入業者や下請けに十分な支払いをしていないからに過ぎない。もっと払えば、働いている人たちの可処分所得が増えて消費も進む。社会全体の好循環も始まる。もうちょっと鷹揚に金を払わなければ、そんな会社の自動車は買わないようにインターネットでつぶやけばいい。その会社の広告塔になっているようなもの全てを避けるようにすればいい。タクシーの乗車拒否もありだろ。

原発反対ならば、原発賛成と主張している、あるは反対行動を報道しない新聞の購読を止めればいい。きちんと報道しないマスコミをボイコットすればいい。働く人たちを大事にしないブラック企業をボイコットすればいい。巷の人たちの「つぶやき」が社会を変える。
お隣の国でインターネットへのアクセスを厳しく制限している。なぜ制限しているのか?それは巷の個々の人がインターネットでつながることで歴史を創る力になることを恐れているからに他ならない。官制マスコミに警察国家、人びとに銃口を向けることをなんとも思わない軍隊までいる。そんなところでも、というよりそんなところだからこそ、フツーの人たちのインターネット上での「つぶやき」が社会を動かす大きな武器なる。

北海道や九州から国会前のデモには参加できない。でも、インターネット上の「つぶやき」なら、その気になれば、誰でも、いつでもどこからでもできる。マスコミやデモは規制できても、あちらこちらで、でてくる人びとの「つぶやき」は規制できない。
人びとの「つぶやき」を無視できない社会になれば、自分たちの都合だけでなく、働く人たちや巷の人たちの都合も気にするようになる。インターネット上の「つぶやき」が、企業内組合の限界から御用組合にしかならなかった労働運動よりはるかにまっとうな社会運動に発展する。
2016/7/10