署名と文字認識−『天声人語』(改版1)

三月二日付けの朝日新聞をいつものように斜め読みしていて、『天声人語』にひっかかった。ざっと目を通しているだけなのに、必ずといっていいほど何かにひっかかる。たかが新聞、いちいち気にしてもしょうがない、といつもは流してしまうのだが、流し切れなかった。『天声人語』には日本の良識という畏敬の念がある。なまじ畏敬の念などあるものだから、ひっかかるまでで終れなかった。

手書きには味わいがあると言いたいがために、書の真贋とありようから始まって、署名にまつわる巷の字体騒ぎと手書き文字の文字認識(多分)を引き合いにだしている(ようにみえる)。引き合いに出すのはいいが、出したものが何なのか分かっているようには思えない。六百文字でまとめなければならないという紙面の制約もあるから、細かなことまで書けないという事情があるのは分かる。分かりはするが、問題は味わい云々以前の知識と認識に関わることで、紙面の制約が言い訳にならない。
無粋であることに、開き直りともつかない自負のようなものまである巷のオヤジ、「書」がどうなど考えたこともないが、やぶにらみのせいで署名と文字認識について一言二言言いたくなってしまった。

1)「署名」とは一体なんなのか?
ちょっと長いが『天声人語』の記述を引用させて頂く。
「例えば、鈴木さんが銀行の窓口で署名したら、書き直しを求められた。『令』の下の部分を『マ』と書いたのだが、印刷文字の形と同じにしてほしいと言われた。明朝体などの細部の異同を必要以上に気にし、本来なら問題にならない違いで正誤を決める傾向がでている。そんな問題意識から、国の文化審議会が常用漢字の字形に関する指針をまとめた」
「署名したら。。。印刷文字の形と同じ。。。」「傾向がでている」や「指針をまとめた」という文言から、署名とは、できるだけ印刷でもしたかのような字形で書いた氏名という考えを肯定しているようにみえる。

「広辞苑」には署名について次のように書かれている。
「文書に自分の姓名を書き記すこと。また、その書きしるしたもの。サイン」
ウィキペディアでは次のように説明されている。必ず時間遅れのある印刷された辞書でもないウィキペディアにして、この体たらく。どこかに印刷された記述を拝借しているだけなのか、全く情けない。
『日本法上、本来「署名」とは自署(手書きの記名、いわゆるサイン)を指すが、自署に代えて記名押印が求められることが多い。』
「広辞苑」もウィキペディアも似たような定義で、自分で書いた氏名を署名、あるいはサイン(Signature)としている。サインは英語のSignatureを略して、発音をカタカナで表記したものだろうから、サインとSignatureが同じものを意味していると考えていいだろう。であれば、署名=サインはできるだけきれいな字体で書いた、印刷でもしたかと見間違えない字体で書いたものがいいのか?

海外で生活したことのある人、あるいは海外とのやり取りを経験してきた人なら、できるだけきれいな、印刷でもしたかと見間違える字体で書いた氏名はサイン(署名)ではないと断言するだろう。そんなものをサイン(署名)としたら、簡単に誰にでも真似られる。サイン(署名)をすれば法的な責任が生じる。真似られるような字体でサイン(署名)はできない。印刷文字の形と同じ字体のサイン(署名)は絶対にありえない。
拙稿『サインの目的』を引用する。署名とは、サインとはなんなのか?引用した考えが間違っているとは思えない。
「氏名なら丁寧にきちんと書けば事足りるがサインとなると話が違う。サインは読めることを前提としていない。言ってみれば『本人の印』でユニークさが求められる。ユニークさ、日本ではちょっと違う意味に使われている。ユニークさは、本来他と一線を画して違うというだけでなく、他よりいいというプラスの意味がある」
「出張先のホテルでチェックインするときに氏名や住所を書かされる。その氏名を書くところに、『ご署名(サイン)をお願いします』と言われる。それは氏名であって、サインではないだろうと思いながら、氏名を楷書体で丁寧に読みやすい字で書く。その書いた氏名はクレジットカードの裏にあるサインとは違う。本人確認をするためのサインが必要ならサインするが、それは読めるものではない。氏名欄に書いた楷書体の氏名とサインを付き合わせることはできない」
海外が身近になった今日日、『天声人語』たるものが、署名が手書きの氏名なのか、それともサイン(署名)のことなのかもはっきりせずに、署名を持ち出すのはいかがなものか。余計な心配だが、サインは日本語なのだからということで、サインはサインで、Signatureとは違うなどと言い出しはしないだろう。この手の訳の分からない話に閉口してきたが、そこは『天声人語』、要らぬ心配だと信じている。

2)文字認識システムのロバスト性の問題か?
楷書体かなにかで、できるだけ読みやすい字体で書くべき氏名なのか本人の印としてのサインなのかという問題から一歩さがって、その手書きの氏名がどのように認識され、判読されるのかが気になる。認識するのが人であれば、「令」の下の部分でも「マ」でも認識に困ることはない。ということは書かれた氏名を認識するのは人ではなくて装置ということのなるのではないか?そうでもなければ、「印刷文字の形と同じにしてほしい」などという要求がでてくるとは考えにくい。ここで使われる装置はOCR(Optical Character Recognition) =光学文字認識システムとしか考えられない。

コンピュータの処理能力が進化して、複雑なアルゴリズムも短時間で実行できるようになった。手書き文字の認識は成熟し普及した技術で、特別なものではない。今日日のOCRシステムなら、宅配便の伝票上に手書きされた宛先や送り主を、たとえ百パーセントではないにして、認識する能力がある。鈴木さんが『令』の下の部分を『マ』と書いたら、鈴木と認識できないOCRシステムなど常識では考えられない。もし、印刷文字の字形と同じ字形の手書き文字でなければ認識できないのであれば、それは使っているOCRシステムの性能の不備を顧客に押し付けているとしか思えない。
漢字を学び始めた小学生でもあるまいし、どこのだれが、氏名を書くときに印刷文字の字形で書くか?海外の人たちにも、印刷文字の字体で署名(氏名ならいいが)をお願いしますと言って、話が通じるとでも思っているのか?

3)『天声人語』へのお願い
「人が自らの手で書く文字はこの世で唯一無二の刻印だ。印刷文字にはない味わいがある。達筆にはもちろん、悪筆にもそれなりに」と締めくくっているが、『天声人語』も唯一無二だろう。
その唯一無二で、味わい云々を言う前に使う言葉の定義をはっきりすべきだろう。署名とはなんなのか?
人が認識するのであれば、「令」の下の部分でも「マ」もかまいやしないはずなのに、なぜ「印刷文字の形にしてほしい」という要求がでてくるのだろうという疑問は涌かないのか?この程度の疑問も出てこないとなると、どこかで聞いたことを鵜呑みにして、こなれた文章にまとめているだけではないかと心配になる。まさか日本の良識であると自負さえしているであろう『天声人語』がその程度?そりゃないと言い切りたいが、どうも歯切れが悪くなる。

関心もなければ興味もひかれない記事は、眺めるまでで終わる。多少気になれば斜め読みになる。持ち合わせた知識、しばし職業として関係したことのある領域でかなり知っている分野であれば、深読みする必要もないだろうと、斜めがひどくなる。知らない分野のことで(要は素人)、興味をそそられれば、斜めが多少は起き上がる。起き上がるまでで、なかなかしっかり読まねばにはならない。所詮、新聞は素人向けの読み物で、何を知るにもWebで手がかりを拾って、本を探して調べに走る。新聞とはそこまでの−何を調べなければならないか、知らなければならないかを教えてくれる−ものと割り切っている。『天声人語』もその程度だったということなのだろう。
2016/5/15