患者はメシの種(改版1)

大みそかの晩、十時は回っていたと思う。実家がある西東京市の警察から電話がかかってきた。痴呆症が進んでいた母親が道で転んで骨を折って、小平市にある国立病院に運びこまれた。これから病院に出向いてもらえないかという話だった。オヤジが信頼していた国立病院で、そこなら心配ない。慌てて出て行ったところで何が出来るわけでもない。車もなし、その時間から出かけたら病院で新年を迎えることになる。病院に電話して明朝早々にお伺いすることでご了承いただいた。
十年以上前に父親が他界し、数年前には祖母も他界した。母親一人でマンション住まいになった。貧乏サラリーマンで同居しようにもできない。父親が開業医だったこともあって、実家には人の出入りが多かった。母親の認知症が進んで、怪しい人たちまでが出入りしていたのだろう。気が付いたときには、父親が母親の老後のために残した資産が全てなくなっていた。父親が使っていた机の上には、訳の分からない契約書や請求書の類が山のようになっていて、素人では処理しきれない。西東京市の福祉課に相談して、司法書士を紹介してもらった。司法書士に成人後見人になって頂いて処理してもらった。
痴呆症が進んで、早々に福祉施設にと思っても簡単に空きはない。新浦安から毎週土曜には一時間近くかけて独居の母親を見舞いに行った。昼飯を食べに連れて出て、スーパーで一週間分の食べ物を買って、母親のマンションで世間話をした。平日はデイケアセンターの方々のお世話になることでなんとかしのいでいた。
歩かないと歩けなくなってしまうと言いながら、よく散歩に出ていたのは知っていたが、それは、おそらく徘徊のようなものだったろう。何を注意しても聞かない。父親の死も祖母の死も理解できないところまで痴呆症が進んでいた。
骨折は老人によくある大腿骨頸部骨折だった。国立病院でボルトで骨を接続する手術をした。認知症は進んでいたが、じっとしていられない性格の人で、車椅子に乗って病院の廊下をあっちに行ったりこっちに来たり、人と出会えば誰とでも世間話。見舞いに行ったときに看護婦さんに、「お母さん、元気過ぎて、困っちゃいますよ」と言われて、恐縮した。
国立病院は手術までで、リハビリのサービスがない。リハビリ専門の病院として所沢市にある病院を紹介され転院した。リハビリを始めようとしたが、骨がもろくなっていてボルトを支えきれないからだろう、ボルトが抜けて痛みがひどく、リハビリどころではなくなった。
リハビリ専門の病院では治療はしない。骨から抜けたボルトを抜き取る手術のために、小平市の国立病院に戻った。ボルトが収まってくれれば、もそもそでも歩けるようになるのではと期待したが、車椅子の生活になった。今度は、リハビリではなく障害者の介護施設に転院した。所沢市にあるリハビリ専門の病院と同じ経営の施設で、そこも国立病院から紹介された。治療をする国立病院から治療のないリハビリ私立病院、そこから系列の介護施設と呼ばれる収容施設へ、その先は葬祭場というお決まりのコースに乗ってしまった。
病気や事故は予定して起きるものではない。特に事故は突発的に起きる。前もって起きることを予想して、障害を背負った人を介護する計画は立てようがない。国立病院で救急対応をして頂けただけでも幸運なのかもしれないが、問題はその後にある。公立あるいは良心的な介護施設には空きがない。申し込んでも、いつになったら入院できるのか分からない。
救急で引き受けてくれる民間施設があるだけでも、ありがたく思えという声が聞こえてきそうだが、救急患者を引き受けられるということは、ベッドに空きがあるということに他ならない。公立施設には空きがないのに、民間では空きがある。公立病院や施設の多くが赤字経営で困っているところに、民間の介護施設は需要を満たすべく増えている。
お世話になった民間の介護施設に医師は常駐しているが、治療行為はしない。治療が必要なら転院することを前提に入所させて頂いた。救急で他の選択肢がない。
介護施設に収容されてから、母親の認知症の症状が、素人目でしかないが加速していった。社会から隔離され一日中ぼんやりしていた。あれほど口達者の下町の女将さん然としていた人が、午後早い時間に見舞いに行って、声をかけても反応もせず、ろくに口も利かなくなっていった。一二度早すぎて、昼飯前に行ったときは、食後の薬を投与される前だったのか、いくらか話ができた。
成人後見人が、やっと八王子の片田舎で不便だけど、良心的な施設の空きが出たと連絡してきた。所沢の介護施設から介護状況の報告書を頂戴して、八王子の施設に提出したら、おとなしくしておくための薬の投与量が多すぎると断られた。そこまでの投与が必要な患者は受け入れられないとのことだった。
診療に関しては医師を信頼するしかない。なぜそれほどまでのという疑問符を発したところで、起きることは煩い家族と思われるだけだろう。ひいては母親の待遇に影響するかもしれないと心配になる。
一年以上たって、今度は清瀬市にあるカソリック系の施設の空きがでた。運が悪いのか、その時母親は食事が進まないということで点滴を受けていた。点滴を受けている状態では受け入れられないと断られた。本当に点滴が必要な状態なのか不審に思っていた。
数か月後、所沢の病院の医師から電話がかかってきた。「ヘモグロビンの値が落ちていて、微熱がある。食事も進まない、どうも腸閉塞の疑いがある。どうしましょう?」医師にどうしましょうと訊かれるとは考えたこともなかった。こういう症状なので、こういう疾患かもしれない。検査をしてこういう問題だろうと考えられる。こういう処置もあれば、ああいう処置もある。この処理のリスクはこうで、あの処理のリスクはこうで、ご家族としてどの方法をご希望でしょうかくらいの話をもらわなければ、ただどうしましょうと言われても判断のしようがない。
介護施設の医師から症状と検査結果を記載した書類を頂戴して、母親を所沢にある国立病院に連れて行った。抗生物質を投与していたからか平熱だった。どの診療科に行くべきか受付で相談して、まずは内科に行った。内科の先生に排尿はどうなってますかと訊かれて、分かりませんと答えた。先生曰く、腸閉塞はちょっと考えられない、この年齢で寝たきりでいるとし泌尿器系の炎症の可能性が高い。よく起きる病気だとのことで、まず尿検査をした。おしめを外した看護婦がちょっとびっくりしていた。おしめの中で尿がゼリー状になっていた。
あいにくその日は泌尿器科の医師がお休みだったので、日を改めて、また母親を所沢の国立病院に連れて行った。超音波装置で診断したら、尿管を通って膀胱に石が落ちているのが見えた。熱はないので、断定はできないが、石が尿管にひっかかる度に、炎症を起こして発熱したのではないか。もう膀胱に落ちているから、それが原因での発熱はもうないと思う。年齢も年齢だし、手術して石を取り除くのも得策とは思えない。様子をみてになった。
介護施設では発熱で食が進まない。で、栄養液と水の補給に点滴だった。国立病院の医者の話では、よくある尿管結石を疑いもせずに腸閉塞かというのは?。。。だった。医療に関しては素人だが、精神科医、精神科以外の疾患や障害の臨床経験のない、その程度の診断しかできない医師と思われてもしかたがないだろう。
二ヶ月もしないうちに、成人後見人から清瀬市の良心的な介護施設の空きがでたと連絡があった。何年も待ち続けて一軒もでてこなかったのが、出てくるときは出てくるものなのだろう。点滴で一件断られ、いつなになったらと思っていたが、次が出てきた。
成人後見人と同席して、所沢の介護施設で看護婦長と転院の相談をした。成人後見人は、母親と似たような状態の人たちの成人後見人もされていて、いくつもの介護施設を訪問して提供されるサービスとコストの兼ね合いもご存じだった。他の看護施設との比較をできる成人後見人の態度がいつもとちょっと違う。ここは月々十万円以上高いのにサービスはそれに見合っていない。いないように見えるというような遠回しな言い方ではなかった。それまでも、成人後見人から似たようなことは聞いていたが、転院先の目途が立たなければ、お世話になり続けるしかない。意思の疎通もままならない母親がどう扱われるのかが気になって、あまり強いことも言えなかった。
話のなかで、婦長がぽろっと本音、本音と思っていいだろう、を口にした。「転院ですか、転院されると。。。私たちの『メシの種』ですから」それを聞いて、思わず成人後見人と顔を見合わせてしまった。『メシの種』が事実であっても、事実であることは間違いないのだが、医療機関や介護施設において、その言葉は口にしてはならない。
間違っても口にしてはいけない言葉から、次のようなことが起きている可能性がある、あるいはあると考えられてもしかたがない。『メシの種』が入ってきたら、人件費を節約する(手を抜く)ために、適当な薬を投与して、できるだけおとなしく、手間のかからない状態にする。過剰な?投与でまず転院の可能性を減らせる。食事を与えるのも人手がかかるから、なにかあれば点滴に切り替える。点滴にすれば食事をとる能力が衰退する。食事をとるのが困難になって点滴の生活になれば、ケアというケアもなくなり経費を削減できる。他界するまでの点滴の生活が長ければ長いほど施設としては手間のかからない美味しい『メシの種』になる。
公立施設は満室で赤字。営利目的の私立施設は空いていて黒字。その赤字と黒字、公立施設で働いている人たちの給料が私立施設で働いている人たちの給料より高いからということでもないだろう。これだけでも何が起きているのか、起きる可能性があるのかは想像できる。メシ屋と同じで安くて美味い店は混んでいて入れない。高くてまずい店はいつでも空いている。メシ屋は時間をずらして待たずに入れるときに行く工夫もできるが、病気や事故は予定を立ててという訳にはゆかない。問題だらけ、できれば避けたいところにお世話にならなければならないということが起きる。おふくろには言い訳のしようもないのだが、不肖の息子、なんともできなかった。
もっともそう思うのは利用者の都合で、ぼろく儲かるのか、民間施設は増え続け、あげたか貸したか知らないが大金が政治家に渡って一騒ぎ。そうこうしてたら、今度は川崎でその『メシの種』をベランダから捨てちゃったというから、呆れるではすまなくなった。それでも老人大国日本、捨てたもんじゃない。見方によっては、新しい金になる成長産業が生まれていることなのだろう。シュンペーターもびっくりか?そのうち俗語辞典に「福祉」や「介護」は「ぼろい商売の代名詞」とでも載ってくるかもしれない。
2016/3/27