日本の公認会計士

根っからの技術屋だったのが、技術知識を武器にアメリカ系のマーケッティングに転身していった。マーケティングというと広告宣伝をイメージする人が多いだろうが、本来のマーケティングは企業の戦略立案遂行を責務として、経営トップに直属の部隊のことが多い。経営トップに近いところいたにしても、本職はマーケティングで経理や財務は門外漢。そんなものがある日突然、請負仕事で日本企業のアメリカ子会社の立て直しにでかけた。資本金を三十五パーセントも超える債務を抱えて、毎月負債が膨れ続けていた。日本の本社からの輸血を止めればそれで終わる状態だった。
金もなければこれという人材もいない。パートナーを活用してと思っても、力がなければ相手にされない。何年にも渡って禄を食んだ業界、知らないわけではないが、そこはアメリカ、市場も違えば生息しているご同業も客も違う。八方ふさがりのなかで、金をかけずに社内外の関係者をどう躍らせるかに腐心した。
出費をいくら抑えても限界があるし、収入を増やさないことには立て直しようがない。即営業体制の再構築を始めたが、外との絡みもあるから一朝一夕にはゆかない。こっちの都合で突っ走れることでもない。時間はかかるが、作業にかかりっぱなしということでもないから、手を打ちながら財務状況の把握にとりかかった。財務状況と月次決算の推移を見ないことには、立て直しどころか現状すら分からない。
幸いなことに零細企業をクライアントとした公認会計士が、それこそ手取り足取り教えてくれた。日本語でですら会計や経理の本を読んだこともなかったものが、毎月英語で公認会計士と相談しなければならない。月々の指導の他に、ほぼ隔週で一緒に夕飯に出かけて、経理や業務改善から始まって政治や教育に、ローマ法王の選挙にまで、社会のあらゆることを話しこんでいた。話だけではと思ったのだろう、超入門編から入門編、専門家ではない人向けと銘打ったAccountingの本を三冊買ってきてくれた。毎月日本の本社に経営状況の報告で帰国する度に、入門編から上級編まで日本語と英語の両方の本を買い込んで、毎日読んでつけ刃を強化していった。
本来、毎四半期の締めをお任せしているだけの公認会計士にもかかわらず、二人で毎月棚卸も含めて締めをしていた。それというのも、一般事務の女性がつけている台帳−仕訳も出納もあてにならないから、三月も溜めたら、ごちゃごちゃになって、それこそ手のつけようのない状態になってしまう。面倒だが、毎月締めて、それをもとに四半期で締めなければならなかった。
公認会計士は三十代のとき四年ほど東京で仕事をしていたことがあって、いい意味での日本通だった。姓を見ればドイツ系アメリカ人なのだが、公認会計士としてのプロ意識に広範な知識と良識の見本のような人で、公認会計士を超えた存在だった。
穏やかな人なのだが、ちょっと法的に問題になりそうなことになれば、毅然としてそれはできないと言われた。帳簿上の整理をしないと見通しが悪くてしょうがない。訳の分からない不良在庫や部品を損失処理していったが、何度か目にはそれは来期に回せ、今期はもうできない。これ以上やるとオレがお縄になっちゃうといいながら、手錠をはめられたような仕草で笑わせてくれた。良識の範疇を超えた無理はしてはならないという経験からくる鉄則を堅く守っていた。

本社の監査のために、日本本社がお世話になっている会計事務所の先生二人を連れて経理部長がやってきた。毎月締めをしているから、準備という準備もいらない。いつでも対応できる。日本通の公認会計士のおかげで、日本の公認会計士の一般的な監査の手法や着眼点まで分かっていた。やくざの世界ではないが、この用心棒の先生がいれば、日本の公認会計士が何を言おうが、指摘しようが切り返せる自信があった。
何をチェックすれば、もし問題があったら、それを検出できる。。。など、それは会計監査に限らず、どこでも似たような仮説とサンプリングでしかない。先生、先生と持ち上げてはいるが、何があるとも思えない。この人たちに問題を指摘されるようでは経営者として失格だろうというのが実感だった。
形ながらの、表面的なそのまた上っ面の監査だった。アメリカの公認会計士が日本の会計監査に関する知識がないと思っている。あれこれ知識を伝授しましょうという態度で話を聞かされた。言葉通り聞く限りでは、さっき聞いたことと、今度聞いたことの間に整合性がないということが頻繁にでてくる。訊いたところで何が出てくるとも思えないし、面倒なので聞き流していた。要は実務レベルで適当に折り合いをつけるしかないところでしかない。
あまりに教科書的な能書きを垂れるのに閉口して、アメリカの公認会計士が、日本の会計監査の実務として、債権回収が滞ったと場合に備えておく積立金の算出方法に関する矛盾はどう扱えばいいのだろうかと訊きかえした。訊きかえした本人は一義的な答えがないことを分かっている。分かっているのに、教科書を読むように言ってくる若い二人に、素人相手の話をしているじゃないぞと、くぎを刺す目的だった。二人の公認会計士が、それこそ、ぎょっとして姿勢を正して、答えにならない答えで、しどろもどろになっていた。そんなことは分かってる。ああそうですよねって、二人と一人でニコニコして聞いていた。その一人は日本本社の経理部長で、アメリカ支社の現状を知っていた。毎月本社の役員連中に経営状況の報告に行くたびに、経理部長には役員連中よりはるかに詳しく、支社で何を求めて何をしているのかについて、背景まで含めて説明していた。
ボストンでうまいものを食べて三人が帰国した後で、二人で飲みに行ってあの場を反芻していた。公認会計士曰く「too mechanical」その通り、個々の監査項目と監査手法の真意とその先を理解しようともせず、もっともする知能もないのだろうが、お題目というのか経費の名目で機械的に仕分けして、それを集計して、税効果会計や時の法律にのっとって減税操作、多少のマッサージをして、監督官庁の目にはひっかからない範囲で雇用主である経営者にもっとも都合のいい会計監査をして一件落着。それが日本の公認会計士の仕事であり、求められる能力なのだろう。年に一回の表敬訪問程度のお仕事、先生と呼ばれて先生のつもりなのだろう。まっとうな人たちならそんな職業に就くとも思えない。男妾?幸せな人たちだ。遠いいところを、ご苦労さん。
2016/3/6