モータリゼーションのツケ(改版1)

七十二年に就職して四年ほど独身寮にお世話になった。安月給だったが、寮住まいのおかげでエンゲル係数は低い。まるで餌じゃないかと文句を言いたくなるメシだったが、安いから文句も言えない。一人ものの寮生活、大した額ではないにしても使える金が残る。
陸の孤島ではないかという立地の悪い寮だった。そのせいもあってか、先輩の多くが車をもっていたし、同期も一年を過ぎたあたりから車を買うのがでてきた。三年五年払いのローンで夢のマイカーを買って、独身サラリーマンの自由を満喫するのがささやかな夢だった。若い人たちにとって車はあって当たり前、なければ彼女を見つけるのも、付き合ってもらうのも難しい時代だった。マイカーは準必需品だった。
地方出身者のなかには、三年くらいで新車に乗り換えて帰省したい、してもらいたい親の見栄まであった。東京の会社に就職して、まずはマイカー、そのうち結婚して、遠からずマイホームというのが思い描いていた生活だった。

2010年ころ、日米の合弁会社で禄を食んでいた。合弁会社の日本側の親会社の本社は河口湖の近くにあった。ワンマン名誉会長の有無を言わせぬ呼び出しにあって、何度もお伺いした。車の運転が好きじゃないという個人的な理由から、レンタカーで走るという選択肢はない。中央線で大月まででて、タクシーという手もあるが、新宿から高速バスの方が楽だった。乗ってしまえば寝ててもという利便性とコストから高速バスで河口湖畔にでて、そこからタクシーを使っていた。

初めて高速バスに乗って、一緒に乗っている人たちに驚いた。仕事の人は見えない。営業や現場作業を担当している人たちには、東京から河口湖方面への出張は社用車でがフツーなのだろう。たいして混んでいないバスのなかで、若いカップルが目立つ。十組まではゆかないが、どっちをみても狭いシートにカップルがいる。デートで富士急ハイランドには分かるが、高速バスでゆくというのが信じられなかった。
若い頃、通勤経路かその延長線でのデートなら車はいらないが、海や高原のリゾートではないにしても、ちょっとそこまでとなれば、車でが当然のように要求された。車もしなで遠隔地にデートなどと言ったら、女性に軽くあしらわれて終わってしまうのではという強迫観念さえあった。

バスで出張にゆくのに慣れていないというか、何か違和感があったが、どのカップルもバスに慣れているように見える。二時間ほどバスに揺られて、窓からぼんやり風景をみても、どこも似たようなもので何があるわけもない。何を見るわけでもないが、隣や、斜め前の席にいるカップルがいやでも目に入る。デートだから、当たり前なのだが、楽しそうな姿がほほえましい。カルト文化の見本のような親会社の名誉会長の御託を聞きにゆく者の目には羨ましい。若い人たちの慎ましい楽しさが、どうしても暗くなってしまう気持ちを和らげてくれた。どこか清々しい感じが、他人事なのにうれしい。

六十四年の東京オリンピックの頃からモータリゼーションが本格化してバブルがはじけるころまで続いた。最近では、可処分所得の低下もあってか、若い人たちの生活文化というのか嗜好も変わって、自家用車を持つ人が極端に減っている。マイカーなどという言葉を聞くこともなくなった。かつてモータリゼーションを進めてきた年齢層は、運転をしたくても出来ない歳になろうとしている。
少子老齢化は今に始まったことでもなし、モータリゼーション華やかしころ、すでに将来の傾向としてはっきり分かっていたはずだ。にもかかわらず、アメリカ文化の影響を受けて都市計画を進めて、都市の郊外化を進めてきた。その都市化を支える主要なインフラの一つが道路網で、その道路網によって昔からの街並みがシャッター街になるとともに、郊外にゆったりした敷地を誇る商業施設が作られていった。それが日本人がたどり着けた豊な生活だと信じてきた。事実、モータリゼーションによって土木屋も自動車関連の企業もそこに巣を食う利権屋も潤って、今日の日本があるのも否定しがたい事実としてある。

ところが、バブルの崩壊を契機にその豊さを支える社会構造が瓦解し始めた。それを何の手立てもなく傍観してきたような気がしてならない。郊外に広く分散した家々と商業施設をつなぐのに公共の交通機関がない。公共の足に頼らずに生活する環境−モータリゼーションを基本として都市計画がたてられ、自家用車による移動を容易にする道路網が整備されていった。自家用車が普及すれば公共の交通機関に対する需要が減る。地方においては、それでなくても定常的に赤字経営だった公共の交通機関は減少、あるいは廃止されていった。

高度大衆消費時代という言葉が、欧米先進諸国なみの生活水準をもたらすと信じ、実現に邁進してきたが、実現した途端、それが次ぎの社会構造に適さないばかりか、作り上げてしまったものの保全コストを賄いきれない問題を生み出した。 車がほとんど走らない道路網、放っておいて朽ちるに任せるわけにもゆかない。かといって、数えるほどの人たちしか使わないものを維持し続ける余裕もない。少子高齢化がこのまま進めば、余裕がないというような話を超えるのが目に見えている。
モータリゼーションを支えてきた道路網は、車を持たない次の世代にとって、それを保つために負担しなければならないコストに見合うリターンがないお荷物でしかない。モータリゼーションのツケが次の世代に重くのしかかる。

ある世代の夢が次の世代にはありがた迷惑。そのありがた迷惑を、生活水準の向上と思って作ってきた世代。地理的条件や歴史や文化に見られる−好き嫌いではなしに無視しえない制約をろくに考えもせずに、アメリカの消費文化に追随してきただけのような気がする。モータリゼーションは、今社会の一線から退いてゆく世代の無節操な豊さえへの憧れの一つだった。憧れが高いツケに変容して、若い人たちへの負の遺産になろうとしている。なんとも言い訳のしょうがない。
2016/6/26