軍需と雇用一反対から関与へ(改版1)

Webで知って、川崎市で開かれた武器輸出反対の集まりに出かけた。学者や研究者の集まりにありがちな、単調な話もなく、主催者の人柄なのか明るい。明確な論点と簡潔な主張、それを形にする行動力に感動して帰ってきた。ひと月ほどして、今度は神保町の大学の会議室で集まりがあった。論点も主張も同じなのだが、プレゼンターが学者さんだった。学者さんだからか、川崎でのセッションとは対照的だった。川崎では、集まってくれた人たちに分かりやすい話しだったが、神保町では、聞く側が聞く努力をするのを前提とした内容と話し方だった。
言葉も違えば、引用するデータも違うが、主張は同じ「世界中の紛争を悲惨なものにしている武器を輸出するのは許せない」。川崎でのセッションは初めての参加だったことと、熱意のある話に引き込まれて、ぼんやり抱え込んできた疑問が包み込まれた。神保町では包み込むものがなかったことが幸いしてか、疑問がこぼれでてきた。

国際協定で武器輸出を制限しようにも、限界がある。絶滅危惧種の密漁がなくならないのとは種類もレベルも違う。密漁は密漁者−民間人とそこからの裏金で動くちゃちな官僚が根絶を難しいものにしているが、武器輸出は国家レベルの思惑(政策?)に軍産複合体の利権もあって、密漁の取り締まりのようにはゆかない。
そんなこと、主催者の方々は重々承知してのことで、難しいからといって、何もしない訳にもゆかない。一歩でも二歩でも理想とする社会に向けて働き続けるしかない。主催者の正義感とその正義感を行動にうつす熱意と体力に感動した。

たいした期待はできないにしても国際協定の話も進んでいるし、川崎でのセッションでお聴きした主張、もうこれ以上精緻化する必要のないほど完成度が高い。では今後、川崎でお聴きした主張を繰り返して、軍需産業に関与している企業に圧力をかけてゆけば、武器輸出や軍需産業から撤退する企業が出てくるのか?出てくる(はず)と主張する方もいらっしゃるだろうが、それは市井の人たちからの圧力からではなく、企業自身の都合というのか理由からでもなければあり得ないだろう。
誰も、紛争を悲惨なものにしかねない、ああだのこうだと言ったところで突き詰めて考えれば破壊と人殺しの道具か、あるいはそれに便宜を図るもので禄を食みたいとは思っていない。もし、心底思っているのだったら、精神を病んでいる疑いがある。軍需ビジネスを止められるものなら止めたいが、止められない理由があって止められないというのが本音のところだろう。人が良すぎる、バカと言われるかもしれないが、そういうほど悪い人ばかりじゃない。

Webで日本の軍需産業についてちょっと調べてみた。すぐに「日本の軍需産業べスト10」が出てきた。urlは下記の通り。
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/45104473.html
親方日の丸がなければ苦しい三菱重工がダントツで、伴走するかのように三位に三菱電機が入っている。二位に川崎重工が、四位にNEC。。。が並んでいる。タンカーやコンテナ船などの民生船舶では韓国や中国に競合できなくなって潜水艦などの軍用船に活路を見出したい。戦車の延長線でやってきた乗用車じゃ価格競合できない。。。細かな説明などいらない。シャープや三菱自動車に東芝の体たらくが「モノ造り日本」の苦境を語っている。

日の丸半導体の旗手として世界を制覇した感のあったNECも日産のリーフに搭載したリチウムバッテリでミソをつけて、成長を期待できる事業がみあたらない。凋落ぶりは話に聞いていたが、どうなっているのか気になってホームページに入って、財務情報を拾ってみた。
「業務推移データ」を見る限りでは、2005年度には約五兆円あった売上高が2015年度には三兆円を切るまで落ち込んでいる。 純資産は一兆二千五百億円から八千五百億円に、従業員数はざっと十五万人から十万人に減っている。
ここに2000年から2004年の軍需ビジネスの売上合計が約三千億円ある。年当たりの平均にならせば六百億円。「業務推移データ」と軍需ビジネスの年にズレがあるため、数字の比較が難しい。ただ軍需と民生の区分もグレーの部分もあるだろうから、外部の者がいくら正確を期したところでしれている。ざっと言えば、軍需ビジネスの売上は、総売上げ五兆円の高々一二パーセントにしかならない。

巷のフツーの神経なら、それっぱかしの軍需ビジネスをもっているからといって、平和団体から「軍需企業」=死の商人のレッテルを貼られるは間尺に合わないと思うだろう。ところが経営陣は、それっぱかしを生命線と考えている可能性がある。官公庁や軍需なら指名入札もあって利益率は高いだろうし、防衛予算で開発した技術の民生への転用もあるだろう。
民生用途で採用されている技術は汎用技術とその延長線の普及したものでしかない。普及した技術をベースにした民生製品では韓国や中国のメーカと機能や性能での優位性を保つのは難しいし、価格競合は益々厳しくなる。官公庁と軍需ビジネスなら海外の競合に脅かされる心配もない。日本企業同士は歴史に培われ、行政に指導された「健全な」利益を保証する共存共栄関係が出来上がっている。

経営陣からすれば、市井の人たちから、軍需産業から撤退しろと言われても、「はいそうですか」とは言えない。放棄する一二パーセントの売上、そこから上がる利益、公的資金で開発する新技術。。。何をもって相殺すればいいのか?それでなくても民生の売上は落ちているし、これから成長も期待できない。相殺しえる案でもなければ、受け入れようにも受け入れらないのをご理解頂けないか、受け入れれば、外注や下請けも含めて何万人もの雇用問題になる。それをおしてでも軍需から撤退しろと言うのか?と言いたくなる。

事業と雇用に責任のある経営者にしてみれば、雇用問題を無視して、軍需ビジネスをどうするかという課題設定に問題があると言うだろう。NECの将来を決定する戦略に関わる純粋に経営判断の領域のことで、市民団体にこうしろと言われて、するものでもないだろうし、市民団体に将来の在り方をご相談できることでもない。

仮に、経営者として軍需ビジネス=市の商人に反対するのは正論であることを認めたとしよう。認めたとしても、既に軍需で禄を食んでいる、食まざるを得ない企業や人たちがいるかで、軍需ビジネスを止められない理由を一つずつ取り除かなければ、気持ちの上では反対に賛成でも、反対されていることの実現に至らない、というより至る過程を始めることすらままならない。軍需ビジネスに反対する人たちが、NECの場合であれば、放棄する一二パーセントのビジネスを相殺しえるかもしれない案を提示する立場に、いやでも経営になんらかのかたちで関与することを考えるときにきているような気がする。
2016/6/12