本社の意向−寂しい人たち(改1)

六月十日付けのヤフージャパンのニュースにマイクロソフトの上意下達の企業文化がにじみでていた。 Windows 10へのアップグレードのごたごたを見ていると、何度も似たような立場にいたことがあるだけに、日本マイクロソフトの置かれた立場を想像してしまう。

<ヤフージャパンの記事>
三上智子ウィンドウズ&デバイス本部長は「(従来のOSは)サイバー攻撃の脅威が大きく、利用者に安全にパソコンを使ってもらいたい。有償のアップグレードを1年間、無償で提供するのは大きな決断だった」と、無料更新サービスの意義を強調。混乱が生じていることについては「解除方法についての説明が足りなかった」と認め、「分かりやすい情報提供の方法を検討していく」と話した。ただ、更新通知はマイクロソフトが世界共通で提供しており、日本独自の対応は難しいとして、「10」推奨の姿勢は変えない方針を改めて示した。

何が姿勢は変えない方針だ。米国本社の方針を変える権限もなければ、能力もありませんというだけだろう。この程度までしか言えない、出先の苦しい答弁。聞いてもしょうがない内容。民間の営利企業なのに、どこかの国の政治家やお役人の答弁と何も変わらない。民僚と呼ばれる所以だろう。

世界市場を見ている本社にすれば、日本支社など一出先機関に過ぎない。一出先機関の民僚組織、日本の客に何を言われようが、それをもって本社の意向を変える力などない。できることといえば、客を逆なでしないように細心の注意を払いながら、しどろもどろになりながら、本社の意向をオウムのように伝えることだけだろう。
細心といっても、日本の客の苦情を、本社に伝えるときに使う最大級の細心の神経に比べれば、数段低い。日本の客に解雇されることはないが、本社の逆鱗に触れれば、左遷どころか、即解雇になりかねない。本音など、おくびにも出せない出先機関の置かれた、情けないというのか、見るに忍びない状況が想像できるだけに、憐憫の情さえ湧いてくる。

多くの企業ではWindows 7上で稼働する業務アプリケーションソフトを独自に開発している。それをWindows 10上に移植する=動作確認するには膨大な費用と時間がかかる。
Windows 10になったとたんに業務アプリケーションソフトが動かなくなる可能性がある。強制的とも思えるアップグレードは業務妨害になりかねない。
世界の客は日本の客ほどおとなしくない。世界戦略で日本では変えられないのはいいが、このままゆけば、EUあたりからは苦情だけでなく、訴訟問題になる。
既にアメリカではマイクロソフトの強引なアップグレード政策に客から苦情が殺到して、以前のようにアップグレードを促すメッセージを送ることに切り替えたと聞いている。

なぜWindows 10をそこまで押したいのか?
出遅れたスマホ市場で劣勢を挽回すべく、PCのOSの圧倒的なポジションを梃子としたいのは分かる。フツーに考えれば、PCとスマホのアプリケーションを共通にしてという戦略にゆきつく。
PCとスマホのプラットフォームを共通にした上で、スマホのアプリケーションソフトを提供してiPhoneに挑んで、サーチエンジンではGoogle と張り合ってはいいが、時代は、既にマイクロソフトの先を行っている。

あちこちのショップや企業が客を取り込もうと、スマホのアプリケーションソフトの提供競争が起きている。マイクロソフトのスマホが売れてないからだろう、誰もマイクロソフト用のアプリケーションソフトまでとは思わない。
スマホが売れないから、アプリケーションソフトがそろわない。そろわないからスマホが売れない。この悪循環をWindows 10を梃子になんとかしたい。気持ちは分かるが、PCのユーザに迷惑をかけてまで。マイクロソフト以外には誰も納得しない。

ちなみにアップルはMacとiPhoneを統一する考えがない。今のところ、客もPCはPC、スマホはスマホと思っている。PCとスマホ、あまりにもリソースに違いがあり過ぎて、PCから統一するのが合理的とも思えない。思っているのはPCのOSを握っているマイクロソフトだけだろう。
統合が進むとすれば、クラウドを前提としてスマホからThin client PCへの進化で、初等教育用など、既に一部では始まっている。そこには恐竜のように大きくなりすぎたIntelのCPUもなければWindowsもない。時代が両者の今までの進化の方向とは逆に進んでいる。


日本マイクロソフトの立場や能力もさることながら、ことはマイクロソフトと日本マイクロソフトに日本の客に限ったことではない。似たようなことは毎日起きている。日本の企業でもあることで、マイクロソフトだから、外資だからとことでもない。

Windows 10へのアップグレードのゴタゴタのおかげで、似たような経験をいやと言うほどしてきた者には、経験したことが特異なことではなかった、俺だけじゃなかったという妙な安堵感すらある。
経験してきた現象はさまざまだが、それ引き起こしているのは、一言で言ってしまえば傲慢な本社とその背景に人種差別まである。

外資にいると、人種差別が見え隠れする傲慢な本社が絶対権力を持っていて、数ある周辺の一つででしかない日本の販売子会社の一従業員が何を言うかといった態度に遭遇する。そのような態度をとっていると見られていることを自覚しえない知能というのか見識しかない人間に、たとえ仕事上であっても適当に付き合わなければならないことに忸怩たる思いがあった。また、自分が逆の立場にならないように細心の注意を払ってきた。

競争の厳しい市場で勝ち抜いてゆくには、お互いの信頼が欠かせない。ビジネスはある意味で戦に似たところがある。部隊にだらしのないのが一人がいるだけで、部隊全員と関係する他部隊の将兵の命にかかわる、それこそ致命的なミスが起きることがある。ましてや、そのだらしのないのが参謀本部(本社)だったり上官だったら、部隊は戦どころではなくなる。第二次大戦時の日本軍はいい見本だろう。

経験した本社と支社の関係で、本社として最低限しちゃいけないことの例として二つばかり挙げておく。 どちらもWindows 10のアップグレードに比べればたわいのないものだが、当事者として、辞表片手に、ふざけるな、やってられるかという気持ちは似たようなものだろう。

1) 全ては本社の都合
ドイツのサーボドライブメーカの日本支社で営業部隊を立ち上げていたときの話。
毎月末に向こう三ヶ月間の主要製品の販売予測を、一台単位で報告することを義務付けられていた。製品在庫を持たない、日本の経営の一端(ジャストインタイム)をかじったドイツの経営者が真似しようとして、形だけが先行したことから起きていた。基礎データも、その基礎データをどのように処理するかなど実際の運営手法を考えることもなく、本社が一方的に販売拠点に報告を要求する。典型的な上意下達の民僚体質だった。どこにでもある「一知半解」に傲慢というトッピングが乗っていた。

日本支社は自社製品を販売することに加え、二年目からは、ある日本メーカの製品を相手先ブランド(OEM)で手配する購買業務もしていた。
日本メーカもドイツ本社と同じように販売予測を(穏やかに)要求する。ドイツ本社からOEM製品の購入予測をとり、日本メーカに報告する責任がある。ところがいくら本社に問合せしても、問合せのメールやらファックスが届いたのか、届いていないのかのレスポンスがない。
自分が必要としている三ヶ月間の販売予測の数字は、ちょっとでも報告が遅れようものなら、報告先がドイツ人の上司だからだろうが、怒鳴り散らさんばかりの矢の催促だが、相手−日本人が必要としているもの−提供する義務があるものに関しては、返事もしてこない。

電話を入れても、何を言っているのか分からないドイツ語とも英語ともつかない言語で、自分の都合だけを主張する。巷できちんとしていると思われて(誤解されて)いるドイツ人のフツーの仕事ぶり。正論を吐いている日本支社がドイツ本社で悪者にされる。これを、なんとも思わずに毎月繰返す。ヒトラーのアーリア人種優越感が日常的に溢れていた。
おそらく死ぬまで変わらないから、問題というのか疑問はただ一つ。こんなことを何時まで繰返すかだけになる。後任も似たようなものだろう。上には従順に下には傲慢に、ドイツ人の仕事の仕方というのか生き様。あえて言えば、これがドイツ文化。ジャーマンシェパードとはよく名付けたと思う。

2) 新製品の特許申請まで発売を待てと。。。
毎日の受注数字を報告しろと、非常にうるさく言うアメリカの会社の日本支社で遭遇した馬鹿げた話し。
アメリカでもヨーロッパでも販売を開始している新製品の日本市場投入をちょっと待てと言ってきた。今、特許を申請している機能があって、その機能の特許が取れれば日本市場でビジネス展開が楽になるからと言う。
ところが待てど暮らせど特許申請が完了した、市場投入しろとの連絡が来ない。何度問い合わせてもコピーでもしたのかと思えるほど同じ回答、「待て」。特許は申請がすめば、後は特許申請中と言って、製品を市場投入していいはずじゃないか、特許が成立するには何年もかかるだろうがと問いただしたが、意味のある回答は何もない。

半年以上経って、申請しようとしたが価値のある特許にはならないので、特許を申請しなかったと話しが漏れ伝わってきた。おいおい半年間も新製品を市場に投入できずに、どれほどのビジネスチャンスを失ったか分かってるのか、と言ったところで知らぬ存ぜぬの厚顔さしかない。

本社のそこそこ上の誰かが、何を思ってか特許がどうのこうのと騒ぎになって、日本支店がそのあおりを食ったというのが真相だろう。誰も何の責任も取ろうとしない。売上げが少なければ、営業マンは即解雇される。毎年成績の下位の数名、一割ほどは自動的に解雇される文化の企業で、これはないだろうでは済まない。

立場が上になればなるほど、決定が及ぼす影響が大きくなる。間違いがあったら謙虚に間違いを公に認めなければならない。ほっかむりをしているようでは、立場が下で何をしても上の者より影響の少ない者が犯した間違いを問いただすことはできない。本社のミスを海外の販売拠点の責任に押し付ける。よくあることだろうが、しちゃいけない。
誰もがそう思うと思うだろうが、矮小化したジャーマンシェパードのような日本支社の社長は、保身第一で何もしないし、本社に苦言のようなことは一言も言わない。

客に、市場に、社会に真摯に向き合おうとすることを許容しない人がいる。何時の時代にもどこにでもいる。ヒラメのように両目を上に向けて、巷で起きていることに目をつむって、自己保身でしか生きられない人たちもいる。厳しい状況がそのような人たちをあぶり出す。
EUで訴訟にでもなれば、日本マイクロソフトも、その尻馬に乗って、多少なりとも本社に何かを言い出すかもしれない。人情という地図には数えきれない「洞ヶ峠」がある。

これがマイクロソフトだからということでもなければ、外資だからということもない。日本の会社でもどこでも、いつで起きて来たし、今も起きているだろうし、これからも起き続ける。寂しい、フツーの人たちの「洞ヶ峠」を決め込んだ仕事の仕方というのか、生き様ということだろう。
2016/6/26