コミュニティの危険性(改版1)

グローバリゼーションの弊害を軽減するためや、グローバリゼーションの行きすぎを押しとどめようという視点からコミュニティを重視した話を耳にする。そこには国境を越えて活動する資本になす術もなく取り残された住民としての危機感と素朴な庶民感情がある。多国籍企業の活動や国際金融を国家(間接的でも人々)の監視の下におかなければ、いつまたリーマンショックのような混乱がおきないとも限らない。さまざまな対策が聞こえてくるが、現実は国家権力をもってしても、多国籍企業の活動も実体経済をはるかに超えて肥大した国際金融も規制できないままでいる。

国家レベルでできないものを、地域のコミュニティ活動でなんとかしようという話を聞くたびに、何をどう考えたらそのような発想がでてくるのか不思議でならない。地産地消や地域の活性化、そこから人と人とのつながりへ、住んでいる人たちの手の届く範囲での活動。それはそれでいいが、それでグローバリゼーションがどうなるものとも思えない。話を聞いていると、コミュニティ活動の有効性に期待するあまり、コミュニティが本質的に持っている宿痾の問題に気がついていないのではないかと心配になる。

コミュニティを重視するのはいいが、重視がすぎれば、グローバリゼーションを頭から全否定することになりかねない。地産地消を進めれば、近隣の人たちとの交易すらも限定される。それを国レベルに拡大すれば、まるで江戸時代の鎖国のような状態になる。 歴史を長い目でみれば、人間社会は文明間の交易と交流によって豊かになってきた。今にいうグローバリゼーションは、人間が太古の昔から営んできた交易や交流と基本的には何も変わらない。侵略や戦争に帝国主義時代が生んだ植民地政策が残した負の遺産はあるが、その対極としてコミュニティの活動を持ち出して、グローバリゼーションを否定するわけにはゆかない。問題はグローバリゼーションにあるのではなく、どのようなグローバリゼーションにしなければならないのかということではないのか。

何をもってしてグローバリゼーションというのか、何をもってしてコミュニティとするのか、よって立つところと何を目的として何を見るかによって定義はさまざまだろうが、ここでは、目のまえで進行しているグローバリゼーションによる地球規模の同質化に対するコミュニティに視点をおいて、両者の関係を一瞥する。

コミュニティには大きく分けて二通りある。1)文化的、地理的、宗教的、民族や部族などさまざまな要素から長い時間をかけて形作られてきたコミュニティ。そのコミュニティは個人の自由意志を制限する。2)個人が自由意志(なんらかの文化的そのたの影響はあるにせよ)で参加する、比較的歴史の浅いコミュニティがある。ここでその二つを分けるもっとも大きな要素は個人の自由意志になる。

[個人的な経験から1]
七十年代末、ニューヨーク市近郊の決して豊かではない町で下宿していたとき、二階に二十代後半のユダヤ人男性(ハリー)とアイルランド人女性(アン)の夫婦が住んでいた。親戚をはじめ友人からの反対を押し切って結婚した。結婚したことによって、ハリーはユダヤ人のコミュニティから、アンはカソリックのコミュニティから追い出された。
八十年代初頭、東京で三十前後のユダヤ系アメリカ女性(キャシー)と一緒に仕事をしたことがある。両親ともナチスに追われてアメリカに亡命した二世だった。ボストン郊外で生まれ育って、ハーバード大学を卒業してジャーナリズムの世界で仕事をしていた。決して信心深い生活をしていたとは思えないが、結婚問題に疲れて東京に逃げてきたといっていた。八十年代半ばに帰国して、九十年代初頭に東京に遊びに来た。一緒にいたご主人はちゃんとユダヤ人だった。
ご存知の方も多いと思うが、ペンシルバニアやオハイオ南部から中西部に住んでいるアーミッシュはドイツ系移民で、宗教上の信念から、二十世紀の物質社会から距離をおいて、電気も自動車も時計もなく移民当時の自給自足に近い生活をしている。
ハリーやアン、キャシーやアーミッシュの人たちにとって、コミュニティは、生まれながらに所属していたもので、彼らの自由な意思で参加したものではない。そのコミュニティは、個人の思考や行動を制限する社会的な抑圧機構として存在している。

アイルランド女性のアンとユダヤ人青年ハリーがデートに行こうとすれば、それが人種のサラダボールと言われるニューヨークでも、どちらの家族からかも、交際をやめるように圧力がかかる。どちらのコミュニティにも、他のコミュニティとの距離を保って、コミュニティ内の結束をしっかりしたものにしようとする内在的な規制がある。そこでは、自分たちと違うコミュニティの存在は認めるというまでの社会―「複数単一文化主義」にしかならない。
ハリーとアンは、自分たちの意思で生得のコミュニティを出て、「多文化主義」的な社会への一歩を踏み出したが、キャシーはユダヤ人のコミュニティに留まることで、「複数単一文化主義」の道をえらんだ。アメリカのような移民社会においても本当の意味での人の交流を実現する「多文化主義」へ道は険しい。

「複数単一文化主義」では、いくつものコミュニティがばらばらに存在するだけでなく、自分たちのコミュニティと他のコミュニティの彼我の差を明らかにしようとする。なんらかのかたちの同一性をもった人の集まりに、その同一性をもたない人たちを差別する力が働く。そこではコミュニティ間の交流は進まない。人の交流を避ければ、文化交流も進まない。歴史上文化交流のまったくない社会が存在したことはないし、文化交流が限れた社会が発展しにくいのも歴史が証明している。

利害や宗教や人種や部族ごとに形成されたコミュニティの人たちが他のコミュニティと違いを過度に意識するところから偏狭なアイデンティティが生まれる。偏狭なアイデンティティはコミュニティ間のいざこざを引き起こす。いざこざレベルで収まればいいが、政治や経済に宗教、民族的な違いに基づく狷介なコミュニティ同士が対立を生み、そこから生まれた武力衝突のニュースを毎日のように見聞きしている。

村おこしや地域や地方の活性化などを目的とした、参加者の自由意志に基づいてつくられたコミュニティは、歴史的なコミュニティとは違うという主張があるだろう。個人の自由意志を拘束するコミュニティとは正反対の個人の自由意志によるコミュニティであると。主張はわかるが、コミュニティがコミュニティとして活動するためには、どうしても参加者と参加者の有機的な人間関係の構築が不可欠になる。コミュニティ内の人間関係が緊密になれば、必然的にコミュニティ外の人たちと自分たちを峻別する思考の慣性が生まれる。そこからはコミュニティ同士が融合して発展する力が生まれない。それどころか、彼我の違いを意識する強度に違いがあったとしても、コミュニティの本質―彼我の間に一線を引くということにおいては歴史に培われたコミュニティと同じではないのか。

自由意志に基づいて形成されるコミュニティ活動は、歴史的にはさまざまな文化の融合としてある「多文化主義」の社会のなかに、あえて「複数単一文化主義」のコミュニティ群を創造することに他ならない。ここから本来あるべき人や文化の交流が生まれ、豊かな社会が創りあげられるとは思えない。

[個人的経験から2]
「三つ子の魂百まで」ということでは、東京の下町の人間で、生まれながらに狭いご近所のコミュニティの中にいた。その反動からかコミュニティ・アレルギーのような気持ちがある。集団活動が苦手で人の群れに生理的な嫌悪感に近いものがある。
出張先で夕飯の時間を過ぎてしまって、居酒屋やちょっとした飲み屋で何か食べられないかと探すことがある。下戸で飲む習慣にないものにとって、ひとりで飯を求めて居酒屋は入り難い。どのドアも開けにくい。ここはちょっとというのを何軒も通り過ぎて、もしかしてここならと勇気を出して、そーっとドアを開ける。開けたとたんにズラッと並んだ馴染みの客の冷たい視線を浴びて、一瞬息をのんで、すいませんでしたという感じでドアを閉めてホットする。しがらみの少ない人生を旨としている者には、常連さんの集まりはコミュニティに他ならない。
テレビの街歩きの番組で、常連客で繁盛している店が地域の人と人のつながりを大事にしてきた暖かい「場」として紹介される。テレビで見る限りでは、うん、そんな人と人との暖かい交流があるのなら一度は行ってみたいと思ってしまう。
ところが実体験では、馴染みの客の視線に拒絶されたかのように感じで店に入れない。何も特別なことを期待しているわけではない。空腹を満たせる物理的に暖かい食事ができればいいだけで、常連さんの集いを邪魔する気もなければ、仲間の端っこに入れてもらえないかなどと言う厚かましいことも考えちゃいない。

ボランティアの人たちが一所懸命やっている集まりに出かけたら、ボランティアの人たちの人の輪が鋼鉄でできているのではないかというほどしっかりしていて、新参者は人びとの会話に入れない。隠語というわけでもないのだが、みんなが何を話しているのか分からない。ちょっとお邪魔するだけにしても、何年も一緒にやってきている人たちの集まりの壁にはじき返される。

国家レベルでどうにも抑制しきれないグローバリゼーションの負の影響をコミュニティ活動でなんとかはいいが、影響を軽減しえる可能性がないだけでなく、コミュニティが本質的にもっている負の影響まででてきかねない。いわれるようなプラスはないが、言われないマイナスは間違いなくある。どうも好きになれない。
2017/1/29