日本の情報の奇形化(改版1)

個人的な人間関係でも仕事においても、自分や自分たち、自社の製品やサービスについて、まず存在してといるということ――どういう人間なのか製品なのか、どういう会社なのか社会なのかという必要最低限のことを存じ上げて頂くことから始まる。

ほとんどの日本人が、アメリカやヨーロッパやアジアの大まかなことは知っている。そして、多くの日本人が、アメリカ人やヨーロッパの人たちも、自分たちが彼らを知っているのと似たようなレベルで日本や日本人のことを知っていると漠然と思っている。自分たちが知っているのだから、相手も同じように自分たちのことを知っているだろうと。
仕事や私的な用事で海外との行き来が盛んになって、東京で外国からの人を見るのも特別なことではなくなった。インターネットであふれんばかりの情報も得られる。和食が世界遺産に登録され、アメリカでもヨーロッパでも、寿司から始まってラーメン、最近では居酒屋が人気だという話も聞こえてくる。

アメリカでもヨーロッパでもどこでもそうなのだが、こと海外に関する知識ということでは人による違いが驚くほど大きい。うっとうしいぐらいに、なんでそんなことまでと思う日本通がいるかと思えば、未だにフジヤマとゲイシャガールのイメージを持ったままの人に出会うこともある。

ニコンだ、ソニーだ、刺身だ、ラーメンだ、本田だトヨタだと散々口にして、日産の車を運転しているのに、江戸末期か明治初期のころの日本のイメージしか持っていないのに出会うと、コイツは馬鹿じゃないかというより、間違いなく馬鹿だと思うことがある。常識で考えてみろ、そんなところから、お前が知っている工業製品があふれ出てくるわけないだろう。少しは頭を使って、どんなところなのか想像してみる知能はないのかと頭の一つも叩いてやりたくなることがある。

とはいうものの、自分や自分たちが、日本という国が、日本人と一般化した日本人がいったい何なのかを知っているのは自分たちで、海外のフツーの人たちは、よほどの理由でもないかぎり、手間暇かけて知ろうとはしない。何時の時代にも、異文化や海外の人たちのことは、見えたものが見えたまで、聞けたことが聞けたことまででしかない。相手に知ってもらおうとする気持ち、その気持ちを多少なりとも社会的な活動のレベルまで昇華して、自分たちが何なのかを知って頂けるよう努力するしかない。

ところが、こういう話になったとたんに、相手の素朴というのか無垢な好奇心に引きずられてか、相手がエキゾチックに感じる、文化的に遠いところに焦点がいく。それを文化交流だと信じ込んでいる人たちや団体が、今の日本人の日常からかけ離れた、伝統文化のようなものを、日本を特異な存在とせんがための意識もあってか、伝えようとする。これで知識の偏りというのか奇形化が起きないわけがない。

九十年代の初頭までのインターネットなどない時代なら、アメリカやヨーロッパで、フジヤマとゲイシャガールしか知らないというレベルのビジネスマンに会っても驚かないのだが、今でも似たようなレベルの人が結構多そうなのに閉口する。その偏ったというのか奇形化した知識が、いかがわしい観光案内屋がつくりだした情報からではないことに呆れる。

需要と供給の関係が背後にあるのだが、フジヤマとゲイシャガールというカビの生えた先入観念のところに、一時はルイ・ヴィトンの半分近くの売上が日本だったと言われてもピンとこない。日本人はマックのハンバーガーやケンタッキーフライドチキン食べて、街を歩けばどこにいってもスターバックスが……と言ったら、それが日常の事実だとしても、そんな面白みのない情報を価値ある情報と受け取る人がいない。大相撲や茶道に歌舞伎、……特異な伝統文化の情報の方がありがたがられる。

マックやスタバが載った日本の絵葉書に日本を思う外国人はいない。富士山や大仏や五重の塔に浅草寺の仲見世の絵葉書なら売れる。ビジネスで考えれば、相手がこう見たいと思っているものの範囲か、そこからちょっとででたところまでで抑えておくのが妥当だろう。

こんなことが繰り返されていれば、日本に行けば、ちょんまげ結って、浴衣着て、雪駄を履いた相撲さんが歩いている。その向こうには芸者さんが、歌舞伎があって、能があって……この偏ったイメージを発信し続けているのは、他でもない海外の人たちを相手にしている日本人。フツーの日本人には非日常というより、多くの人にとっては一生かかわりあうことのない、日本の伝統文化?を、あたかも今の日本の日常と勘違いしかねないのを承知で売っている。
海外の人たちへの伝統文化?の伝播で、本来あるべき文化交流を奇形化しているのは、それで禄を食んでいる日本人。海外の人たちの日本に対する誤解や極端に偏った理解の原因は、海外の人たち以上に日本人にある。

日本人の日常から遊離してしまった日本の伝統文化?を今の日本だと思わされている外国人と会うと、相手の知能レベルを疑うより、日本人の良識の欠如が恥ずかしくなる。

[ロマンチック街道]
ロマンチック街道は、ドイツ語でRomantische Strase。もとを質せば、文字通りローマ帝国が作った街道でしかない。日本語には、観光目当てで誰かがつくったロマンチック街道のイメージが刷り込まれているような気がしてならない。
2016/11/6