リケンウィルス対策

都庁でリケンウィルス感染が手の施しようのないところまで広がっていることが分かった。以前から職員や議員に出入りの業者のほとんどにウィルスによる慢性疾患の症状がみられると指摘されていた。誰もがこの程度までは悪化していると思ってはいたが、それを公に認めるのをためらっていた。

多少なりとも認めれば、なんらかの治療や症状を軽減する措置を講じなければならない立場の人たちもいる。立場にいると言われても、未だ有効な治療法も見つかっていないし、どうしたらいいのか分からない。症状をやわらげるいくつかの対症療法が提言されてはいるが、どれもどれほどの効果があるのか分からない。分からないなかで、重度の感染と症状を認めても、どうしていいのか分からない。誰も感染を認めたくない。

リケンウィルスは生理学でいわれるウィルスとは違って、人間が社会を構成したときにその起源をもつ社会的なウィルスで、一度感染すると治療法もなく完治することもない。被感染者が社会的な活動から身を退くにいたって、はじめて症状が軽減されることがある。
主な症状は、1) 異常ともいえる金銭欲、2)権力欲の増大、3)極端な奢侈、4)記憶障害――都合の悪いことを上手に忘れる、あるいは忘れたふりをする、4)同じ型のウィルス感染者で徒党を組んで、他者を排斥する。

感染方法は独特で、人の五感に働きかける文明さえあればいい。日常生活で見聞きする全ての情報がリケンウィルスを媒介する。情報通信技術が発達して、一瞬にして世界中に情報の伝播される時代になったことから、人の往来から外れた僻地においてすら、簡単に感染する。人の密度高く、人から人への直接感染もしやすい都市では日常生活そのものがウィルスを媒介し、都市文化はリケンウィルスの感染症状そのもののようになった。

感染していない人を見つけ出すのが不可能なほど感染が進んでしまったところで、新規の感染を防ぐのも、感染した人たちの治療も不可能、疾患の発症も防げない。そんななかで、考えられる対策は一つ。発症した疾患が大きな害をなさないようにリケンワクチンの接種。

リケンワクチンはリケンウィルスと一緒に社会に現れていて、なにも新しいものではない。太古の昔からその存在と効果をいわれてきたが、接種が難しい。感染して社会的な問題を引き起こす疾患を発症している人たちは、接種で(社会的)ショック死する可能性がある。死にいたらないまでも、発症していたときとの社会活動を続けられなくなる。重症者が大勢を占めた社会では、彼らが正常者であるという常識のような社会観が醸成され、発症している人たちのなかには、ワクチンの存在すら認めようとしない人たちも多い。

リケンワクチンは情報公開と説明責任からつくられる。民主的な市民社会において何も特別なものではない。製造コストがかかる訳でもなし、接種費用がという話にもならない。それほど簡便なワクチンであるからこそ、重症者はワクチンの存在を認めようとしない。万が一の接種の可能性に先んじて、ワクチンが効果を発揮しえないように、機密保護法などという反民主的な手段まで用意して、さまざまな措置をとってきた。

有効なワクチンの接種が社会の成熟度と民意のレベルの証であることを世界中の人たちが認めているにもかかわらず、実施されることなく今日に至っている。ウィルスが生物としての生存にかかわる人間の本質的な欲に働きかけるものだけに、ワクチンの接種は人間の存在そのもの、人類という種のありようを変えてしまう副作用があるかもしれない。
2016/10/16