学費と卒業生の意識(改版1)

半年以上前になるが、アメリカの大学生の生活難を特集したテレビ番組があった。番組によるとカリフォルニア州立大学の学生の約十パーセントがホームレスを経験している。「ホームレス、えっ、何?」と思いながら見ていて、そこまでいってしまっていることに九十九パーセントの驚きと、さすがにアメリカの大学という畏敬の念が重なった。

見聞きする日本の大学生の日常生活からはとても想像できない。日本人の感覚では、ホームレスになるくらいだったら、バイトでもなんでもすればいいじゃないかと思ってしまう。どうも腑に落ちないと思いながら番組を見ていたら、勉強が忙しくて(厳しくて)、バイトする余裕などどこにもないという事情がはっきりしてきた。日本とは状況が違いすぎる。そこまでびっしりとうのかしっかりした教育が提供され、それをしっかり勉強する習慣と能力がなければ卒業できない。世界に類を見ない教育体制なのだが、いかんせん教育費が高すぎる。

州立大学であっても、中の下の社会層では子供を大学に送るのは容易なことではない。ましてハーバードやMITのような名門私立大学となると、人文系の学科でも授業料がアメリカ人の平均年収より高い。高い授業料に見合った教育を受られるのはいいが、経済的に恵まれた家庭か、成績優秀で奨学金を得られる子供でもなればとても通えない。
有利の奨学ローンを使えば、卒業してから即返済に追われる生活になる。授業についてゆけずに中退でもしようものなら、高卒の限られた所得に高額の返済が重くのしかかる。卒業したはいいが、いい職につけなければ、同じように奨学金の返済に追われる。

イギリスやフランス、ドイツでは八十年代以降大学が一般市民に開放されたとでもいうのか、入学の敷居を低くして労働者階級の子弟でも入れるようにした。ここで二つの問題が起きた。増えた入学生を全員収容する施設を作っても、二年生以降になると授業についてこれない学生が中退して学生数が減る。収容できないのは困るが、必要以上に大きいのもコストがかさむ。それ以上に授業の内容が水割りされかねない心配がある。

アメリカの大学はふんだんな予算をかけて人材にしても設備にしても世界で突出している。ヨーロッパの大学だけでなく世界中の大学や研究機関から優秀な人材がアメリカの大学や研究機関に流れている。
この流れを止めようとすれば、アメリカの大学や研究機関と同じような資金が必要になる。その資金を税金でまかないきれないから授業料を上げざるをえない。上げれば、大学開放以前のように富裕層しか子供を大学に送れないという社会問題になる。一般大衆に大学を開放するには、授業料を普通の家庭が多少の無理をすれば負担できる額におさえなければならない。

ここで学費と学生の意識について考えてみる。調査をしたわけでもないから、状況からこう考えられるという話でしかないが、とんでない的外れの結論ではないと思う。
一年以上前になると思うが、何かの雑誌の対談で宇都宮健児が次のようなことを言っていた。「国民の税金で法律を勉強させて頂いたからには、法律家として社会に貢献しなければならないと思った」これと真逆のことが、当然のこととしてアメリカの大学の卒業生の志向に現れている。普通の家庭では負担しきれない学費をかけて、しばし奨学ローンまでつかって大学を卒業したからには、できるだけ早く奨学金を返済したいし、学費と使った時間(機会損失)に見合った収入を得たい。宇都宮健児が語った社会への貢献の視点はない。なくて当たり前で、そんなことを言う学生の方がおかしいと言わないまでも珍しい。そこには学生個人の意識の問題というより大学教育を一つの投資と考える社会の常識がある。

司法試験に合格すれば、どの大学を卒業したかに関係なく法律の専門家になれる。同じことは医師にも公認会計士にもその他の国家資格にも言える。日本の大学の学費はアメリカの大学に比べればささやかな額だが、それでも普通の家庭ではとでも負担できない学部がある。国公立大学の医学部あるは医科大学の六年間の授業料はざっと三百五十万円だが、私立医大あるいは私立大学の医学部の授業料は安くても二千万円を越える。三千万円はおろか五千万円に近いところさえある。三百五十万円も二千万以上も額面の授業料で、それ以外にもさまざまなコストがかかるだろう。

[参考]
医学部の学費についてWebを調べたら、いろいろなサイトがでてきた。下記はその一例。
「国立vs私立 医学部6年間でかかる学費は」
http://isyamonogatari.com/students/money/
「私立大学 医学部学費一覧」
http://ishin.kawai-juku.ac.jp/university/schoolexpenses02.php

国公立学校を卒業して医師になった人のなかには、宇都宮健児のように医師になった暁には社会に貢献しようと思う人もいるだろうが、はたして二千数百万円から五千万円近くの授業料を払って医師になった人が同じようなことを思うか。あくまでも想像ででしかないが、アメリカの社会の常識――大学教育は投資と考えて、投資した二千数百万円をできるだけ早く回収し、さらに利益を求めようとするのではないか。いいの悪いのではない、そこは人情。宇都宮健児のように思わないのかというのも酷だろう。
では患者としてどっちの医師にかかりたいか?愚問だろう。医師の倫理や医は仁術なりを胸に秘めて赤ひげ?当の昔に映画の世界のものになってしまったと思ったほうがよさそうだ。

いつの時代にも社会に貢献しなければと思う医師が大勢とは思わないが、それでもいないこともないだろう。そのいないこともないだろうという医師、はたして国公立の卒業生と私立大学の卒業生のどちらの可能性が高いか。疑問の余地があるとは思えない。
具合のよくないときにだけお世話になる医師の実像はなかなかわからない。好きにはなれないが、社会の常識である学歴で判断すすると、どっちがという疑問すらわいてこない。
もっとも見方によっては、国民の税金でまかなった教育費、アメリカ流の教育は投資という考えからすれば、国民が投資した分を取り戻さなければと、国公立の医師を選択しようとするのもありかもしれない。私立はねぇと思ってしまう、人情というより道理だろう。

ましてや多くの公立病院が赤字で困っているのに、さしたる公的支援も受けずに経営を続けられる私立病院。受けられる医療サービスや経費に大きな違いがないのであれば、どこかにマジックでもなければ経営が成り立たない、と素人ながらに心配になる。余計なお節介と一蹴されそうだが、ことは人の健康、ひいては命にかかわること。人さまざま、いろいろな事情があるだろうが、どっちがなにをしようが長期的には患者次第ということだろう。
2017/8/27