誤解するなよ(改版1)

政治家や官僚、どこかのエライさんの言い訳や言い逃れの枕詞「誤解を招きかねない発言で……」を聞くと、ちょっと待ってくれ、誰が何を誤解しているのか、と訊きたくなる。人にもよるのだろうが、身の丈を超えて偉くなると「誤解を招きかねない」発言が多くなる。
ただ、どこをどうひっくりかえしても、誰がどう考えても、誰も誤解なんかしちゃいない。エライさんの言ったことはちゃんと分かってる。それを誤解といわれちゃ、こっちも立つ瀬がない。「それともなんかい、オレたちにゃ、あんたらエライさんが言ってることを理解する知恵や知識がないとでも言いたいんかい?」と訊き返したくなる。

オレたちがちゃんと理解しているのに、それを誤解だと言う、そのあんたの理解の方が誤解ってもんじゃないのかね。なにも特別なことを言ってるわけでもなければ、あんたのように分かったような分からないような屁理屈を並べてるわけでもない。巷の、それこそふつうの常識で考えれば、あんたの「誤解を招きかねない発言」はあんたの本音で、「誤解を招きかねない発言」で始まる言い訳か言い逃れは、それこそあんたの誤解かその場をとりつくろうとするウソから始まっている。それが誤解でもウソでもないというなら、そりゃもう何の意味もない雑音だ。

あんたがいくら「誤解を招きかねない発言で」と言い訳したところで、あんたの誤解を招く発言は、あんたの性根というのか本性がポロっとでちゃったとしか思っちゃいない。余計な心配はいらない。みんなあんたのいっていることをしっかり理解しているから、「誤解を招く発言で」なんて分けのわからないことを言うことはない。何をいったところで、言葉としてですら間違いなくわかるのは、枕詞の「誤解を招きかねない発言」までなんだから、もうわけのわからない言い訳か言い逃れでごちゃごちゃするのはよしたほうがいい。ごちゃごちゃ言った挙句に、また「誤解を招く発言で」になるのが落ちだろう。

人間誰しも本音と建前がある。立場によっては言いたことも、言わなきゃならないことも言えないこともあるし、言いたくないことを言わなきゃならないこともある。意を決しても、歯切れの悪い言い方しかできないこともある。そんな巷の常識は、あんたが心配するまでもなく、みんな持ちあわせている。誰もあんたが思っているような馬鹿でもないし、こういっちゃなんだが、あんたよりよっぽど健全な知識とまっとうな常識を持ちあわせている。

ことあるたびに、「誤解を招きかねない発言」ももう訊き飽きたし、あんたもこうも頻繁だと疲れちゃうだろう。あんたは認めたくないだろうけど、巷の常識という目でみれば、状況は誰も目にもはっきりしてる。いい立場にいて、いい思いをしたいのは誰も同じ。でも何かの度に本音が露見して、その度にかたちながらでしかないにしても陳謝する。一度や二度なら陳謝で体面もつくろえるけど、もういい加減にした方がいい。無理に無理を重ねて、いい思いのできる立場にしがみついて、馬鹿丸出しだけならまだしも、恥ずかしいという、人としてもっとも大事な「心」まで投げ捨てて、いつまでそんなことしていられると思ってるんかね。

誰も自然体にちょっとした心がけでいられる立場にしか長居はできない。おいしい立場にしがみつきたいという気持ち、わかるけど、何事にもほどってものがある、もうこれ以上醜態をさらすこともないだろう。後進にゆずってこそ、人生ってもんじゃないのかね。悪いことはいわない、早々に引退した方が、みんなのためというより、あんた自身と家族のためだ。「誤解を招きかねない発言」が口癖になってしまったあんたでも、そのくらいわかるだろう。おいらの言ってることに「誤解を招きかねない発言」でなんてのはない。誤解するなよ。
2017/9/24