どこにでもいる小トランプ(改版1)

選挙戦のときの派手なパーフォーマンスは多少減ったように見えないこともないが、言動の本質の何がかわったわけでもない。芸のないお笑いタレントのように、そのときそのときの受けをねらった軽薄な言辞で、ことがすめば世話はないという話だが、情けないことに慣れてしまったのだろう、撒き散らす混乱には驚かなくなってきた。衆愚社会と紙一重の民主主義と厚生社会のありようを理解しえない人々の不満を煽って大統領になったはいいが、公約した過激な政策のどれもこれもが実行しえないでいる。あまりに社会の進化に逆行する、しばしお互いに矛盾しかねない政策案で、共和党内からも反対がでて、暗礁に乗り上げている。

選挙戦を通して彼を支えてきた重鎮でさえもが離反して、ごり押しの人事政策が、さらなる離反を呼んでいる。教育レベルの高くない人たちに受ける、単純な社会認識で過激な主張をして、主張してきたように社会を大きく変えようとすれば、変えることの周辺も大きく変えなければならない。何を変えるにしても関係者の合意と理解が欠かせないが、関係者があまりに広範囲にわたって、合意うんぬんの前に反対意見が噴出する。それがただの反対意見であればまだしも、憲法や法律に抵触するというところまでいくと、ひとつの政策を実現するために、数え切れない利害関係者の合意を、法律にもとづいて取り付けなればならない。

組織として確立された大きな企業や組織で中間管理職として経験を積んできた人であれば、関係者の合意を取りつけるのがどれほど大変な作業なのか実体験を通して知っている。不幸にしてトランプにはこの必須の経験がない。ないだけではなく、その貴重な経験から培った知恵に基づく思考や決断、それにいたるまでの交渉プロセス、いってみれば人間が社会的生物であるという人として必須の知識がないだけでなく、それらすべてを傲慢に否定するところに自分の存在価値があると、誤解ではなく正論として思い込んでいる。
トランプの言動の馬鹿さかげん、特異な人に見えないこともないが、ちょっと考えれば、なにも特別な人ではない。極端な言動も特別な才能をもってして、熟考の末にでてきたものでもない。程度の差はあっても似たような社会観念と生活心情で、似たような言動の人はどこでもいる。創業オーナーの多くの人の多くが、トランプと似たようなことを日々繰り返している。一緒にされたら迷惑だという創業オーナー社長もいるだろうが、傍目には似たようにしか見えないことのほうが多い。

その人たちの特徴は、何でも自分の思うままにできる、しなければならない、あるいはする権力と能力があると思い込んでいるところにある。どんなに忠実で優秀な部下であっても、しばし対等の立場にいるパートナーでさえも、オレがいるからそうしていられるだけで、自分の一存でいつでも首のすげ替えができる部品だと思っている。「いやならやめろ」や「いつでも首にしてやる」が口をついてでてくる。

本人も有権者の多くもトランプのような輩の資質と志向について、とんでもない誤解をしている。ビジネスで成功して政治の世界にという、トランプのようなある意味やり手がどのような人なのか想像してみれば、おおよそ次のような人たちになる。
何にもまして金に対する執着が強い。儲けるためであればなんでもする。法に触れたところで、訴訟になったところで、金銭上プラスになればなんでもいい。何をやっても勝てば官軍の意識しかない。地獄の沙汰も金次第で金さえあれば、名誉でも地位でもなんでも買えるし、白を黒とでもいいくるめられると思っている。ああだのこうだの格好をつけた言辞の枝葉を落とせば、本性の金儲けが見えてくる。あるのは金だけで、中身がないから、いかにも中身があるように虚勢をはってつっぱり続ける。

創業オーナー社長、たとえ株式上場しても会社は自分のものだと思っている。会社のなかでは戦時中の天皇のように不可侵の神のような存在で、自分が思いつくことは、すべて合理的で疑問符を発するヤツなどいるわけがない。もしそんな不遜な馬鹿がいたら、即刻首にすればいい。民主主義なんてものは、わけのわからないやつらがほざいていることにすぎない。あるのはオレの民主主義だと思っている。

そのビジネス上の成功から、社会的に立派なリーダーだという看板さげて、金にものを言わせて政治の世界に乗り出してきた私的世界の独裁者を、社会を大きく変革する改革者だと誤解する有権者が後をたたない。ちょっと考えてみればわかることだが、金儲けのために生きてきた人が、金儲けでないはずの政治の世界でなにができるのか考えてみればいい。金儲けの独裁者がある日突然国民や市民の公僕に変身できるか。スーパーマンでもできない。どんな格好をつけようが、できることは政治を通して、人様の血税を自分の利益に付け替えるだけだろう。
痴れ者の独裁者の支持者とは、その付け替えた利益のおこぼれにあずかりたりたい人たちか、そのプロセスを見ようとしないか、見えない人たちだろう。
2017/10/8