ファースト?そりゃ差別だ(改版1)

アメリカファーストと聞いたとき、どうせトランプの言い草、またばかげたことを言い出したと思っただけで、たいして気にもかけなかった。ところが都民ファーストと聞いたときは、おいおいそりゃないだろうとあきれた。どういうわけかキリンの一番絞りの宣伝をはじめて見たときの驚きを思い出した。

一番絞りだから美味いというのはいいにしても、それでは今まで飲まされてきたのは二番絞り、あるいはそれ以降の絞りも入った「おいしさを妥協した、せこいビール」ということにならないか。一番絞りというからには、二番絞りがあるはずだし、もしかしたら三番絞りもあるということだろう。思慮の足りない宣伝文句にすぎないのだろうが、二番絞りやそれ以降も使っている世界中のビールは、一番絞りのように美味しくないといっているように聞こえる。

もっとも美味しいビールが造れるのであれば、一番絞りだけでいい。二番なんてなくてもいい。ところが去年あたりからテレビや新聞で耳にする、なんとかファーストはキリンの一番絞りとは違う。なんとかファーストは、もともと一番も二番もない平等な社会のはずなのに、ある日突然オレのところが一番で、あんたんところは二番というふうに、他の人に二番の立場を押し付けることではないのか。公平な社会で誰だってファーストのはずだし、ファーストでいたいのに、誰がどのいうことでセカンドになるのかされるのか。
なんとかファーストとは社会的な負担を、周囲の人たちではなく、自分たちが一番先に背負いますということではない。真意はその逆で、自分たちが政治的にも経済的にも最優先で、本来自分たちが負担しなければならないさまざまな負担でさえも他の人や社会集団に、あんたたちはセカンドなんだからと押し付けると言っているように聞こえる。なんとかファースト、選民意識や人種差別と何が違うのか。

アメリカファーストとは、アメリカの利益が優先で、負担をカナダやメキシコなど周囲の国をセカンドとして押し付けることではないのか。都民ファーストも同じで、東京都(民)の都合を優先して、本来は東京都(民)が責任をとらなければならないオリンピック開催にともなう負担を近隣の埼玉県(民)や千葉県(民)に神奈川県(民)に押し付けることを意味しているようにしか見えない。

ファーストと改めていうまでもなく、東京都の行政は東京都民のためにあるはずのもので、同じことが国のレベルでもいえる。アメリカファースト?いまさら何をで、アメリカがアメリカの利益のため以外のためにあったことはないし、これからもない。アメリカファースト、アメリカの中で誰がファーストで、誰がセカンド……なのかという問題の本質をごまかすすべに過ぎないのを誤解して支持する人たちがいるからあきれる。他の国の人々にとっては、アメリカがフェアで自分がしたことの責任をとってくれればいいことで、余計なことをしてくれなればいいだけでしかない。

アメリカファーストも都民ファーストも、次の社会のグランドデザイン――アメリカのなかで、東京都のなかで何が優先で何が次で……という姿を描けない、極端な場合は泥縄式に状況に対応するまでの考えしかない人たちが、まるで三流週刊誌に話題を提供するために言い出したキャッチワードに聞こえる。
ファーストという差別を意味しかねない言葉を政党名に使う。ヒトラーでもそんな馬鹿げたことはしなかった。差別化かもと考えるに至らない社会認識が簡単に変わるとは思えないが、差別用語を入れた政党名は草々に変えたほうがいい。

まあ、ただ響きがいいだろうとか覚えやすいだろうという程度で、言い出した党名だろうが、そのうちあっちでもこっちでもなんとかファーストなんてのがでてくるんじゃないか。こっちは党名で、あっちは健康食品、そっちはあやしい医薬品なんてことに、なんでもファーストで、ファーストだらけの美しい国ってことにでもなるのか。昔知り合いのアメリカ人が、ファーストキッチンを皮肉って、ワーストキッチンと言っていたのを思い出す。
2017/11/5