エグザイルとアウフヘーベン

随分前になるが、テレビのチャンネルを回していて偶然とまった番組で聞いた言葉に、「えっ、何?」と思った。年のせいなのだろう、最近付いていけないテレビ番組が多くなって、「えっ、何?」は特別なことでなくなった。それにしても、聞いた気がしたのは「えぐざいる」。十分特別すぎる。こんな番組で唐突に「えぐざいる」。どういうことなのかと気にしてみていた。ちょっとたって、それはないだろうと思いながらも、「えぐざいる」は、どうも英語の「exile」のことかもしれないと気がついた。それでも、その場の雰囲気やそれを口にした人の様子から、似たような言葉の聞き違えで、まさか「exile」はないだろうと気持ちが消えない。ところが、なんど聞いてもExileをカタカナでエグザイルといっているようにしか聞こえない。ただ笑い声もあるしどう見ても、Exileという深刻な状況には見えない。何がどういう話になっているのか狐につままれたような気がした。

英語を専門としているわけでもなし、国際関係や、ましてや国際法などに縁があるわけでもない。上っ面の理解でしかないからなのか、「えぐざいる」と聞けば、パブロフの条件反射のように、「exile」とその訳語「亡命」がでてくる。「exile」も「亡命」も思想や政治的立場から祖国や住みなれた国にいられなくなることで、しばし命がけの国外逃避になる。普通の人が普通の日常生活を送っているかぎり、そんなとんでもない状況に陥ることはない。非日常の典型で、お茶の間向けの娯楽番組で聞くような言葉ではない。

なにが「えぐざいる」なのか気になって随分経ってから、どうもポップソングとでもいうのか流行の歌をうたっているアイドルグループのグループの名前らしいと気がついた。アイドルらしくとんだ格好はしているが、話を聞くかぎりでは日本人にしか見えない。まさか北朝鮮からの脱北者のグループだからエグザイルというわけでもないだろうし、もしかしたら韓国出身のエンターテイナーなのかもしれないとありそうもないことまで考えてしまう。何を気にすることでもないと思うのだが、どうしてもエグザイルがひっかかって落ち着かない。

どことなく新味があって、響きがよくて覚え易ければなんでもいいということなのだろうが、それにしても「exile」、ちょっと深刻すぎてたまらない。こんなことを思うこと自体、時代についていけないオヤジの証なのかもしれないが、ついていけなくて結構、何も思うことなくついていってしまう思考の方が危険にすぎる。歴史をちょっとみれば分かると思うが、exile(亡命)というあまりに重い言葉を流行のポップグループの名前にしてしまうほうが恥ずかしい。

「エグザイル」を思い出したのは、新聞に「アウフヘーベン」と載っていたに驚いてのことなのだが、こっちは日本の政治が軽薄というのか節操がなくなってしまった象徴のような気がする。「アウフヘーベン」に比べれば、「エグザイル」は若い人たちの受けを狙ったプロダクションの創造物で、日本社会がどうのという話にはならない。社会全体からみれば、ささやかな芸能界の流行の一つ以上のものではない。ところが衆議院選挙というときに、ときの台風の目にならんかという政党の指導者が唐突に「アウフヘーベン」と言い出した。

「アウフヘーベン」と聞いて、それが何を意味しているのか、どのような概念を表しているのかを理解している人がどれほどいるのか分からない。人文系の学問にうとい巷の油職工崩れには、ヘーゲル哲学の中核的概念の一つだったはずぐらいの理解しかない。ヘーゲル哲学を専門としている先生方ですら、その意味するとこを巷の人たちに分かり易く説明するのは難しいだろう。

日本が抱えているいろいろな問題の解決の糸口を明らかにするのに「アウフヘーベン」ということなのかもしれないが、言い出した政治家の話をいくら聞いても、どこにその言葉を持ってこなければ伝えられないものがあるのかはっきりしない。聞いている限りでは、「アウフヘーベン」は「エグザイル」の政治版のような気がしてならない。
聞いたことのない、どこか響きが新鮮で、言葉としては覚え易い、そのうえいかにも「高等」学問や文化のような輝きのようなものまであって、なんとなくではあっても言っている本人を本人以上の高みにある人間に見せてくれるという程度の、俗な思いつきで言い出したことではないのか。

政治家としてのキャリアも積んで、それなりの実績に裏付けられた人であればあるほど、今まで「アウフヘーベン」 の「ア」の字も口に出さなかったのが、なぜ今唐突に言い出したのかの説明がなければならない。去年までと今年と、日本が置かれた状況がこれこれこう違うから、去年までは「アウフヘーベン」は適切ではなかった。だが今は「アウフヘーベン」でなければならないという説明がなければ、目先の新鮮さで売っている三流政治家の「アウフヘーベン」ということにならないか。トランプでもあるまいし、明日になったら、こんどは何を言い出すことやら、とろくでもない期待のようなものまででてくる。

庶民の文化の一つの現れとしての「エグザイル」には、あれきはするものの、社会も経済もそこまで深刻ではないことの現われだろうと、多少なりともほっとしないわけではない。ところが、「アウフヘーベン」は、その程度の政治家か闊歩する社会ということなのかと考えさせられる。日本の良識が問われている。
2018/1/21