あまりに無知で恥ずかしい(改版1)

外国人ということでは、アメリカ人がほとんどだった付き合いが、転職をかさねてドイツ人に、オランダ人に、そしてスイス人へと換わっていった。仕事を通してが多いが、私生活でも随分いろいろな人に出会ってきた。社会の下層に近い人もいれば、高等教育を受けて国境をまたにかけた仕事をしている人もいた。いろいろな人がいたが、知日家とよべる人は一人しかいなかった。自分ではそう思っていそうな人もいたが、極端にいえば相撲や寿司に興味があるだけで、知日家とよぶにはあまりに普通の日本のことを知らなすぎる。
何年にもわたって何度も日本にきて、日常生活で日本の工業製品を散々使ってきているにもかかわらず、ほとんどが芸者にフジヤマから半歩出たあたりで終わっていた。距離的にも文化的にも遠い国に違いはないが、なぜそれほどまでに興味がないのかと考えていくと、どうも欧米(白)人に共通した抜け切れない人種差別があるような気がしてならない。

「十年一日のごとく」という言葉はこの会社のためにあるのではないかというオランダの会社に飽き飽きして、久々にアメリカの会社に戻った。面接した上司はインド人で、同僚にもインド人が多かった。話はちょっとそれるが、ここで個人的な思考のバイアスのようなものを感じてイヤな気持ちになる。アメリカ人やフランス人、あるいはイギリス人やドイツ人といっても、好き嫌いは別として、差別的な響きを感じないのに、インド人というと、どことなく差別の響きがある。中国人や韓国人、朝鮮人にもタイ人にもインドネシア人、ナイジェリア人にもエジプト人……にも感じないのに、どうしてなのかわからない。一九五一年に東京の下町で生まれて育った、自分ではごくありふれた日本人だと思っているが、このインド人といったときの響きがなんともならないのが恥ずかしい。

付き合う相手がアメリカ人でもインド人でも何人であっても共通語は英語だった。とてもではないが、相手がドイツ人だからドイツ語に、タイ人だったらタイ語に、中国人だから中国語にとはいかない。英語ですら四苦八苦してきたのが、付き合う相手が変わるたびに相手の母国語を共通語にするほど器用じゃない。

アメリカの会社というよりインドの会社ではないかといいたくなるほどインド人が多かった。同僚のインド人同士なら話は早いし、アメリカの会社のなかでの同郷人同士、緊密な間柄なのかと思うが、ことはそう簡単ではないらしい。いまだにカースト制度のしがらみから自由ではない人たち同士では、出身階級の違いが生む緊張から自由になれない。中にはそんなしがらみのあるインド人の中にいるより日本人と時間をすごした方が気が楽だというのさえいた。

南インド出身のタミール人だという同僚が、あからさまに同僚のインド人を避けていた。インド人のグループから逃げるようにして二人で昼飯に出かけたこともある。飯を食いながらインド料理の話から始めて、つとめて軽い口調でインド社会のことを訊いてみた。直裁に社会問題のような話に入るのもなんだろうと気を回して遠まわしにと思ったが、勘のいい人には本音が透けていたのだろう、同僚のほうからすぐに宗教もからんだ社会問題に近い話題を振ってきた。
「多民族、多宗教、多文化で、一口にこれがインドとはいえない」
じゃあ、何がインドなんだという顔をしていたのだろう。わかりやすく説明してくれた。説明はわかったが、じゃあ何がインドなんだということではなにも変わらない。
「たとえば、俺の実家の町からデリーまで列車で行ったら、止まる駅ごとに言葉も違えば、食べ物も違う。東京でインド・レストランをよく見るが、インドにはカレーという料理はないし、改めて一般的な呼び名でインド・レストランというものがあるのか、ちょっと分からない」

日本料理のことを聞かれて、似たようなことが日本料理も言えることに気がついた。これが日本料理といったら、ではあれは日本料理ではないのかと訊かれて、はたと考えれば、これもあれも日本料理だといいながら、でもそれは中国料理の日本料理だし、これは洋食の日本料理だし……。ちょっとルーツまで考えると、これが日本料理で他のものは日本料理ではないと断言する自信があるようなないような、という話になる。

日本は特別何を考えることもなく、単一民族の単一文化だと思っている。そう思い込んでいるだけかもしれないにしても、インドの多様性にくらべれば、はるかに単純だと思う。ただ単純であるにもかかわらず、その一例としての日本料理でも、そうそう簡単にこれだとは言い切れない。単純なはずの日本ですら十分ごちゃごちゃしている。それがインドとなると多様性などという、あまっちょろい言葉では言い表せないほど、なんでもかんでもある。あまりにありすぎるインド、そのありすぎるインドの何を知っているわけでもない日本人がインド人にインドとは何だと聞くのはあまりに漠然としすぎていて、何を知りたいのかわからないという話になりかねない。最低限の知識もなしで、思いつくままでは失礼になる。そんなことでは、日本を知らない、知ろうとしないアメリカ人やヨーロッパの人たちとたいして変わらないじゃないかと恥ずかしくなった。

赤坂や六本木、新宿や新大久保あたりを歩いていれば、ネパールレストランもあれば、ギリシャ料理もあるし、タイやベトナムにミャンマーも、パキスタンもあればペルーやブラジルまである。インドのようにあまりに多様であれば、インド人でもすべてに精通しているわけではない。本国で食されている料理と同じ(名前)であっても、日本で供される料理がどこまで本国のものに近いのか、日本に土着化して日本風の本場料理になっているのか分からないなどということもおきる。この何が本物なのかという、いっけん当たり前のことですら、そうそう簡単に当たり前とはならない。

ことは料理だけではない、言葉が分からないことから始まって、その国の歴史や文化もなにもかも何も知らない。かろうじて知っているのは国名と首都の「名前」に有名な観光地の「名前」まででしかない。これでは何を聞いたところで知りえることはしれている。折角の機会を生かす最低限の知識がない。インターネットで情報を漁るにしても、漁るための基礎知識がないと、どうでもいい情報に埋もれかねない。

大きな本屋にいってインドの歴史と文化を紹介している本を買ってきた。読み始めて、ここまで偏っていたのかと驚いた。あまりに何も知らないものだから、でてくる固有名詞すら覚えきれない。どれもこれもがはじめて目にするもので、しばしもうちょっと短くしてくれないかといいたくなる長さと経験したことのない音の連続で、アルファベットで書かれた綴りをみても、なんと読んだらいいのか見当もつかない。もうすぐ還暦かという年だったが、それまで海外の情報はほとんど欧米のものに限られていたことに愕然とした。

この数年、本で得たささやかな知識をもとにインターネットでと思って、中南米やインドに中近東やアフリカに東南アジアで発行されている新聞を読み出した。多少慣れてはきたものの、歴史も文化もあまりに遠く離れていたからだろう、知りえた情報が知識にまで発酵するのは当分先のことになりそうだし、下手をすると棺桶に入る方が早いかもしれない。

それにしても得られる情報は、英語という言語を経由した、しばし欧米のマスメディアによって編集されたものでしかない。何のことはない地理的にも歴史的にも文化的にも遠いだけでなく、知るための言語は英語という欧米文化を経由しなければ手も足もでない。これでは文化的植民地にいるようなものではないか。自分は植民地の住民だったのか。そんなこと、想像だにしたこともなかったが、人のありようの一番基本の言語から考えれば否定のしようもない。それでも英語のおかげで知りえるだけ、まだましだろうとアメリカ人やイギリス人にいわれでもしたら、なんと言い返したものか、なんともとやりきれない。

日本や日本人に関心のない欧米人に閉口してきたが、多くの第三世界の人たちには自分もにたりよったりでしかない。何も知らなくても日常生活にはたいしたどころか何も影響もないからということなのだが、それにしてもあまりにも何も知らなすぎる。トルコの経済学者、ネパールの文学者、パキスタンの音楽家、タイの作曲家、ラオスの流行歌手でもなんでもいいから、誰か一人名前を挙げてみろといわれたところで、誰一人知らない。そしてその知らなすぎることにすら気がつくこともなく、いっぱしの社会人として生きてきた。なんとも情けないし恥ずかしい。
2018/7/15