ゴミ分別とプロのユニフォーム(改版1)

三十半ばに田無から市川に引っ越して十年ちょっと、それから浦安に六年と横浜に六年、そして調布に。その間にクリーブランドとボストンに駐在した。調布でやっと落ち着くかと思ったのに半年ほどで雑司が谷に引っ越した。引越しは面倒だし金もかかるから、しないですめばしたくはない。ところが、通勤や通学にあまり時間がかかるようでは、なにかのときに無理がきかない。あれやこれやで忙しい毎日を考えると引越しなきゃという話になる。

引越しすれば、住所変更やらなんやら届けなければならないことも多い。煩雑で面倒なこともあるが、届出は一度してしまえば終わりの事務手続きでしかない。ところがゴミの分別は毎日のことで、慣れるまでに時間がかかる。市ごとに違う粗大ゴミの定義にも戸惑うが、どこに行っても「プラスチックゴミ」と「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」の分別は悩ましい。食品などの包装にはプラゴミや紙ごみと記載されてはいるが、プラスチックと紙が一体となっているものもあるし、なかには、これが紙ゴミ?どうみてもプラゴミではないかと迷う。たかがゴミとは思うが環境への負荷も気になるし、人並みに善良な市民でありたいとう気持ちもある。

市指定のゴミ袋があるところもあれば、なんの規定もないところもある。調布市では有料の「燃やせるごみ」用と「燃やせないごみ」用の二種類のゴミ袋を指定している。「燃やせるゴミ」の袋と「燃やせないゴミ」の袋は色分けされているが、価格は同じで十袋一セットでスーパーマーケットなどで売っている。このゴミ袋は高くて、一番大きな45リットル相当のビニール袋は一枚八十四円もする。
指定のゴミ袋の価格は下記のurlを参照。価格のところだけコピーしておく。
http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1176118935037/index.html
S     5リットル相当   84円
M   15リットル相当  273円
L    30リットル相当  556円
LL  45リットル相当  840円

ここまで高いと、つい袋にいっぱいになってからゴミだしをと思う。そのせいか、どの家もゴミの入った、いっぱいになっていない袋を玄関近くに置いておくのだろう、夏場、集合住宅の廊下にはゴミの匂いが漂っている。
プラゴミは調布市では「燃やせるごみ」でも「燃やせないごみ」でもなく、ゴミ袋の指定がない。指定がないから、プラゴミの回収は無料。いきおい、多少手間をかけても「燃やせるごみ」と「燃やせないごみ」を少なくして「プラゴミ」にしようとする。身についてしまった貧乏根性、しょうがない。

ここまでやるかという細かな分別収集のかいあってかNikkei Asian Reviewによれば、Barcelona とManchester Cityのプロサッカーチームのユニフォームが日本のPETボトルのリサイクル素材が使われている。質のいいリサイクル素材を提供する分別に、ちょっとした誇りを感じはするが、そこまでとしてというのか、させられてという気持ちの方が強い。PETボトルのリサイクルはいいが、「Is Japan eco-friendly or eco-hostile?」というニュースの題名が示すように、食品などの過剰包装の軽減化に大きな進展があるようにはみえない。
Webニュースのurlは下記のとおり。
https://asia.nikkei.com/Business/Consumers/Is-Japan-eco-friendly-or-eco-hostile

海外との人の交流もさかんになって、日本語が不自由な人が増えている。そこにそんな細かな分別を規定したところで、どこまで分別を施行できるのか。日本人でもわかりにくくて困る、神経質といってもいい分別は考えものだろう。いくら何をしても完璧がないなかで、できる限りの努力をするというのはいいが、努力にみあった見返りがなければ、できる限りの努力をすることを、どこまで要請できるのか。たかがゴミの分別だが、言葉と文化の壁は高くて厚い。

ゴミの分別に慣らされた日本人でも戸惑う分別を進めるよりは、ゴミ処理能力というのか方法を改善して、もっと大雑把な分別でも処理できるようにしてゆくしかないのではないかと思っていたところに、BBCのWebニュースが、ケニアがレジ袋の使用を禁止したと伝えてきた。
urlは下記のとおり。
http://www.bbc.com/news/world-africa-41069853

ニュースに添付されている写真を見ると、ことの重大性がわかる。ゴミ集積場にあふれるゴミもさることながら、町のあちらこちらがゴミの吹き溜まりになって、そこで家畜が残飯をあさっている。もとはきれいな小川だったところにペラペラのレジ袋がゴミを引っ掛けるバインダーのような役目をして溝(ドブ)になっている。

日本を含め先進国では後手後手に回りながらも、ゴミ処理施設をつくり続けてきた。ところが発展途上国では後手後手にすらなっていないのだろう、無秩序に増えるゴミを処理する施設が間に合わない。間に合わずに、あまりに環境が悪化して、禁固四年か四万ドルの罰金を課して規制するしかないところまで追い込まれた。ケニアの四万ドル、換算すれば四百五十万円ほどになる。禁固四年も長いが、ケニアの人たちの収入からみたらとんでない金額だろう。

日本でも多くのスーパーマーケットがレジ袋を有料にしている。レジで、せめてレジ袋を使わない賢い消費者になれないかと思う。思いはするのだが、レジ袋が二円で、家庭でゴミ箱に使うビニール袋を別途買えば二円以上する。だったら、レジ袋を二円で買った方が安上がりだし、どっちも似たようなビニールバッグだしと、ここでも貧乏性が顔をだす。

あれこれ考えれば、行き着く先は住民の意識になってしまう。食品の過剰包装も消費者の嗜好が軽減されないことが原因だろうし、分別もゴミ処理方法まで理解して、小まめにすればということになりかねない。ただ人の善意や注意に依存した方法では限界がある。海外からの人たちも増えて、ゴミの分別も一言、常識だろうというだけでは徹底のしようがない。
文化や常識が違う国や地域からの人でも、普通に考えて分別すればいいだけの、その程度の分別で処理しえる処理システムを構築するしかない。日本とケニア、状況は違いうが、突き詰めて考えれば似たような解決方法しか思い浮かばない。
2018/2/11