水道民営化に思う(改版1)

業務上知りえたことを公にすれば、関係各位にご迷惑をおかけするかもしれない。民営化に反対する話を聞くたびに、どうしたものかと考えてきた。もう十年近くも前の話、時効にはならないだろうが、もういいだろう(と願っている)。
調査したわけでもなければ、これといったデータもない。見聞きしただけで、それが事実かどうか確認するすべもない。取るに足りない経験からの話で、とんでもない勘違いをしている可能性すらある。専門家や研究者から何を馬鹿なことを言ってるのかと一笑に付されるのならまだしも、叱責も覚悟しなければならない。専門外だし、知らん顔をしていればいいのに、どうも聞こえてくることが、従来からの思考の慣性に引きずられているような気がしてならない。無知が故の誤解であって欲しいと思っている。

従業員四十万人を超えるアメリカのコングロマリットで制御システム事業の日本支社の代表をしていた。毎四半期ごとの売り上げどころか、毎週電話会議で繰り返される受注へのプレッシャーに潰されそうになっていた。そこに人口百二十万を誇る政令指定都市の上水給水施設の監視制御システムの更新の話が舞い込んできた。もし受注できれば、プレッシャーなんか胡散無償してしまう。地方都市の上下水道の監視制御システムでは、システムインテグレータ経由でいくつもの実績があった。ただ規模が違いすぎる。あまりに大きなシステムに、出て行ったものが躊躇して、お断りしようかと考えていた。
話を持ち込んだエンジニアリング会社の部長に尻をたたかれて、腰が引けた状態でお話だけはと水道局の中央監視制御事務所にお伺いした。
エンジニアリング会社の引きがあるからだろう、更新を検討している参事からシステム全体と今日に至った経緯と更新にあたって何を問題としているのかをお聞きできた。見聞きしたことをざっとまとめれば下記になる。

1) 浄水設備は県が所有して稼動している。
2) 県から供給された浄水を百二十万人の市民をはじめ事業所や公共施設に給水している。
3) 中央監視制御事務所から車で十分ほど離れたところに給水ポンプ施設がある。
4) 市内三十七ヶ所にローカル監視盤を設置している。
5) 中央監視制御事務所と給水ポンプ施設、ローカル監視盤は専用回線でデータのやり取りをしている。
6) 監視制御システムは六年前に大手電気メーカがまるでプロジェクトを買うような価格(六年リース)で落札した。価格は六億円。
これまでの一般的な価格は大体二十億円といわれてきた。
7) プロジェクトを買ったような価格だったからか、ちょっとした更新を依頼すると、なにがなんでもこれはないだろうという見積もりがでてきて困っている。
8) データベースもブラックボックス状態に置かれて、何かのたびに電気メーカに依頼しなければならない。その都度かなりの出費を余儀なくされてきた。
9) 市の予算も限界にきていて、なんとか廉価なシステムに置き換えたい。そこには、二年後には退官する参事の個人的な思いまであった。
今まではすべてカスタムシステムで構築してきたが、インターネットも普及した時代に何でもかんでも特注という時代でもない。若い世代にはいろいろなメーカの提案を理解してもらって、税金を有効に使う賢い消費者になってもらいたい。そのためもあって外資のあなた方に声をおかけした。

システムの全容を把握すべく中央監視制御事務所の設備を見せて頂ならが、細かな内容までお聞きした。なぜと問いたくなる煩雑なシステム構成に驚いた。どうみても顧客のシステム要件の前にベンダーの政治的、技術的事情(限界?)が優先しているとしか思えない。給水ポンプ施設まで出かけて、ローカル監視盤もいくつか見せていただいた。
いくら考えても、特別なことはなにもない。民間の製造設備の監視制御との違いは公衆回線ではなく専用回線を使っているだけだった。監視制御盤は確かにカスタムだが、データを処理しているのはただパソコンだった。それをもったいぶってか、高コストの理由にしているのか、大げさにワークステーションと呼んでいた。データベースも製薬や半導体製造ラインにくらべれば、データ量も処理もしれている。大きなディスプレイがならんで、パニック映画の中央司令室のような雰囲気はあるが、監視制御といっても何かとんでもない事故のようなことでもなければ、ディスプレイと壁につけられた大きな監視盤を見ているだけでしかない。

事務所にもどって、監視制御システムのパッケージソフトウェアとデータログとデータ解析システムのパッケージソフトウェアに通信ネットワークの瞬断にもデータを失わない機能を搭載したパネルPCを組み合わせていった。何があるわけでもない。いつものソリューションとの違いといえば、専用回線を使うだけだった。それも、パネルPCのデータ通信回復機能があるから、公衆回線でも十分としか思えない。

参事の話からコストを気にしたが、アプリケーション・プログラムの開発費も十分とって、これでもかという糊代をつけても二億円にしかならない。予算が余ってるといわれても、四億円や五億円に膨らませる術がない。それこそ二、三百万円の車を、ああだのここうだのと、わけのわからないものを付けまくって一千万円で売るような話になる。
パッケージソフトウェアは代理店経由で販売していて、誰でも代理店から見積もりを取れる。似たようなパッケージソフトウェアが米国の同業からも提供されていて、価格競争は厳しい。一千万円の見積もりの中身をみたら、二、三百万円を一千万円に膨らましているのが中学生でもわかる。

[パッケージソフトウェア]
ここでパッケージソフトウェアと呼んでいるものは、例えていうならマイクロソフトのMS-WordやExcelのようなものだと思っていただければいい。まったくの白紙の状態から、こうしたいああしたいという客のいうことを一つひとつ開発していたったら、MS-WordやExcelの標準機能のとるに足りない機能を実現するのにとんでもない開発コストがかかる。巷でよく使われているパッケージソフトウェアを活用すれば、驚くほど簡便に廉価にそしてトラブル可能性の少ない監視制御システムを構築できる。 パッケージソフトウェアを活用してエンジニアリング・ビジネスを展開している企業や組織はいくらもあるから、システムの更新や変更の際に、初期システムを開発したところに依頼する必要はない。状況に応じて、廉価な地場のエンジニアリング会社を活用できる。

金のかけようのないシステム案をもって説明にあがった。参事が気にしていたことがわかった。若い職員までが、普通のパソコンにマウスを使うことを拒絶した。今まで使ってきたシステムと同じでなければ使えないという主張だった。それが年配の職員ではない。まだ二十代半ばの若い人たちで、家ではパソコン、日常的にスマホぐらいはつかっているだろう。
すでにラインから外れて、何年もしないうちに退官になる、かつての上司の思いや心配など気にするそぶりもなかった。
もっとも驚いたのは、自分たちが使うシステムの仕様を自分たちで決めるという、あって当たり前の、なければどうしてきたのかと驚くが、姿勢がまったくみられなかったことだった。要は外注業者にお任せ(丸投げ)で、システムができてきたときに、ここはこうしてほしい、あそこはこうして、ああしてという仕事の仕方で通してきたとしか思えない。

応札する企業も後出しじゃんけんのような仕様変更がいつまでも付いてまわることを経験から知っている。そのため、コストから真っ正直にはじき出した見積もりなどださない。こういったら失礼になりかねないが、巷の価格競争にさらされてきたものには、糊代だらけのズブズブの見積もりとシステム発注する責任感の欠如が生み出した商習慣としか思えない。
参事の熱い希望には沿えなかった。

公共事業を民営化すると、企業利益が優先され、提供されるサービスの低下と価格の上昇を招くという話を耳にするが、それがすべてではないだろうと思っている。確かにその可能性はある。しかし、逆の可能性もある。賢い消費者にならない限り、公共事業でも民営でも大きな違いがあるようには思えない。

一つ確かなことがある。日本経済が縮小していくなかで、従来のような潤沢な予算をもってしての公共事業は難しい。それを民営化して、あるいは民間企業の視点で合理化すれば貴重な財源を有効に使える可能性がある。しかし、そのコスト削減は、民営化がどうのには関係なく応札する企業の利益に影響するし、関連会社やその外注先にも、事業を発注する公共団体の稼動コストの削減にもつながって事業規模が縮小する。事業規模が縮小すれば、働く人たちの人数も減るだろうし、総労働コストも減る。
賢い納税者、消費者になれば、納税者と消費者の立場ではない、もうもう一つの立場、勤労者(事業者)としての立場が削られる。素人の限られた経験からの話しでしかないが、自分たちの足元を自分たちで確認する意識と知識がない限り、公共事業でも民間事業でもという気がしてならない。
2019/9/1