北朝鮮問というより日本人の問題

朝鮮半島が歴史的転換点にさしかかろうとしているように見える。ここで「いる」と言い切る自信がない。情けないことに、このまますんなりと緊張緩和から平和へと進むとも思えない。それでも、毎日北朝鮮関係のニュースを耳にして、紆余曲折があるにせよ、これでやっと敵対の歴史を越えてと期待がたかまる。
ただ、北朝鮮の姿勢のあまりに急な変わりように半信半疑の人もいるだろうし、騙されないぞと対決姿勢を固めている人たちも多そうだ。その気持ち分からないでもないが、せっかく生まれようとしている平和への一歩、可能性にしても大事にしなければと思う。

ところが、日本政府や関係者の主張、どう聞いても大事にしようとしているようには聞こえない。今まで関係改善ということでは何もしてこなかったのが、状況に置いていかれるのにあわてているかのような話まででてくると、日本人として恥ずかしい。
個人も組織も国家にしても、奴隷や植民地でもあるまいし、自分の立場や思いを捨ててまで相手のご都合に合わせてというわけにはいかない。主張しなければならないことを主張もせずに、相手が気をつかって善処してくれるだろうという世界でもない。かといって相手の立場、その立場に至った経緯も含めて、理解と尊重がなければ普通の関係すらなりたない。

何も特別なことではないと思うだが、マスコミの報道を見聞きしていると、防衛と拉致に関する主張はあっても、それ以外には何もないかのように見える。朝鮮半島の北側に朝鮮民主主義人民共和国という国が生まれて、今日に至った経緯、その経緯に日本がどのように関与してきたのか、そしてその関与の歴史をどのように処理してきたのか、最低限の責任ということですら考えたことがないようにしか見えない。

アメリカと北朝鮮の対話から何が生まれてくるのかは、はじめてみなければわからない。わかりはしないが、トランプが癇癪でも起こさない限り、今までのような対立一本やりということはなくなるだろう。そこには平和を求める関係各国の人たちの思いがある。

北朝鮮とアメリカは朝鮮戦争以来いまだ交戦状態が続いている。交戦状態を終結して平和条約に向けて進まなければならない両国をみて、日本が蚊帳の外に追い出されたままでいるとして政府を批判する声を耳にする。何を考えての発言かと驚く。朝鮮戦争の当事者同士が話をすることで、そこに日本がでていくのも、中国やロシアがでていくのも筋違いというものだろう。関係者は、まずは二国間での平和に向けた話し合いを支援するまでしかできない。
そこに、日本としてしなければならないことが三つある。軍事対立を和らげることと拉致被害者の救済は喧伝されているとおりだが、戦後賠償を提案しなければならないだろう。

用語がどうであれ戦後賠償を考えると、どうもよくわからなくなる。日本は朝鮮を植民地として半世紀に渡って支配した。朝鮮の人たちにはとんでもないことをし続けたわけで、お詫びできるようなことではない。武力行使もともなった反日独立闘争はあったが、では朝鮮と日本は交戦状態にあったのか。日本の敗戦は間違いないが、朝鮮は日本に戦争で勝ったのか?という視点から、戦後賠償は考えることすら不要だとする人たちもいる。

言われてみればその通りと思えないこともない。植民地の独立には武装闘争がつきもので、それを戦争と考えて、勝って独立てした旧植民地に負けた旧宗主国に戦後賠償を要求する権利があるのか。アジアやアフリカの植民地が独立したときに、ヨーロッパの旧宗主国が独立した旧植民地に賠償金を払ったというのは、寡聞にして聞いたことがない。もし今それが起きたら、ヨーロッパの列強だった国は間違いなく破産する。

ここで素人には、ちょっと分からないことがある。日本が戦後、韓国に支払った賠償金は、名目がどうであれ戦後賠償に相当するものではないのか。戦後賠償は払う必要がないと主張する人たちが言うように、法的には支払わなければならない義務がないにしても、払った歴史的事実がある。

北朝鮮と日本が国交正常化に向けて話が始まったときに、北朝鮮が賠償金の話を持ち出さないかもしれない。持ち出されたとして、日本は北朝鮮の分まで含めて韓国に払ったのだから、北朝鮮の分は韓国に言ってくれとでもいうのか。そんなことを言われて、韓国が「そうでした、半分は北朝鮮に分けなければ……」とでも言うか。普通に考えて、ありえない。

それどころか、韓国は北朝鮮にも韓国と同等の賠償金を払えと言ってくる可能性の方が高いだろう。
もし北朝鮮が賠償金を要求してきたら、北朝鮮と戦争したことはないので戦後賠償という話にはならないと押し返したら、北朝鮮は韓国への支払いの事実を前例としてあげるだろう。
北朝鮮が言い出すまでは頬っ被りで、言われたら戦争したことはないからと押し返すのか。それとも、言われる前に韓国にしたのと同等の賠償を提案するのか。言われてごねた挙句に、しぶしぶ……、日本の政府というより日本人の人としてのあり方が国際社会に向けて明らかにされる。

北朝鮮に賠償金を払えば、核開発をはじめとする軍備増強に使われるだけだという人たちもいる。巷の一私人、真偽のほどはつかみようがないが、先進国から発展途上国への賠償金や経済援助は「ひも」がついていないことの方が少ないと言われていることをご存知かと聞きたくなる。韓国やフィリピンに支払われた賠償金をみれば、賠償金や援助は受け取る側の都合ではなく、提供する側の経済事情と産業奨励の必要からなされてきたとしか見ない点が多い。

朝鮮半島の緊張が緩めば、防衛産業の思惑が崩れる。その崩れたぶんをインフラ投資で、やっとオレたちの出番かという人たちも少なくないだろう。ところが、緊張緩和に向けて中国が果たしてきた役割を思えば、一に中国、二に中国で、このまま行けば日本の出番があるとも思えない。出番をと思うのであれば、賠償金を払ってということにならざるをえないだろうし、そこに向けて政官財が走り回っているだろう。

ただ、軍需産業に肩入れしてきた安倍も、タカ派政治家もその実務を担ってきた官僚どもも、軍需からインフラ投資への切り替えには四苦八苦するだろう。なかには、軍需の利権の担い手の立場を失いかねないと、ことさらに防衛論を振り回して、平和への芽をつぶそうとする人たちさえいかねない。

戦後賠償ということでは日中国交回復の話し合いのなかで、日本はあまりにみっともない真似をしたことがある。
中国と国交正常化の話し合いのなかで、中国側が日本に戦後賠償は求めないと言った。戦後賠償がどれほど大変なものなのか、私たちは経験している。それを日本人民の求める気にはなれないと。
それを聞いて、日本政府は情けないことに単純に得したと喜んだのではないか。
私たちは経験しているという経験のなかには、日清戦争の戦後賠償も含まれている。

日清戦争の賠償金は清朝政府の国家予算に匹敵した額だった。賠償金支払いで、痛んでいた清朝は壊滅的な打撃を受け、それ以降列強の中国侵略が本格化した。
この賠償金を原資として日本の重化学工業の礎が築かれた。それまで、日本は製糸などの軽工業しかもっていなかった。
明治維新を経済的に支えたのは上方の豪商連中で、商人資本の性格からして、巨大な設備投資を必要とする製造業には手を出そうとはしなかった。
そのため、明治政府が官営の製造業を立ち上げては、商人資本に払い下げするかたちで、財閥を形成していった。日清戦争の賠償金で築かれた礎の象徴的なものが官営八幡製鉄所だった。
なぜ八幡なのか?
筑豊炭田をはじめとする日本の炭鉱で採掘できる石炭では火力が弱すぎて、製鉄に必須のコークスを作れない。コークス用の石炭も鉄鉱石も中国から輸入することを前提としていたとしか考えられない。

上海にある宝山鉄工所は毛沢東・周恩来の時代に中国政府から日本政府に近代製鉄所を作りたいと、そのための支援の要請があった。鉄鉱石からの一貫製鉄所つくりは新日鉄が中心になって進められた。それは製鉄設備を提供するだけではなく、操業技術も提供しなればならないプロジェクトだった。そこには港湾設備から電気や水道などのインフラづくりまで含まれていた。

製鉄プラントを仕事で追いかけていたとき、日本を代表する某重機械メーカの営業マンから宝山製鉄に関する裏話を聞いた。
「新日鉄には、官営八幡製鉄所から引き継いだ中国に対する負債の意識が残っているからだろう。その一貫製鉄所を作るために新日鉄は数千万円をどぶに捨てた」
事実かどうか確かめる術がないが、巷の裏話には少なくとも事実の影ぐらいあるだろうと思っている。

韓国と北朝鮮、同じ民族とはいえ、気質も文化も違うだろう。それでも戦後賠償に関しては、北朝鮮は中国よりは韓国に近いだろう。戦後賠償、避けて通れることでもなし、避けて通っちゃいけない。それは北朝鮮の問題でもなければ、時の日本の政府の問題でもない。日本人の人としてありようの問題になる。なにが美しい国だ、という話になる。
2018/5/27