不法滞在に進学支援?(改版1)

「good is not enough, must be excellent」という言い草がある―レイオフと背中合わせの会社で仕事をしていたとき、同僚の一人に韓国系カナダ人がいた。三十をちょっとでた画像処理の技術屋で新市場の開拓をしていた。日本にも何度か来て、Pharmaceutical(製薬や日用衛生用品)を急げと尻をたたかれていた。製品仕様の確認と市場開拓の打ち合わせに呼ばれて、ボストンの本社で一週間近くああだのこうだの言い合っていたある日、なんでそんなにという浮かない顔で部屋に入ってきた。

何があったのかと心配になって訊いたら、「今月末でレイオフになった」という。もう二週間しかない。レイオフになれば、自動的にアメリカの就労ビザが失効する。もうボストンに五年以上、一緒に住んでいるアメリカ人の彼女もいるが、早々にカナダに戻らなければならない。ビザが切れて、滞在許可が無効になって居残っていたら、不法滞在で国外退去になりかねない。もしそうなったら、将来アメリカに再入国しなければならないときに、拒否される可能性が高い。

海外に出てバタバタしていると、ついこの滞在許可切れの危険と背中合わせであることを忘れてしまう。なんらかの縁か理由でもないかぎり、身分保障というリスクを犯してまで外国籍の人を雇おうとする会社はない。たとえ雇ってもらってもレイオフにあうと、あらためて就労ビザを取れる仕事を探している時間がない。そして社会保障も含めて生活のすべてを失う。

ニューヨークに駐在していたとき、有効期間四年のE1ビザをもっていた。それは経営陣か特殊技能の持ち主でもなければ取れないビザだった。ケネディ空港でパスポートにドンと判子を押されて入国管理を抜けた。駐在に行けといわれて、会社が敷いたコンベアにのってきたようなもので、この判子が一年間有効の滞在許可(I-94)だということを知らなかった。ビザは四年間有効なのだからとしか思っていなかった。アメリカ支社の人事総務も忙しさからだろう、滞在許可の有効期限を忘れていた。

まだ雪や氷が残ってる七十八年の初春、仕事でナイアガラの滝のふちまでいった。せっかくここまできたのだから、カナダ側からも滝を見ておこうと思った。夕飯も食って、じゃあちょっと行ってくるかと軽い気持ちで出かけた。アメリカのゲートを出て、橋を渡ってカナダ側のゲートに着いたが、カナダに入れてくれない。アメリカに戻って調べてこいと追い払われた。なんだかよくわからないまま戻ったら、アメリカも入れてくれない。オフィサーが来るから待ってろといわれて待っていたら、出てきたのは国境警備隊だった。

滞在許可が一年近く前に切れていた。滞在許可なんてものがあることも知らなかった。たかが滞在許可、申請すればいいだけで、なんということもないだろうと思っていた。一月ほど経って、下宿になんだこれという郵便が届いた。よくわからずに事務所にもっていったら、国外退去命令じゃないかと一騒ぎが始まった。そこはアメリカ、そんなボケた日本人駐在員をメシの種にしている弁護士がきちんといる。会社がかなりの金をつかって、滞在延長の手続きをした。
この笑い話については、『はみ出し駐在記 国外退去命令』を参照ください。urlは下記のとおり。
http://chikyuza.net/archives/59013

こんな経験があるから、「ちきゅう座」で下記の案内を見つけたときは、なにがなんでもと出かけた。日本の、特に発展途上国からの人たちに対する人種差別にもとづいた排外政策は、何かの折に聞いていた。漠然とした不信があったが、何を知ってのことではない。

7・22:討論塾「日本の入管政策と排外主義」
2018年 7月 4日催し物案内 徳宮 峻討論塾

話を聞いて、何分もしないうちに腹が立ってきた。「なんて国だ」
それは名古屋の業界紙の社長から聞いた話と重なっていた。バブル華やかし頃、廉価な労働力として発展途上国から労働者を招いた。人手不足であえいでいた中小企業にとっては、救いの神のような人たちだったのが、バブルがはじけたとたん、雇い止めになった。雇い止めは即就労ビザの喪失を意味する。雇用があるから下りるビザで、失職すれば日本にいられなくなる。

日本に来たときは独身でも三年五年、あるいはもっと長く十年にもなれば、結婚もして就学年齢に達した子供もいる。それがある日突然、雇い主の都合、というのも酷だが、で失業した。自分だけならなんとかなるかもしれないが、日本で生まれて日本で育って、帰れといわれても、帰る国のことを何も知らない、言葉もわからない子供をどうするかという問題が起きる。
母国ではほとんど戦争のような紛争が続いていて、帰国は即生命の危険を意味する人たちもいる。帰るに帰れない。身軽な独身者のなかには、不法滞在を承知で地下にもぐってしまう人もでてくる。ビザがきれて、滞在許可が切れた人たち、日本人と何も変わることなくまじめに働いてきた人たちが、ある日突然、不法滞在者という犯罪者にされてしまう。

不法滞在者の扱いは、日本がいかにまっとうな国ではないと自ら証明しているようなもので、およそ人のすることじゃない。収監するかしないかの判断基準もなしに、なんの説明もなしで収監される。受刑者でも刑期という明確な期限があるが、それもない。病気になっても医療を受けるのは難しい。刑務所の方がよっぽどいい。身元保証人に保証金を積んで、入国管理センターという収監施設から開放されても、毎月滞在許可の延長に出頭しなければならない。出頭先がこれでもかという交通の不便なところにあって、行って帰ってくるだけでも一日仕事で交通費の負担も大きい。驚くことに就労を認めていないから、最低限の生活を保つに保てない。

収監中に治療を受けることもなく他界する人もいる。セミナーでお聞きした限りでは全員アジアとアフリカからの人たちで、白人がいない。人種差別としか考えられない。ことは不法滞在者や仮放免者の問題ではない。美しい国だとか、おもてなしがどうのこうと言っている日本人の問題で、解決するのは不法滞在の人たちでもなければ、仮放免の人たちでもない。解決できるのは、しなければならないのは、自分たち日本人。

技術研修だとかなんとか格好をつけたところで、廉価な、使い手捨ての労働力だとしか思っちゃいない。それがここにきて介護士のなり手が足りないからという理由で、関係団体の利権まで絡んで、また東南アジアから労働者をという作業が進んでいる。日本人とはここまで卑しい人間だったのかと、どこが美しい国だ、なにが経済大国だと情けなくなる。

いつまでたっても収まりようのない怒りにどうしたものかと思っていたところに、朝日新聞の2018年8月14日の夕刊のトップ記事を見て、こいつらはいったい何をみてこんな広告もどきの記事を出したのかと文句の電話の一つもかけたやりたくなった。
「外国人の進学 進む支援」「塾や予備校 日本人生徒が減るなか」「日本での生活 安定手助け」、ここで正直なのは少子化が進む中で塾や予備校が外国籍の子どもで金儲けだけだろう。なにが日本で「生活 安定手助け」だ。親が職を失ったとたんに、日本にいられなくなることぐらいわかってるだろう。

日本での「生活 安定手助け」ってんなら、雇う側の都合で職を失って、不法滞在者になってしまった人たちの救済が最優先じゃないのか。ここまで非人間的な扱いをしてきて、何を言ってる。おい朝日新聞。恥を知れと思うが、読者の大半も似たようなものなのだろう。ことの始まりが金儲けだからだろうが、「救済」されるのは、不法滞在の人たちである以上に、自分たち日本人だということに気がつくこともない。これが美しい国で、日本人ということなのか。

p.s.
<仮放免者の会 PRAJ>
Googleで「仮放免」とでも入力してサーチすれば、官製のもっともらしい(わざとわかりにくくしているとしか思えない)説明だけでなく「仮放免者の会 PRAJ」のように事実を伝えるサイトがでてくる。「仮放免者の会」や他のサイトをみると、あまりに理不尽な行政とそれを暗黙のうちに了承している日本人の不寛容な姿勢が恥ずかしくなる。恥ずかしくならない日本人が大勢ではないと思いたいが、わからない。
「仮放免者の会」のurlは下記のとおり。
http://praj-praj.blogspot.com/2011/01/praj_27.html
2018/10/21