クラウドと監視社会(改版1)

このところクラウドがどうのとよく耳にするが、聞こえてくるクラウド、はじめて聞いて驚いた分散処理のクラウドと同じものとは思えない。ニュースを聞いていると、なんでもかんでもクラウドになった感さえある。まさかクラウドの分散処理がそこまで進化したのか? どうも腑に落ちない。普及したのはいいが、クラウド違いなのではないのか? 何をもってしてクラウドと言っているのか、どこまではクラウドではなくて、どこからはクラウドなのか、どうにもよくわからない。

仕事でソフトウェアに関係したことはあるが、ソフトウェアの知識もしれているし、データ通信にいたっては何を知っているわけでもない。「クラウドって何?」と聞かれても、まあこんなもんじゃないかと思うんですけどぐらいしか言えない。その程度の知識しかないのに、クラウドとはいったいなんなのか、そしてそれが監視社会で成り立ちえるのか気になってしょうがない。

もう二十年以上前だったと思うが、いつだったかはっきり覚えていない。はじめて雑誌かなにかでクラウドのニュースを読んだとき、ついにここまで来たかと驚いた。あれこれ書いてあったが、要はもうコンピュータを売る時代も終わって、サービスを売る時代になるということだった。そんなことになったら、コンピュータという実体のある物を売ってきたコンピュータメーカは、このさきどうするんだろうと心配になった。

そのニュース、言われてみれば、当然の流れとしか思えなかった。安くなったにしても大型コンピュータ、誰もかれもが導入できる代物じゃない。ところが、導入した大学や研究機関でいつもいつもフル稼働しているわけじゃない。遊んでいるというのも変だが、言ってみれば仕事待ちであくびをしているコンピュータがあっちにもこっちにもある。ならば、コンピュータなんか買わずに、あっちの空いてるコンピュータとこっちのコンピュータと、あれもこれも上手に使い分けて、分散処理すればいいじゃないかという考えが出てくる。インターネットが進歩して通信コストがタダ同然になったから生まれてくる新しいビジネスモデル。既存のコンピュータをネットワーク化して使うソフトウェアサービスを提供するビジネスが生まれた。

最近よく聞くクラウド、どう考えても大型コンピュータの空き時間をどうのという話ではない。気になって、Webで調べてみた。驚いたことにインターネットでメールのやり取りもクラウドだった。見つかった資料によれば、自分のPC内でしていること以外、あるいは会社のインフラ内での作業以外はみんなクラウドだそうだ。いつのまにやら雲の中にいたとはしらなかった。もうクラウドなしでは日常生活がなりたたないところまできていた。
昔インターネットが出てきたとき、社内のネットワークをインターネットと区別するためもあってか、イントラネットと呼んでいた。最近聞かなくなったと思っていたら、今はイントラネットではなくオンプレミス(on-premise、自前とでも意訳するか?)と呼ぶらしい。違いがあるかもしれないが、IT技術屋同士の話でもなし、ここでは似たようなものとして話を進めても問題ないだろう。

クラウドと監視社会のありようの話の前に、何がクラウドなのか大雑把にしても定義しておく必要がある。あまりにも雑すぎてしかられそうだが、監視社会との関係を考えるには大雑把なほうがいい。細かなことに入りすぎると全体像が見にくくなる。自分のPCやその先の社内サーバの外にでて、社外のオープンなインターネットを経由してどこかにあるサーバやデータベースを活用すれば、マスコミあたりが言っているクラウドになる。

具体的にクラウドで何をしているのか、何ができるのか、身近なところをみてみる。
自分のPCにインストールしたソフトウェアを使って、パソコンのメモリに保存したデータを使ってできることには限界がある。ちょっと調べものをと思えば、PCにインストールされたブラウザ、たとえばGoogle Chromeでインターネット上のサーバの処理結果(情報)を見る作業になる。
ここで一歩進んで、個人のファイルやデータを自分のPCに保存しておくのか、それともGoogleやマイクロソフトが提供するどこかのサーバに格納して、さらにMSワードやエクセルではなく、クラウド上でサービスとして提供されているアプリケーションを使って処理するという選択肢もある。

こんな便利なサービスが無償で使えるようになったにもかかわらず、貧しかったころからの習い性なのか、誰にでもある人としての習性からか、大事なものは(物理的に)手の届くところに置いておきたいという気持ちが抜けきらない。何を考えるでもなく、今まで通りワードやエクセルのファイルでもなんでも自分のパソコンに、そして重要なファイルはバックアップとして外付けのメモリーに保存している。

この大事なもの、と考えると奇妙なことに気がつく。身近な大事なものはと訊かれたら、コンピュータや電子データより現金を挙げる人の方が多いだろう。ところが、その大事な現金は銀行に預金が普通で、身近なところに置いておく人はほとんどいない。手持ちの現金は日常生活でつかう小銭までが常識になっている。それは、金利というより自宅に置いておくより安全と考えてのことだろう。
銀行の預金が、万が一銀行が破綻しても一千万円までは保護されていて、かつてのように銀行が破綻したときに預けておいたおカネがなくなってしまうことがないという信頼があるからのことで、信頼できる社会でなければ成り立たない。

使っていたPCが壊れたら保存しておいたファイルを開けないし、外部メモリに取り出すこともできない。何か障害が起きたとき、自分でPCのメンテナンスをできる人は限られている。であれば、大事なファイルやデータはPCではなく、クラウドのメモリに格納したほうが安全ということならないか。
東日本大震災で被害にあったPCは修復できないが、もしファイルやデータが信頼できるクラウドのメモリに格納してあったら、いつでもどこからでもファイルやデータを引き出せる。ファイルやデータがお金、そしてクラウドが銀行に相当する。
クラウドのサーバやデータベースはしっかり二重化もしてある。万が一障害が起きても、即バックアップのもう一台が何もなかったかのように稼働する体制がとられている。ウィルス対策も、個人のPCというレベルではない。IT業界のそれなりの企業の名誉にかけても、ウィルスによる被害は考えられない。

それでも、国家というか政治権力による情報やデータの窃盗は防げない。民間のウィルス対策ソフトウェアがいかにすぐれていようとアメリカ政府がその気になれば、巷のセキュリティは役にたたない。
しかし、国防に関係することでもなければ、アメリカ政府が民間のクラウドサービスのサーバーやデータベースから情報を盗み取ろうとすることはないだろう。自由主義経済を標榜する民主主義国家という社会があって、はじめてクラウドが発展する可能性がある。
ではロシアや中国のような監視社会ではどうか。インターネットに接続することすら制限された社会で、はたしてクラウドなどが成り立つのか。そこでは大事なものは身近な安全なところにで個人のデータは個人のPCに、そして外部からの侵入を防ぐ最大限の努力と思うだろう。

「百年前はラスプーチン、今はプーチン、でも百年もしたらチン?」なんてつまらないジョークを飛ばしたら、「くまのプーさんのぬいぐるみを蹴飛ばして……」なんてことがネットから抜けたら、国家権力に付け回されるかもしれないと心配しなければならないところにクラウド?
いくら頑張っても政府がその気になれば、どんなセキュリティも役に立たないとロジックではわかっていても、クラウドへという気にはならない。

チャッキアップまでならまだしも、インターネットも安心して使えない社会から、明日の社会を牽引するものが生まれてくるとは思えない。覇権がどうのという話を聞くと、そんなことより先に考えなければならないことがあるんじゃないか、と思うのは巷の素人だからか。
2020/3/8