白人警官による黒人窒息死の背景

五月二十五日にミネアポリス近郊でアフリカ系アメリカ人ジョージ・フロイド(George Floyd)さんが白人警官に抑えられて窒息死した。
テレビや新聞で伝えられているが、確認の意味も含めてウィキペディアの主要部を転載する。
「手錠をかけられたフロイドが、呼吸ができない、助けてくれ、と懇願していたにも関わらず、8分46秒間フロイドの頸部を膝で強く押さえつけ、フロイドを死亡させた。その時間の中で、フロイドの反応が見られなくなった後の2分53秒間においても当該警察官はフロイドの頸部を膝で押さえつけていた」

白人(警官)の暴力によるアフリカ系アメリカの殺害はアメリカの四百年ほどの歴史のなかで繰り返されてきた。今回の殺害が今まで以上に全米の主要都市だけのデモで済まずにEU外交政策担当官までが権力の濫用だと言いだした背景には、殺害の過程が動画で全世界に向かって配信されたことがある。

動画付きのニュースを見るまでミネソタ州には素朴ないい印象しかなかった。今回の事件で、そんな印象、仕事で何回か出かけたときに感じただけの上っ面のものでしかないということを痛感した。
ミネソタの印象は、風景も人も綺麗の一言に尽きる。雪のない季節であれば、真っ青な空に緑の草原、そこに人が入ったことがないんじゃないかという湖が点在している。一度Google Mapでご覧になられたらいい。Land of 10,000 Lakesという州のニックネームに納得されるだろう。

トウモロコシやなにやらの畑の間を走っていると、美味しそうな牛がいて、郊外にでれば人は真っ白、スカンジナビアからの移民の末裔がそのまま住んでいる。小さな町も多く、住人は何世代にもわたって知り合い。夜寝る時、ドアのカギをかけるなんてこともなければ、ちょっと買い物や食事に行っても、車のドアをロックするなんて考えたこともないという、ある意味純朴な人たちが多い。
冬になれば、草原もなにもかもが雪に覆わる。湿度が低いこともあって、一面に粉雪が舞う白銀の世界が広がっている。雪のなかを車でのろのろ走っていて、窓の外にスノーモービルが滑走していくのを羨ましく思ったことがある。

スカンジナビアからの移民と言えば、もう想像がつくと思うが、一緒に並ぶとかなりコンプレックスを味わうことになる。体躯が違いすぎる。ブロンドのブルーアイで背が高い。まるでバイキングに囲まれているような気になる。ミネアポリスから小一時間走った小さな町にいったら、大きなイケメンにプレイボーイのピンナップガールのようなのが闊歩していた。

地図でみれば分かるが、ミネソタ州は内陸でアメリカの東西の真ん中辺りでカナダと国境を挟んでいる。太平洋からも大西洋からも二百万キロ近く離れているのに、フットボールチームの名前はミネソタ・バイキングス。

州都ミネアポリスはミシシッピ川をはさんで東のセント・ポールと対になってツイン・シティと呼ばれている。そこから大リーグのチーム名ミネソタ・ツインズがでてくる。

ノースウェストの女の子という呼び方が美人の代名詞のように『プレイボーイ』などにでてくるが、このノースウェストはミネソタとその周辺を指している。随分前にデトロイトにハブを移してしまったが、ノースウェスト航空もかつてはミネアポリスをハブにしていた。
冬は厳しいけど、自然には恵まれすぎている。人は男女をとわず、少なくとも見た目は魅力的。こんないいところはないんじゃないかと思っていた。

銃は持っていて当たり前の国。ドラッグマフィアは自動小銃どころかロケットランチャーや迫撃砲まで持っている。大都市のスラムにいけば発砲事件は日常茶飯事。警官も怖いからつい発砲してなんてことも起きる。でも今回は膝で抑えての窒息死。なんでそこまで、あの綺麗なミネソタで。なんでと思ってミネソタについて、ググって見た。

一言で言えばこれはひどすぎる。出張や観光旅行でちょっと行ったぐらいじゃ、上っ面しか見えないというのを確認させられるデータが出てきた。その酷さ、ざっと並べてみる。

ツイン・シティ(ミネアポリスとセントポール)に住んでいる白人と黒人の年収の中央値を見てみると、白人家庭は$84,459(八百四十万円)。それに対して黒人家庭は$38,178(三百八十万円)しかない。簡単にするため、ざっと一ドル百円で換算。黒人家庭は白人家庭の半分以下しかない。(州立大学でも年間授業料は優に百万円を超える。東部の名門私立大学にいたっては、安い学科でも4百万円じゃあがらない) ここまで大きな所得格差は、全米で最大のミルウォーキー市に続くもので、経済格差は最悪。ちなみに、ミルウォーキー市はミネソタ州の東に位置するウィスコンシン州の最大の都市。十三年務めた会社の本社がミルウォーキーのダウンタウンにあったから、よく出かけていったが、Micro Breweryがあるくらいで、灰色のうすっ暗い町の印象しかない。
州ではどうかとみれば、ミネソタ州は全米で最悪の首都ワシントンに次いで最下位から二番目。州都も州も下から二番目。ミネソタ州における黒人の失業率は歴史的にみれば低いが、それでも白人の二倍、ツイン・シティでは三倍以上もある。

ツイン・シティの貧困率は、白人は5.9%に過ぎないのに、黒人はその四倍以上の25.4%。白人は百人に六人しかいないのに、黒人は四人に一人。黒人は全米平均の22%を超えているが、白人の全米平均は9%。白人の貧困率は全米平均より低いが、黒人は全米平均より高い。
経済格差は持ち家率にも反映されていて、白人家庭の四分の三は持ち家に住んでいるが、黒人家庭では四分の一に過ぎない。
黒人の収監率は高く白人の十一倍にもなる。ミネソタ州の義務教育修了率の白人対黒人の差をみても全米で最も大きい。

ミネソタ州とツイン・シティの現状をざっとみてきたが、アメリカ建国から続く白人支配とそこで呻吟してきた黒人奴隷ついて歴史をみてみる。現在を知るには現在に至った経緯を知る必要がある。
巷の一私人で、研究者でもなければ専門家でもないことを、あらかじめお断りしておく。Webでちょっと調べただけで、何を知っているわけでもない。とんでもない勘違いをしている可能性もあるかもしれない。

警察権力は奴隷解放までは奴隷の監視役として、奴隷解放後は解放されたはずの黒人を奴隷状態に留めるための抑圧手段として使われてきた。警察機構は白人支配の重要な機関だったし、黒人の目には今でもそうとしか見えない。現実そうだから。
このあたりのことを分かり易くいえば、次のようになる。奴隷解放前は、法律上でも黒人は奴隷として牛馬と同じように資産として勘定されていた。貸借対照表の資産の部に、土地がいくらで住まいがいくら、納屋がいくらで、馬が何頭でいくら、ウシが何頭でいくら、そして「奴隷が何(人?)頭でいくら」と記載されていた。

1860年代、十歳の女の子の奴隷の値段は$190、今の価値に換算すれば、ざっと$5,500(五十五万円)、男の子はもうちょっと高くて$212、現在の価値では$6,200ドル(六十二万円)だった。
資産としての奴隷の総額がどれほどの大きさだったか。驚くなかれ、南北戦争前には、全米の奴隷以外の全ての企業や港湾施設やらなんやら全ての資産の総額より大きかった。当時のアメリカという植民地が経済的に成立ったのは南部の広大なプランテーションにおける奴隷労働による綿花のおかげだった。大土地所有の奴隷を酷使した白人資産家連中が政治も教育も警察もすべて自分たちの都合のいいように作り上げていって今日のアメリカに至っている。

当時の白人社会にとって、奴隷解放は、ある日突然、奴隷という資産が消えてなくなった、社会の富の半分が消えてなくなったことを意味している。家庭内労働の数人ならいざしず、奴隷という安価な労働力を酷使することでなりたっていた大農場にいたっては、奴隷の数も十人や二十人じゃない。ちなみに初代大統領ジョージ・ワシントンはヴァージニア州に230エーカーの農場を遺産相続していて、死去したときには三百人以上の奴隷所有者だった。
気になる方は下記をどうぞ。

「10 Facts About Washington & Slavery」
https://www.mountvernon.org/george-washington/slavery/ten-facts-about-washington-slavery/

大農場を所有する資産家(ここからワシントン以外の歴代の大統領もでている)にしてみれば、そんなバカなことがあるかというのも、当時の白人社会の常識からすれば、当たり前のことで、ちっともおかしなことじゃない。戦争までして対価を払ったあげくが、法律は法律でどうのはしょうもないとしても、実質は資産のような奴隷の延長線の低賃金で使役し続ける社会が続いている。

このあたりのことが気になる方は、下記を一読されればいい。

「As McConnell's family shows, the legacy of slavery persists in most American lives」
https://www.nbcnews.com/news/nbcblk/mcconnell-s-family-shows-legacy-slavery-persists-most-american-lives-n1028031

自動小銃どころか潜水艦までもってるドラッグマフィアとの対峙もあって警察の装備がまるで軍隊と見間違うほど重装備になっていった。新自由主義からトランプ政権に至る過程で警察の機能が高度化、軍隊化しているなかで、ジョージ・フロイドさんの殺害が起きた。

たかが五分十分Webで調べただけでも、数日間の滞在でえられた印象とはまったく逆のミネソタ州とツイン・シティの現実とそれを生み出しているアメリカ社会の闇がみえてくる。アメリカ中どこに行っても日常的に人種差別がある。ところが、する側の社会の一員として、オーストラリアではないが、名誉白人として迎えられると、見えるものまでで、見なければならないものもを見ることもなく、ノー天気にいいところだと思い込みかねない。ましてや観光旅行の案内には金儲けになる見せたいところと聞かせたいことしか紹介されていない。

南部はケンタッキー、ジョージア、テネシー、ヴァージニアにウエスト・ヴァージニア、フロリダ、テキサスにしかいったことがない。訪問したテネシーの会社の社員食堂では、白人と黒人が距離をおいて別々のテーブルに座っていた。手洗いも昔のまま、白人用と黒人用がそのまま使われていた。両者の作りの違いに驚いたことを覚えている。ここまでの人種差別が日常の生活のなかに残っているのを目にする機会はめったにない。七十年代後半、八十年代末の拙い経験に過ぎないが、ニューヨークやクリーブランドに住んで、そこから出張で行ったくらいでは、言葉の壁もあって、これははっきり人種差別というものに遭遇することはめったにない。ただ二千年初頭にボストンに住んでいた時は、さすがアメリカ人でもスノッビーなイヤな街だというだけあって、毎週のように嫌な思いをした。

見ようとしても、見なければならなないものはなかなか見えない。見なければならないものは、しばしばうわっつらの綺麗なものに覆われているし、ときには意図的に隠されていることさえある。起きている現象や状況をそのまま受けれただけでは何を見たことにもならない。現象や状況の原因となっているものがあるはずだと、探しにいく気持ちがなければ、せいぜい観光旅行まででメシのたねの客で終わる。

p.s.
1) どこにでもある差別
世界中どこにいっても差別がある。なんでも複数あれば、比べて違いをみようとする。違いがあれば、なんらかの評価基準や嗜好に基づいて差をつけて扱う。違いは、大きなリンゴと小さなリンゴのこともあれば、専門家としての認識や能力のこともある。誰もできればお美味しいリンゴのほうがいいし、やぶ医者のお世話にはなりたくない。これを差別と呼んで問題にする人は稀だろう。

後天的に得られた能力の評価まではいいとしても差別は困る。ましてや先天的なものからの、あからさまな差別、しかもそれが個人の嗜好を越えて、特定の社会層や集団になると人々の社会への帰属意識が希薄になる。最悪の場合は、いくつもの集団が離れた集団として存在する分裂した社会にしかならない。産業形態の変化に伴って、かつての大きな中間層をなしていたブルーカラーが下層に押し込まれて経済格差が広がり続けている。富める一握りの集団とその他の人たちの集団へと社会の分化が進んできた。それをトランプが加速して自分たちと取り巻きの経済目的に利用し続けている。

2) 肌の色による差別
ニュースを見ていると、アメリカの黒人に対する差別としか思えない人たちもいるだろう。ちょっと考えれば、アメリカに限ったことでもなければ、他人事でもないことに気がつく。日本人は(自分も含めて)、肌が白いことを美の基準とした文化にずっぽり浸かっている。さらには人種の違いでもないのに部落への差別も続いている。

2015年2月24日付けで「ちきゅう座」に掲載していただいた拙稿がある。
お時間があれば、ご一読を、
「健康と美白-差別」
http://chikyuza.net/archives/51054

黒人差別からインドの美白問題を「The Root」が取りあげた。
「The Root」は、The Blacker the Content the Sweeter the Truthを掲げて、黒人差別の問題に焦点をあてたニュースサイト。
記事は、
「Black Lives Matter?but Not Black Skin? Indian Celebs Called Out for Expressing Solidarity After Profiting From Colorism」
https://theglowup.theroot.com/black-lives-matter-but-not-black-skin-indian-celebs-ca-1843926090

インドでは、健康被害が問題とされているにも関わらず、セレブや女優が美白化粧品を使い続け、化粧品の広告宣伝にまででている。
名指しで非難されているDear Priyanka Chopraは、2000年のミスワールドの優勝者。Google ChromeでDear Priyanka Chopraと入力して画像検索をすれば、美貌がビフォアーとアフターまで含めて出てくる。
インドの話だが、人ごととは思えない。
日本にいるとインドの多様性になかなか気づかないが、インド人の同僚何人かと付き合った経験から、一言でインドとは言えないことを実感している。それでも、ブロンドに薄い灰色の目をしたインド人に会ったときは、腰を抜かすほど驚いた。
2020/6/20