ロシア革命でソ連に、そしてロシアは今

早いものでベラルーシのデモも二年前のことになってしまった。力で押しつぶしたところで火種は消えないから、いつ再燃するのかと思っていたら、一月の末辺りからウクライナの騒ぎが大きくなっていった。あそこまで軍を動かしたら、なにもしないで撤退はありえないだろうと思っていたら、侵略戦争が始まった。もう一月以上になるがウクライナ戦争のニュースが毎日山のように入ってくる。Webのニュースを見ながら、なにが起きているのか、なぜ起きているのか、経緯も含めてなんとなく考えている。
同じ風景をみても、見える景色は人さまざま。ましてや遠く離れたところのことで、見ようによっては全く違った景色なんてこともある。ちょっと遠回りになるが、風景を見る自分の立ち位置の確認から始めた。

二十歳で工作機械メーカに就職した。そこで会社と社会党右派の労組の茶番に呆れて、どうしたものかと考えていたところで声をかけられて経営支部の一員になった。班会議は週一だったが、ほとんど毎晩のように同僚のアパートでああだのこうだの言いあっていた。上から下りて来る資料の読み合わせもあれば、署名集めもあって忙しい毎日だった。それなりに充実はしていたが、半年もしないうちにどうにも窮屈でうんざりしてきた。何を見なければならないのか、どう考えなければいけないのか、そして何を口にしなければならないかまで、なにからなにまで上で決められた通りはないだろう。そんなことを感じだすと、もういけない。思考の拒食症とでもいうのか、下りてきたものを生理的に受け付けなくなってしまった。
あと一月もすれば二十六歳というとき、煩いからとニューヨーク支社に島流しになった。技術研究所から海外市場担当の子会社にとばされて、ろくに機械に触ったこともなかったのが、言葉も通じないアメリカで機械の修理と据え付けに中西部まで出張で走り回った。その日をその日を生きるのに精一杯で、まるで方位磁石を失ったかのような生活だった。三十歳を前にして病気で帰国したときには、外から日本をそして日本人を見る癖のようなものがついていた。

養父の影響もあって中学にあがったころには、かなり左に傾いていた。六十四年の東京オリンピックでは日本の選手ではなく、ソ連の選手を応援していた。何も知らないのに、あるいは知らなかったからかだろう、当時ソ連は光り輝く憧れの国だった。そこには、マルクスをはじめとする先達が思考の末にたどりついた思想―資本主義経済体制の問題を根本的に解決するには、労働者が主導する社会主義社会を建設しなければならないという理念があった(と思っている)。第一次世界大戦の荒廃から這い上がるようにしてソ連という理想を実現する国が産まれた。

百年前の理想だったソ連が崩壊して、ロシアといくつもの民族国家に分裂した。今のロシアは、ロシア革命から生まれたソ連の理念と現実を良くも悪くも継承しているはずだと思っている。そんな思いから、労働者が主導する政治体制が残っているはずという覚めきれない夢のかけらが残っている。

昨年の十二月つけだから、ちょっと古いが、すでにロシアの主張も含めて状況を概観したBBCのニュースがある。
「ロシアはウクライナを侵攻するのか 現状について数々の疑問」
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-59767571

書かれている通り、ロシアの視点からみれば正論で、ざっとまとめれば下記になるだろう。
一九九〇年ソ連は東西ドイツの統一を容認する際、ドイツより東に「反ソ連(反ロシア)軍事同盟」NATOを拡大しないことを条件とした。条件をのんだにもかかわらず、ソ連が崩壊したらアメリカは東欧諸国だけでなく、かつてソ連の一部だったバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)をもNATOに加盟させた。ソ連崩壊時一六ヵ国だったNATOは、三〇ヵ国にたっして、ウクライナやジョージアをNATOに加えようと画策している。

言っている事はわかるが、ソ連が崩壊した本質的な原因に触れずに、歴史的現象を連ねているだけにみえる。
ソ連もロシアも東欧諸国のこともニュースか何かで聞きかじっただけで何をしっているわけでもない。ベラルーシの悲劇もウクライナの問題も、それを引き起こしているロシアのありようもWebでニュースを漁っているだけでしかない。
それでも、ちょっと気にしてみていけば、大まかこういうことが起きているんじゃないかぐらいの想像はつく。それはアメリカを始めとする西側のプロパガンダに汚染されているだけだ。この痴れ者がと叱られるかもしれない。そういわれるとちょっと心配だが、大筋でとんでもない誤解をしているとは思えない。

ソ連が崩壊したとき、かつて(失礼なことに)衛星国とよばれていた東ヨーロッパの諸民族がロシアの軛(おだやかに影響下と言った方がいいのか?)から抜け出て、西ヨーロッパに自分たちの将来像を描いた。それは一部の指導層や特権階級が決めたことではなくて、一般大衆の総意だったと想像している。ベラルーシの独裁者もウクライナの人々に追い出されてロシアの亡命した前大統領も、上手い下手はあるにしても、傀儡政権の首領以外のなにものでもなかったろう。

あるセミナーの懇親会の席で、ぼさぼさ頭の研究者風の方から、自信に溢れた口調でマルクスを読めばみんな書いてあると言われたときは驚いた。どこからその確信にも近い考えがでてくるのか不思議でならなかった。マルクスが分析したのは十九世紀のイギリスを中心とした資本主義社会で、ソ連の建国までは夢想し得たにしても、その崩壊にまで考えが及んだとは思えない。それでも、もしかしたらと気になっていた。
月刊誌『経済』の二月号に掲載された長久理嗣の「経済学批判」の方法を探るマルクス『経済学・哲学草稿』からをみて、長谷川宏訳の『経済学・哲学草稿』マルクスにざっと目を通した。たしかにあのぼさぼさ頭の人が言っていた通りで、資本主義の本質的な問題という点では、これ以上はないんじゃないかというほどすっきりまとめられている。でも、ソ連の崩壊など、先読みしてもどこにも感じられない。当たり前のことで驚きゃしない。

驚くのは、かつて社会主義を標榜し、今でもソ連を懐かしむような話しをする人たちの思考のほうで、一体何をみての話なのかと考え込んでしまう。
遅れた社会産業構造に戦争で疲弊しきったところに民族問題を抱えて、アメリカとの軍拡競争……、即解決しなければならない問題をやまほど抱えこんだソ連という複雑な連合国家をまとめるのは人知のおよぶところではないという人もいるだろう。それでも、認識の始まりとして、ソ連は崩壊したのではなく自壊したと考えたほうがあっていると思っている。

先鋭化した革命家集団のテロ活動から歴史の偶然のおかげもあって生まれたソ連では、始めから最後まで少数の指導者階級とその階級とは混じり合いのようのないところに置かれた一般大衆の二重構造を解消しようと考えたこともなかったんじゃないかと想像している。
労働者階級の前衛あるいは指導階級は労働者階級の代表であり、つねに労働者と一枚岩で指導者階級が良しとすることは労働者階級も良しとするはずだ、しないはずがないという金科玉条の理念がある。そこから必然として指導者階級の無誤謬性が生まれる。彼らを批判するということは、社会の主体である労働者を批判することを意味する。そこから指導者階級がすべての権力を掌握した社会が生まれる。

歴史が示すようにすべての権力は必ず腐敗して利権屋に堕する。ましてや外部からの批判にさらされない抑制のきかない社会構造においてはなおさらのことで、労働者階級の前衛が構築した労働者階級が主体の国家も例外ではない。腐敗した権力が利権を握り続けようとすれば、必然として「愚民化政策」に走らざるをえない。大勢を占める労働者階級に状況を理解し、何をどうすべきかを考えるもとになる情報は開示しない。伝えられるのは都合のいいことだけのプロパガンダになる。中世のキリスト教もそうだったし、江戸時代の「由らしむべし知らしむべからず」もその典型だろう。
今のロシアや中国、流れて来る情報から判断するかぎり、大衆に対して「由らしむべし知らしむべからず」政策を一環して取り続けているようにみえる。

アメリカの会社の日本支社で二十五、六人の組織を率いたとき、「御親兵一割損」を試みたが、何を考えてのことかと多少なりとも気が付いたのは一人だけだった。拙い個人の経験からの話だが、指導者階級のなかには「御親兵一割損」を思った人もいたかもしれない。ただ個人としてならいざしらず、社会組織になったとたん、自分と仲間や親族などへの利権の獲得に走らざるを得ないだろう。

指導者階級からなる官僚組織の非効率に軍事を優先して大衆の日常生活を二の次にしたことから、官軍複合体を後ろ盾にした警察、監視国家が出来上がった。そこでは大衆の多くは政治体制がどうのより自分たちの日常生活と将来の生活にしか関心を持ちえない。
孫引きになるのでちょっと心配だが、『ソ連史』松戸清裕(ちくま新書)が『ゴルバチョフ回想録』を引用している。
「書記長になって初めて、私は国の軍事大国化の実際の規模を知った……軍事支出は国家予算の、公表された一六%ではなくて、四〇%(!)、軍産複合体の生産高は国民総生産の六%ではなくて、二〇%だったのである」
大衆の日常生活を大事にしない社会のなかで大衆の一員になりたいと思う人はいないだろう。同じことが国にも言える。ソ連という国が生活者にとっていい国だったら、ソ連が崩壊してもロシアと共同体制をと思ったはずだろう。思わなかった原因がソ連の指導者階級の世間知らずにある。ソ連は崩壊したのではなく、自壊したのだ。
マルクスをはじめとする先達が描いた人民が主体の社会だったはずのものが、官僚支配の警察、監視国家に堕した。そして国民の資産が支配者集団と泥棒男爵(Robber baron) 連中に掠奪され続けている。

その原因を直視することもなく、遅れた社会だったから、民族問題を抱えていたから、そしてアメリカとの軍拡競争があったから、資本主義国家からの陰謀がなどいうのは言い訳以上のなにものでもないだろう。
ソ連は百年前の希望だったが、実はその希望そのものが自壊する要因を内包していたとしか思えない。

かつて希望を説いた人たちにお願いしたい。資本主義の批判聞いているだけでは、愚生のように教養のないものはどのような社会を目指すべきなのかわからない。かつての希望の幻影をかかえていても将来像は描けない。まさか、今ごろになって当時修正資本主義と見下していた北欧の社会民主主義がいいんだなんていいだす勇気があるとも思えないが、あるべき社会のありようを、二十一世紀の希望をお聞かせ頂いけないか?
2022/4/16