大統領選挙にみる大衆の反逆

マスコミが伝えていた大統領選挙と上院議員選挙の予想が大きく外れた。なにがここまで大きな違いを生み出したのか?何を知っているわけでもない素人が、それも日本からWebの記事やレポートをみて、どうのこうのと言える問題でないことは分かっている。
それでも、なぜここまで大きな違いを生んだのか、どうにも気になってしょうがない。もう一月以上どこかから納得のいく説明がでてくるのではないかと待っている。Webを見ていけばそれなりの記事がでてくる。細かな数字をあげているものもあるが、どれも起きたことを解説しているだけだったり、人口統計の推移から、あるいは都市部と農村部の人たちの視点の違いに原因を求めているだけで、どうにもすっきりしない。

外れた理由はなんなのか、つらつら考えていくと、どうも票を読み違えたということでは済まないような気がしてくる。アメリカ社会という一つの風景を違う立場や視点からみたから、あるいはみえた景色が違うということでもない。みなければいけない風景が今回もみえなかったことではないのか。問題の本質は、見る術をどうしたら身につけられるのかが分からないままでいるんじゃないかとすら思えてくる。

大統領選挙の数か月も前から、毎日飽きもせず選挙関係のニュースを読み続けていた。クオリティ・ペーパといわれるNew York TimesやGuardianなどの日刊紙にNew YorkerやAtlantic、Economistなどの週刊誌、ボルチモアやフィラデルフィア、アリゾナなどの地方紙に加えてThe Nation、Democracy Now、ProPublica、The HillsなどのニュースサイトやBrooking Institutionや三大テレビネットワークにLGBTQ+のサイトThemにも目を通してきた。ときには右翼のFOXニュースやPolitical Insiderまで気にしてみていた。

リベラルなマスコミやニュースサイトはバイデンと民主党の圧倒的な勝利を予想というより、もう予言したかのような記事で溢れていた。
投票日の夕方には、New York Timesは調査会社FiveThirtyEightのデータを基にバイデンが九十パーセントの確率で勝つといい。Economistにいたっては、九十七パーセントと言っていた。上院選挙も同じように圧倒的な民主党の勝利で、うまくいけば二けた増もあり得ると予想していた。

ところがフタを開けて見れば、バイデンは辛勝。二けた増も夢ではないといわれていた上院では改選前の議席を維持できるかどうかとう惨憺たるありさま。前評判で苦戦を覚悟していたトランプと共和党がなりふり構わない悪あがきを繰り返していると伝えられていたが、開票が始まったらなんのことはない、選挙前と何がどれほどちがうのかという結果だった。

メディアによって出てくる数字にばらつきがあるのにちょっと引いてしまうが、トランプが恐れていた女性票は二〇一六年の選挙よりたかが二ポイント、大卒の白人女性票でも二ポイント、男性票は三ポイントバイデンに動いただけだった。予想を大きく裏切ったのは大卒の白人男性票で、驚くことに十一ポイントバイデンに動いた。目をひくのは共和党でも民主党支持でもないという意味での無党派層で、トランプはバイデンに十三ポイントの差を付けられた。
人口増が著しいメキシコや中南米からのラティノと呼ばれる人たちは、前回の選挙より八〇〇万人も多い人たちが投票した。そこではトランプは二十八パーセントから三十二パーセントと得票数を伸ばしている。エバンジリカルの得票では、前回の選挙八〇パーセントから七六パーセントに落としているが誤差のうちだろう。

どのマスコミも調査会社もトランプのように思いつきや自分の都合で予想しているわけではない。長い年月をかけて築き上げた調査方法と調査を遂行する実務組織に培ってきたデータ解析手法を駆使しての科学的な根拠に基づいた結論だった。まさかそんなのは読者の買い被りで、大したことをしているわけじゃないんですよなんてことはないだろう。

なにがこれほどまでの大外れの予想を生み出したのか?それは選挙前の調査では隠れトランプが見つからないからで、トランプを支持する人たちを過少評価しているだけじゃないかと言っている人もいたが、調査に基づかない思いや想像にすぎないようにしか聞こえなかった。
トランプや共和党支持者の取り巻きとして美味しいメシにありついてきたマスコミもあれば調査機関もある。でもそこからは先に上げた新聞や雑誌、ニュースサイトの予想とは違う、なんらかの根拠に基づいた予想は、読んでいた記事が偏っていたのか、出てはこなかった。
聞こえてくるのはトランプ支持者はアンケートを受けても、真正直の答えやしないし、中にはトランプ支持というのを恥ずかしく思っている隠れトランプ支持者もいるという曖昧な話しかなかった。

それぞれの社会層や人種で支持の変動はあったが、総じていえば二〇一六年の選挙と大した違いはない。なぜ錚々たる人材を擁し歴史に培われた組織をもった報道機関や調査機関がバイデンと民主党の圧勝というとんでもない予想をしたのか。二〇一六年の選挙でもクリントンの勝利を確信したかの報道をして、調査方法やデータの収集から解析まで改善を図ってきたんじゃないのか。それがなぜ、こんな大きな失態をおかしたのか?

左傾やリベラルといわれるマスコミや調査機関も右傾といわれるマスコミや調査機関も、組織を構成しているのは立派な大学をでたエリートか準エリート層で固められている。高学歴社会で経済格差の大きな社会では、持てる人たちと持てない人たちとでは読む新聞が違うどころか、日常会話で話す言葉まで違う。
映画『ビバリーヒルズ・コップ』がそこまで違うかというのをおもしろおかしく見せてくれる。喜劇としての誇張はあるが、七〇代の末失業と貧困がいやでも目に付くニューヨークで、中流社会からほとんど最下層に近い社会で出会った人たちの日常がエディ・マーフィーの口調から垣間見える。

下層の人たちの目には、マスコミや調査機関の人たちは、左傾も右傾もしっかりした大学を卒業した社会のエリート層に見える。話しかけられれば、上から目線の口調が耐えがたい。映画のなかのエディ・マーフィーのような日常会話(トランプの口調に似ている)の生活のところに、丁寧なアンケートの電話がかかってきたら、丁寧というより慇懃、何かっこつけてんだよ、この野郎という反応が目に浮かぶ。そこで何をどのように聞かれようが、そもそも聞かれること自体不愉快で、機嫌のいいときならまだしも、本心を明かすなんてことも馬鹿馬鹿しいと思っているだろう。

流れてくるその風説もどきを真に受けてトランプ再選は十分にあり得るという日本の右傾のマスコミにもあきれるが、社会の一部しかとらえられない高学歴者で構成されたマスコミから流れてくる報道からは、彼らにはアメリカ社会の実像が見えていないようにしかみえない。見えていないという認識はあっても、じゃあどうしたら見えるのかと改善への途がわからないままのようにみえる。高学歴層の人たちが一所懸命頑張れば頑張るほど、隠れトランプと言われる社会層との乖離が大きくなるだけの可能性がある。当たり前のことだが、市場調査の始まりのサンプリングに偏りがあれば、どんなに優れたデータ処理をもってしても有意な情報は得られない。

エリート層の人たちには下層の人たちの真意を聞き出す能力がないのではないか。自分たちとその近隣の社会層や集団とまでは行き来があっても、大きく違う社会層にはアクセスできないのだろうと考えれば、なにが起きているのか想像がつく。これ、今回の大統領選挙やアメリカに限ったことではないんじゃないか。日本でも本質的に同じことが起きているんじゃないか。
「ちきゅう座」をみているとどこか似ているような気さえしてくる。

p.s.
<大衆とは>
表題にあげた大衆は、大雑把なくくりで申し訳ないが、大学を出ていない中の下から下層の白人たちをさしている。アメリカの新聞ではNonwhite noncollege graduatesと呼ばれている。
製造業が経済の中核をなしていた時代には、白人としてそこそこ恵まれた中間層を構成していた多くの人たちが、高度化した産業構造と高学歴に基づいた成果主義の競争社会で取り残された。

<エリート vs 非エリート>
七十二年に高専を卒業して、当時大手五社の一つといわれていた工作機械メーカに就職した。そこには数年前まではあった職業訓練校の教室が残っていた。現場には高卒にまじって中学校を出て職業訓練校を卒業した人たちもいた。班長も含めて現場の人たちは、大卒のキャリア組とは仕事で必要な最低限の表面的な話しかしようとしない。キャリア組が現場で大学のことを口にすれば話もしてもらなくなる可能性すらあった。
六十年代中ごろまでは、中学卒業の集団就職の若い人たちを「金の卵」と呼んでいた。高度成長を続けていた製造業が人手不足だったことから生まれた言葉だが、工場にはその空気が多少薄まってはいたが残っていた。
現場のオヤジさんから聞いた話では、その昔は、といっても十年かそこら前の話だとう思うが、本社採用の学卒は工場の正門から、工場採用の現場の人たちは「オレたちゃ油虫だから」といいながら、脇の通用門から出入りしたもんだそうだ。それほど職階の溝は深かった。
2020/12/8