ライン型社会民主主義のありさま

オヤジの影響もあって子供の頃からドイツには憧れがあった。高専を卒業して工作機械の技術屋を目指したときには、それが畏敬の念に変っていた。就職した日立精機がドイツのギルデマイスター社からの技術供与で多軸自動盤を製造していた。日本の機械とは違う歴史の重みを感じさせるもので、ドイツの機械工業への思いが強くなった。技術研究所で新型旋盤の設計に携わったとき機械要素をしっかり理解しなければと、図書室にこもって資料を漁っていて、カルルスルーエ工科大学の教授が書いた工作機械総論のような本を見つけた。早速本屋でとりよせてもらったが難しすぎた。

「世界」などには、ユーロコミュニズムや北欧の社会民主議やユーゴの労働者の自主管理社会が、次の時代のありようとして描かれていた。何を知っているわけでもないが、機械屋のバイアスもあって、ぼんやりとドイツの社会民主主義に惹かれていた。できることならドイツの会社で働いてみたいと思っていたところに出て来た辞令がニューヨーク支社への左遷だった。英語もわからず、機械の基本も知らずに一週間で荷物を整理して出て行った。そこから還暦を迎えるまで英語で太平をまたにした仕事に明け暮れた。ドイツ人との付き合いは数年のことでしかない。とるに足りない経験に間接的に知り得たドイツに関する知識をつなぎ合わせたまでの理解の整理がつかないままで今日に至っている。二〇〇〇年になっても若い時の思いを引きずっていたが、ドイツの会社でドイツ人とつきあって、ぼんやりともっていたドイツに対する畏敬の念が跡形もなく消えさった。憧れがひっくり返って嫌いになった。嫌いになった理解が、かたよりがあるにせよ的を射ていると思っている。

ドイツ人やドイツ文化の特徴はと考えると、まず質実剛健、質素倹約、職人気質、そしてなによりもドイツの合理主義が思い浮かぶ。どれもドイツ文化を端的に現わしてはいるが、ドイツ社会の根幹をなしているのは、上意しか見ようとしないヒラメのような人たちが群れをなしている権威主義だった。その権威主義から人びとが規則をつくる。そしてなんにしても、つくった規則に従わないと気が済まない。そして決まったことは、なにもそこまで杓子定規にと思うほどきちんとしようとする。世界の多くの人びとから賞賛されるドイツ人気質だが、視線をちょっと斜めにすると、ちょっとそれはという欠陥が見えてくる。権威主義と優生思想が第一大戦も第二次大戦もふくめてあまたの問題を引き起こしてきた。たかが数年でしかないが、上意下達の文化と規則正しくはいいけれど、コンピュータのプログラムでもあるまいし、なにかなにまで決められたことを決められたようにやってれば仕事になるってわけじゃない。融通が利かないというより、自分の頭で考えて、自分の責任で判断してものごとを決めるという考えというのか文化がない。
合理主義を否定するのは難しい。どこでもここでも人それぞれが気分や思いつきで、あれこれやられたらたまったもんじゃない。たとえそれが善意の人の善意からであっても収拾がつかなくなる。ましてや行政や営利企業は合理性を基盤に置いて諸々の業務を規定しなければならない。それが業務を高率よく遂行する組織を作り上げる。そこまではいいが、その規則に従うというのが人びとの思考をも規制しだすと合理性の負の部分が社会を奇形化する。

「正しく上司からの命令に従うのはドイツの文化」の先には、何をしたところで、その何を決めるのはオレじゃないという責任逃れが顔を出す。その責任逃れの一つがウクライナに対する戦車の供与の議論に表れている。
拙稿「規律正しく、何のために?」(2019年 1月 20日に「ちきゅう座」に掲載)から引用する。融通無碍がいきすぎれば収拾がつかないが、ドイツの権威主義にはどうにもつきあいきれない。urlは下記の通り。
http://chikyuza.net/archives/90738

「ナチスの戦犯、アイヒマンが裁判で主張したように、規則に従っていれば、余計なことを考えないですむ穏やかな生活をおくれる。規律正しく上司からの命令に従うのはドイツの文化であり、俺がしたことが犯罪だというのなら、ドイツの文化が犯罪なのであって、俺はその犠牲者に過ぎない」
規則に従うというのは、自分で考え、理解して解釈する。その結果としての言動があり、行動の結果に対する責任を持つという、人としてあり方を否定することに他ならない。

目についたいくつかの新聞記事からだから、どこまで本当なのかわからないが、さもありなんとしか思えない。EUの盟主を自認しているであろうドイツの首相シュルツが、アメリカが戦車を提供するのならドイツとしても考えてもいいというのはないだろう。アメリカのエイブラムス戦車は先を行き過ぎていて、はい提供しますと簡単にはいかない。兵士の訓練もさることながら、先端技術の集積のような戦車で現地でのメンテナンス体制を確立するのが難しい。
ドイツのレオパルト2戦車は、従来からの戦車の技術の集大成のような戦車でヨーロッパの多くの国でも標準採用されている。戦車にはディーゼルエンジンが搭載されてきたが、エイブラムス戦車はガスタービンエンジン(ジェット機のエンジンのようなもの)でジェットエンジン用の燃料が必要になる。驚くほど重い車体にもかかわらず高速性能を誇るのはいいが、燃費は最悪で一リットルで二百メートしか走れない。他の戦車のディーゼルエンジンの軽油に加えてジェットエンジン用の燃料補給体制を確立しなければ、エイブラムス戦車は戦場の置物になってしまう。
その難しさを知りながら、アメリカが戦車を提供するというのならというのは、戦車という戦況を大きく変える兵器の供与に関する責任をアメリカに押しつけるようなものでしかない。

独裁国家でもあるましいし、満場一致で政策が決まるわけじゃない。常に反対勢力との駆引きのなかリーダーたるものは自分の責任で決断しなければならない。ドイツの腰の引けた態度は、ロシアという資源供給国、ロシアという競争相手の少ない巨大な市場をいままで通り取り込んでおきたいという、よく言えば国家の経済運営、卑俗な言葉でいえば、自分たちの銭勘定を優先してのこととしか思えない。ドイツといえど西ヨーロッパでは、それぞれの国の土着の同業との厳しい市場競争にさらされるが、ロシアでは土着の競合がいない。歴史的にもロシアはドイツにとって美味しい市場で、将来もと思っているはずだ。

一月二二日付けで、Seattle TimesがNew York Timesの記事「Germany’s reluctance on tanks stems from its history and its politics」(ドイツが戦車に消極的なのは、その歴史と政治に起因している)を配信している。urlは下記の通り。
https://www.seattletimes.com/nation-world/germanys-reluctance-on-tanks-stems-from-its-history-and-its-politics/?amp=1

問題となる論点を機械翻訳すれば下記になる。
「米国も戦車を提供する場合にのみ戦車を提供し、ロシアがベルリンを非難できないようにしたいというショルツの願望の有力な説明である。この戦争が終わった後も、多くのドイツ国民がまともな関係を保ちたいと願っているロシアから、ドイツが単にレオパードを送るだけでなく、その輸出を許可するという決定をされるのは避けたいのである」

ここにライン型社会民主主義の宿痾の欠陥が如実に表れている。
注意しなければならないのは、この責任逃れの姿勢はシュルツ個人の問題ではなく、ドイツのドイツたる文化に根差したドイツの合理主義から必然として生まれたものだということにある。これは社会民主主義が内包する問題ではなく、ドイツ固有ものもだと信じている。

ことのついでにそのドイツ固有であろう問題を作り上げている人びとの信任をうけている政党の主張をDie Weltが伝えてきているので機械翻訳した。
「Scholz defends decision to send battle tanks to Ukraine」(ショルツ氏、ウクライナへの戦闘戦車派遣の決定を擁護)
一月二五日付けのDie Weltの記事で、urlは下記の通り。
https://www.dw.com/en/german-chancellor-olaf-scholz-defends-decision-to-send-battle-tanks-to-ukraine/a-64509633?maca=en-newsletter_en_bulletin-2097-xml-newsletter&r=17278411841318970&lid=2418470&pm_ln=186282

ショルツ首相は、彼の慎重なアプローチはドイツ国民の消極性を反映していると主張している。先週発表された世論調査では、ウクライナへの戦車派遣に賛成が46%、反対が43%と、ドイツ国民の意見はほぼ二分された。
世論調査会社infratest dimapが実施したこの調査では、SPDの有権者の間では戦車派遣への支持がやや多かった。レオパルドの派遣を望む人は49%で、反対は40%だった。
最も強く賛成しているのはCDUの支持者で、そのうちの66%がドイツはレオパルドを送るべきだと考えており、(1980年代の平和主義的活動からするとやや意外ではあるが)緑の党の支持者がそれに続き、61%が賛成している。
一方、新自由主義的なFDPは、賛成48%、反対48%と全く互角であった。この数カ月、ショルツ氏を最も激しく批判していたのがFDPのマリー・アグネス・シュトラック・ツィンマーマン国防委員長で、彼はこの1年間に何度もウクライナを訪れているからだ。
一方、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持者は、戦車輸送に最も激しく反対していることに変わりはない。約84%が反対している。
連邦議会で最も小さな政党である社会党左派も、ウクライナへの武器供与に反対している。同党のディートマー・バーチュ共同党首は2日、連邦議会で次のように述べた。「レオパルド戦車を3カ月以内にウクライナに届けることが目標であってはならない。目標は3カ月後に戦争を終わらせることだ」

どの主張もそれぞれの合理性に基づいたものだろうが、根柢にあるのはSeattle Timesが配信してきたNew York Timesの論点があるような気がしてならない。
何を知っているわけじゃない。ドイツ人との付き合いも仕事上のことでしかないし、たかが数年。とんでもない勘違いをしている可能性もあるが、視点がズレているとは思わない。
2023/1/30